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【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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まるで屍のようだ、にはまだなってないのでよろしく
 僕は、心底ネクラなので、前回と前々回のようなやや浮かれた気味の日記は書きたくなかった。それは今日の結果に対するアンチテーゼだっただけだ。

 朝6時半に起きて、MRIの結果と診断のために○○病院へ行った。MRIは予想通り、気持ち良くて寝てしまったのだけど、閉所が怖い人や変な音が苦手な人にはキツいだろうな、と思った。

 診察室に入ると、僕のMRI写真が貼ってあった。それを見ただけですぐに「ヤバい」と思ったし、解った。目の前にMRIの写真があって、その結果を訊きに来ただけなのに、医師が妙に違う話に逸らすので、「ああ、駄目なんだ」と思った。確か、母の末期肺癌を告げられた時もそうだった。



「のうこうそくですね。おとしのわりにはかなり……(沈黙)




 だから僕は、焦らされて結果を聞くのが嫌いなんだ。
 その後、整骨院に辿り着くまで平静だったが、神経内科医師や外科医師の話をあまり憶えてない。記憶喪失じゃなく、わりとショックだったからだ。ただ、僕はまだポンコツにはなっていない、みたいな話をされたのだけがぐるぐる。その後に行った外科医の診察でもそんな状態だったが、整骨院でぼんやりと思い出していった。


 神経内科と外科の診察を終えてから、某編集部で打ち合わせ。それから整骨院へ行った。先生に何番の頸骨が圧迫されているのかを報告するために。

「6番と7番だそうです。僕はたぶん忘れますからメモしておいてください」
「はい。6番と7番に○×で○×するようにあてて!」

 隣で治療していた先生が、カーテン越しから若い先生に電気治療の指示をした。隣では、ご婦人が何度も「あいたたたたた……」と繰り返したが、僕がぽつぽつと喋り始めてから、完全に無言になった。

「かなり下の方ですね。もう首の付け根ですね」
「はい」

「そこが神経を圧迫? もしくは神経が飛び出てる?」
「圧迫ですね。あ、それからMRIをした結果、脳梗塞でした」

「え……」
「手術するほどではないみたいですが(先生の予想、外れましたね……)

「何梗塞ですか? ラクナ梗塞?」
「え? 脳梗塞に種類があるんですか……? (診察室に入るなりMRII写真を先に見て、「こりゃ駄目だ」って素人目でもわかったが、やはり多少は動揺していたため)聞いてませんでした。というより、祖父も親父も脳梗塞でしたし、2人とものレントゲン写真とかMRI写真とか見てますけど、種類があるなんて知りませんでした……」

「物忘れなどが酷いのはそのせいでしょうね」
「え? (さっきの神経内科では「違います」と言われたのだけど……)

「ラクナなら誰もが少しはあるんじゃないですかね。どの部分でした?」
(MRI写真のことを)ちゃんと訊いてませんでした……。ただ、「お若いのにかなり……(沈黙)」って……。(MRI写真を見て)思っていた以上に(認知症の)ご老人並みにスカスカだなぁ、とは思いましたが……」

「あ、それと、臍(さい)ヘルニアは、局部麻酔じゃなくて全身麻酔で手術と言われました。しかも、最低3日は入院と……」
「さい? あ、臍ですね。それは大掛かりですねぇ……」

(ヘルニア部分が5mmほどあるので、早いとこ切っておいた方がいいです、と言われたが、)大きくならない限り、半年後や1年後に切っても構わないが……、って言われましたけど、いま痛いですからねぇ……」
「嵌頓(かんとん)ヘルニアになったら怖いですからねぇ……。(← ※先生は『ブラックジャック』に詳しく、ストーリーのオチまで知っていた)


 というか、いまの僕の心臓って全身麻酔に耐えられないような……? 外科医の部屋から出る前に、心臓病とアレルギーの有無を訊かれたので、「まだ無いです」とは答えたものの、さっきから心臓が窮屈にとても苦しい(これはわりと頻繁。心臓肥大(心肥大)とは何度か診断されたが、おそらく「狭心症」でしょう)

 次回は、頸部エコー検査(頸部超音波検査)なのですが、これは頸骨が神経を圧迫している具合を診るためかな?  もしくは脳への影響を診るため?


 とにかくいったい僕はどうなんでしょう?
 とりあえず痩せろってのは無しで。水分は補給しまくりで、しかもこれ以上、食ってないのに痩せられるか、と。なお、禁煙はしません(これについては次回書きます)
 ひとつだけ、マシになったのは肝臓。7月末から完全禁酒してますからね。γ-GTPが以前は300くらいあったのですが、先週は82、今日は72まで下がってました(※基準値は、11~58)

 なんだか医者さんによってわからないことだらけです。たぶん精神科医さんに報告しても、かなり難解でしょう(もちろん報告しますが)


 嗚呼、とにかくとにかくいろいろ教えてくださいませ! マイミクの巨匠、q○○殿! そして、この駄文を読んでくださっている何方か!
 でも、今日はいつも以上に疲れたのでもう寝ます。
母が出た夢
 前回の日記を書いた夜の夢に母が出てきた。

 抗癌剤で毛が抜け始めた頃の母。
 実際にはニット帽をかぶって頭を見せはしなかったけど、抜けた毛を大事に、悲しそうに、持っていたのを憶えている。

 夢の中では見せてくれた。
 尖った頭頂部が僕と全く同じ形だった。

 頭髪の毛が抜け始めた頃、母は金縛りに悩まされ嘆いていた。
「○○(叔母、母の義妹)がー、○○(祖母、母の姑)が出てきて、アタシを金縛りに遭わせる……」
 金縛りは一種の精神的なものだと思うが、生き霊を出すほどだ、とある人に言われた怨念の強い2人だったから、有り得ないことはないな、とも思った。

 母は、僕を煽るため夢に出てきたのだろうか。ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ なのだろうか。もしくは、僕の心を鎮めるための逆説なのだろうか。

 ただ、会社が終わって大阪から滋賀へ母を見舞いに行った夜、また大阪に戻る僕をいつまでも廊下の遠くから見つめていたのを憶えている。もう死が迫っている人に見送られるのは、ひたすら哀しかった。
誠実へのサイレンはなかった
前回の日記の関連記事URL(※httpは、わざと省いています)
://netafull.net/neta2008/026723.html
://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080728-00000134-mai-soci
://mainichi.jp/select/jiken/news/20080729k0000m040028000c.html
://www.asahi.com/kansai/news/OSK200807280136.html
://ratio.sakura.ne.jp/archives/2008/07/29213823/




<毎日新聞より引用>
急激に水位が上昇すると逃げ場を失いかねず、随所に注意看板が立っているが、危険を知らせるサイレンなどの警報装置はなかった。県は「普段から付近の学校などには危険性を知らせる冊子を配っている。今回はわずか10分で水位が急激に上昇しており、想定外の事態だ」と説明した。

 国土交通省六甲砂防事務所の大下正和副所長は「六甲山は海岸線までの距離が2~4キロと短く、直線的で急こう配の川が多いため、はんらんや鉄砲水が起きやすい」と指摘。1938年7月の「阪神大水害」では、阪神間の多数の河川がはんらんし、616人が死亡。その後も、鉄砲水が日常的にあるという。
<引用終わり>




 こんな「川で遊ぼう」みたいな整地をしてある川で?
 鉄砲水が日常的にある川に遊歩道?
 六甲山を削ったんじゃないのか? その土で「使えないことで評判の神戸空港」を埋め立てて作ったんじゃないだろうね? それとも未だに山削り中?

 特に気の毒なのは、女の子が重みに耐えきれず、手を放したがために男の子が流されて水死したこと。これこそが本当のトラウマだ。男の子も大変気の毒だが、女の子の気持ちを考えると……。男の子は河口で、**************になった状態で発見されたらしい。

 そして、運営委員長(最高責任者)である安藤さんのお人柄の良さを知っているだけに、謝罪の弁を読むと胸がキツく締め付けられるほど痛くなり、吐き気と目眩がした。
 夢とかお金儲けとは別の次元で運営されておられただけに痛ましい。安藤さんは、子どものため、地域のため、自分がやらなきゃならぬと仕事を辞め、私財をほぼ投げ打ったような状態で学童を作った。作っただけではなく、運営方針やご本人のお人柄、真摯なスタッフも皆に好かれた。だから、誰からも愛されているし、僕も安藤さんを尊敬している。

 二十代前半のクソガキだったこの僕を、いっぱしの大人扱いしてくださって、初めてお会いした時から、50歳くらいだった当時の安藤さんは、ずっと僕に敬語オンリーで接してくださった。
 ***さんのお店は、当時確実に神戸一******だった。独創的で何度でも通いたくなるような。凄腕の職人さんが創作への葛藤や人気へのプレッシャーなどで**して失踪したがために、安藤さんが一から勉強してお店を立て直した。職人さんのことは気の毒だったが、無口すぎる人の感情は誰にもなかなかわからないものだ。

 僕は、安藤さん以上に誠実な人をこれまで見たことがない。そんな人がこの事件を自分の責任として全部かぶろうとしておられるのが、記事の言葉の端々から伝わってくる。これから一生、朝起きるたびにこのことを思い出されるのだろうか、と考えるだけで僕も苦しい。

 見返りを求めない本当の誠実さは、必ずしも良き結果のためだけではない。しかし、これが誠実への「報い」だとしたら、あらゆる神仏を叱り飛ばしたいくらいだ。
 うちのボスだってそうだ。こんなにも今まで僕に対して誠実・実直に接してくださっているのに、僕はこのザマだ。本当に悔しくて心苦しくて情けなくて申し訳ない。

 いや、僕なんぞより、せめてもう一度、あの安藤さんのニコやかで無邪気な笑顔が見たい。
 でも、かける言葉が微塵も見つからない。
 今度お会いした時に言う、挨拶の用語さえもわからない。
 どうやって、もう一度お会いすべきなのかも思いつかない。
 まだ、過去の人だという意識には全くなれないし、今の僕では逆に心配されるだけなので会わす顔さえない。


 ただ僕は、どうか皆さんが安らかで穏やかになりますように、と心底願っている。

 
間に合わなかった手紙
果たされなかった約束。
書けなかった文字。
心届くことなく架空で終わった文面。

変なところで几帳面だから、
どうしても達筆で書きたかった。
文字は、心を表すから。

タイムリミットが過ぎてから気づくこの愚かさよ、鈍感さよ。
右手の痺れは治療で回復しつつあるのに。
もうすぐ納得できる文字が書けそうなのに。
デスクトップに貼付けた、キミへ「手紙を送る」と書いたメモ書きがもう滲んでいる。

お互いに惚れてなんぞいない。
ただ、お互いを慈しむ気持ちだけが僕らを繋げていた。

どうか生きていてほしい。
重い心臓の病で癌手術のための麻酔ができなくとも、
尿が出なくて尿毒症でまた死にかけたとしても、
生きていてほしい。
なんて勝手なんだ俺は。
自分の周囲をこの前焦らせたばかりのくせに。

キミがあの彼に貰った花束等に敵うものがなく、
敵おうとも思わないけれど、
せめてあれに相当するくらいの喜びが再来したらいいな、と、
何度も自分で花の種を育てたけど、
芽が出ては枯れ、また枯れた。
うちのベランダは植物を育てるのには最低の環境。
今度こそ、一つ育ってきていたのにな……。

キミは、象の墓場へ行ったのか?
そこからでもいいから応えてくれないか?
「いつか」「きっと」は、果たせないだろう約束のための虚言なのかな?

僕の今からは、キミと自分に誓った言葉で埋め尽くされるのかな。
埋め尽くされて、僕は再び埋没してしまうのだろうな。
だけども、居なくとも、あの絆とキミが居た事実と時間は見失わない。

さようなら、大事な友だち。




あづち

【闘魂に萌え!】アントニオ猪木に逢えて会えた事
 今月、アントニオ猪木さんを取材する機会に恵まれた。「恵まれた」どころじゃない、恵まれすぎた。


 思春期のスーパーヒーローは、ウルトラマンでも仮面ライダーでもなくアントニオ猪木だった。猪木の闘う姿勢から、アイデンティティを見出した。負のパワーみたいな怒りの反逆精神は、猪木によって培われたと言っても過言じゃない。


 猪木に完全にハマったのは、国際プロレス軍団(ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇)との1対3の試合だった。
「いくらなんでも3人には勝てないだろう」という思いが、徐々に応援に変わっていった。ハマってしまった。僕、猪木好きだったんだ!って分かった。試合は猪木がリングアウト負けしたけども。

 それまでもプロレスは観ていた。幼稚園に入る前から観ていたはずだ。オヤジが夜8時くらいに帰宅した金曜日、各家庭にまだテレビが1台だった時代。「チャンネル争い」という言葉があった時代。強制的に観さされたわけではないが、金夜8時の『ワールドプロレスリング』を僕は居眠りを交えながら黙って観ていた。

 ボクシンググローブをはめた選手と猪木が闘っているのを観た記憶があるから、現代の格闘技ブームの基礎となった猪木の異種格闘技戦から観ていた事になる。インドの“狂虎”タイガー・ジェット・シンとの攻防で流血戦になると、オヤジは止めなかったが、お母ちゃんに「観ないで早よ寝なさい」と言われた。そのオヤジさえも「今日は観たらアカン」と止めたのは、猪木と上田馬之助の“釘板デスマッチ”だけだ。最近、YouTubeでそれを観る事ができて感激した。2選手ともギリギリの攻防をしていた。やはり昔のプロレスラーは凄い。

 僕が猪木に完全にハマったちょうどその頃、僕は小6で、筋力やら体が異様に発達していた時期。身長は幼稚園の頃から、常に後ろに並ぶ位置だったが、小学校は児童数が全国で2番目に多かったマンモス校(←死語?)で、小6時に学校で一番デカかったのが僕だ。身長167センチ以上あった記憶が……。初めて会ったオバハンなどに「どこの高校行ってるの?」って訊かれる事もしばしば……。子供料金で電車に乗る度に、お母ちゃんが駅員に説明してたのが毎度苦痛だった。

 筋力は半端なかった。ドッヂボールではバケモンみたいな剛球を投げたので昼休みのリーダー格だったし、体育の時間に「ドッヂボールを両手で投げなさい」と言われたら、他の子が10メートルも投げられないのに、僕は20メートル以上投げていた。当時は大相撲もプロレスも好きだったし、同級生たちと所謂「ごっこ」をしてると、いつの間にか皆が本気でかかってきても、かなり手加減してやっつけていた。相撲大会に誘われたこともあり、軽く優勝できる自信はあったけど、マワシからチン毛がハミ出たら嫌なので辞退した(苦笑)。

 小2の途中からランドセルをやめて、ショルダーバッグを愛用していたのだが、小6で急に「もう小学生最後だから」とランドセルを背負い、毛嫌いしていた半ズボンを履いて登校した。知らない人から見ると、たぶん異様な小学生だったと思う。そんな感じで人の意表を突く「天の邪鬼」的な部分も、元からあったのだけれども、猪木によって・酔ってさらに増したのだ。


 両親は僕を育てたのだけども、思春期という多感な時期に猪木という者に魅了され、洗脳を受け、猪木に洗礼を受け、僕はこんなになっちゃったのだ。幼少期は、母方のおばあちゃんの遺伝子を継ぎ、思春期は猪木の遺伝子を模造していたのだ。
 だから神様みたいなものだし、神様って実は猪木のように凄いけどどうしようもない、どうしようもないけど凄い存在なんじゃないかと思う。
 両親がくれたものが「いのち」なら、プロレスがくれたものは「いのき」だ。これも過言じゃない。



 とにかく取材で猪木さんに会った。ガチガチに緊張した。だって、あのスーパーヒーローが目の前にいて、僕を見て喋っているんだもの。それでもなんとか考えておいた質問をしようとしたのだけど、自分の言いたい事を言い終わるまでは、人の質問を遮って話し続ける神様・猪木にたじたじだった。『朝まで生テレビ』で出ればいいのに……って思うくらいの喋りだった。
 そして、挨拶が肝心・挨拶を尊ぶ人なんだと直ぐ分かった。話し中であろうが、そこに入る時には大きな声で挨拶すると、どんな状況でも返事をしてくれる。そこから出て行く場合にも大きな声で挨拶すると、どんな状況でも返事をしてくれる。この歳になって新たな事を教わった気分だ。

 もう直ぐ、大阪で猪木さんの団体・IGFプロレスリングの大会が開催される。それを考えながら自宅で原稿書いていると、余計に様々な妄想をしてしまった。通常1時間半で書ける唯一の連載原稿が4時間以上かかった。
 ふと、「オヤジに猪木さんをプロレスを生で観せてやれたらなぁ……。どんなに喜ぶだろうなぁ……」と思ってしまったのだ。

 猪木好きだったオヤジのおかげと影響で僕ものめり込んだのだから。そしてこの機会がたぶん最後っぽいし。でも、ちゃんと間近で見られる席は2万円……。自分の分も含めて4万円……。親孝行したい時に金はなし、か……。来月は越えられるけど、今月は越えられそうにない僕が、下手にオヤジを喜ばそうなんて甘いんだろうな、何もかもに……。
 とにかく今度特養へ行く時は、オヤジに写真を見せてやろうと思う。だって、珍しく自慢できる仕事ができたのだから。
 
 その他に猪木さんと実際に会って気づいた事がある。
 鋭い眼光だと思っていたのだが、実はまるで瞳孔が開いてるかのように綺麗な澄んだ瞳をしておられた事。
 これまで何度も映像や写真で見ていたのに、「餃子耳」だと分かった事。
 とにかく僕はずっと緊張していた事。
 カメラマンさんがレンズを向けると、話し中でも猪木さんは反射的にカメラ目線になる事。
 撮られる際に直ぐあの満面の笑みの顔を作れる事。
 最近、自炊続きでさらに太った僕の顔が、猪木さんより大きかった事。
 年老いたからなのか、身長が3cm縮んだらしく、そんなにべらぼうに体格がデカイという印象ではなかった事などなど……。


 現在65歳の猪木さんが休む事なく動き続けている。うちのオヤジなんて、その歳には既に脳梗塞の後遺症と認知症とでヨボヨボだったのにな。

「(試合に)出る前に負ける事考える馬鹿いるかよっっ!!!」

【アナウンサーにビンタ!】



 世代交代の大一番であった試合前のインタビューでそう言って、テレ朝の佐々木アナウンサーを激怒ビンタしたあの時の言葉を今でも実践しておられる猪木さん。あの試合はなんとか勝ったけど、ボロ雑巾のようになって、「嗚呼、もう猪木は終わりなんだな」と思っていたら、そこで初めて「1、2、3、ぁ、ダーーッ!!」を披露した猪木さん。終わりは始まりなんですね。明日は明日の風が吹くんですよね。過去にこだわらず迷わず行こう、行けば分かるんですよね。 そして挑戦をあきらめたらダメなんですよね。


【引退式での挨拶】



【味噌汁で顔洗って出直すの真意】




 巷では「猪木信者」と呼ばれる“ファン”であったおかげで、漠然とした“不安”がかなり吹き飛びましたよ猪木さん。味噌汁で顔洗いますよ。お会いできて元気になりましたよ。元気があればなんでもできる!ってホントにそうですよね。
 ありがとうございました!(敬礼)
故人に謝罪を
火山ガスあきらめてください948

※この画像は以前どこかで拾った画像です。



 抗鬱剤や睡眠導入剤を飲むと物凄く喉が渇く。酷い時には、舌の表面がかさぶた以上にカチコチになっていることがある。それを補う為によく麦茶や番茶をたくさん飲む。たくさん飲むとオシッコに行く頻度がビックリするほど多くなる。
 しかも、薬の副作用により尿道が収縮しているらしいので、物凄く「出」が悪い。時には股間に激しい痛みが走ってトイレで踞りそうになる。
 僕がやたらトイレに行き、使用時間が長いと思われているだろうからここに報告しておく。

 それとは別に、これも薬の副作用で胃散の出過ぎになり、吐き気がよく起こる。凄いメタボリックな腹なのに、すぐにお腹がグーグー鳴る。
 最近は目眩が多い。立ち眩みや座り眩み、挙げ句の果てには寝眩みまで起こる。立ち眩みは、座ったらマシになる。座り眩みは、寝たらマシになる。寝眩みだけはどうしようもなく座っている方がマシなので、パソコンデスクの椅子に座ったり、やっぱり寝転んだりする。ソファはあるけど、猫たちしか座らない。

 中学生の頃から極度の偏頭痛がある。何度かMRIや脳波を検査したけど異常なしだった(今はわからないが)。他の鎮痛剤は飲んだら吐いてしまうので駄目だけど、EVE A錠は自分の体に合うらしくとても効く。

 少し前から、特に心臓あたりがシクシクと痛むようになった。心臓がある左側に負担をかけないように、右向きか真正面向きで寝る。
 目眩も偏頭痛も、心臓あたりのの痛みも寝転べばわりと解決する。

 三十路になるまでは、大阪で歩くスピードの速さ100位以内に入れる自負があったのだが、最近は心臓に負担をかけまいと体が要求しているのか、ご老人たちよりノソノソ歩く。階段を昇るのもハァハァと息切れすることがある。

 気づいた。これって一緒に暮らしていた父方のおじいさんとおばあさんと同じじゃないかって。母方のおばあちゃんがよく動きよく歩くのを見ていたので、当時は父方の祖父母を、
「歩くのは遅いし、階段で息切れするし、寝てばかりで年寄りなのに凄く太っているロクデナシ」
 なんて軽蔑していた部分もあったけど、今の自分がそうなってようやく気づいた。
 しかも、父方の亡くなったり倒れた人の死因や原因が、脳梗塞か心筋梗塞かがほとんど。いや、どちらかと決まっているようだ。自分にもその足音が聞こえるから、「血」というのは繋がっていると実感する。

 今度父方の墓参りに行ったら、「ごめんなさい、そしてありがとう」と墓石に向かって言おうと思う。
もうあかんかもしれない
※これは、朝や昼は読まない方がいいです。
※夜に読んだ方がいいです。




 今朝は資源ゴミの日だったので、7時半に起きてゴミを出した。そのまま起きてようと思ったが、心臓のあたりがしくしく痛むので、痛みが和らぐまで寝転んでいようとした。

 その間、ずっと眠れないで起きていたが何を考えていたのか全く憶えていない。結局、昼の14時くらいに電話が鳴って起き上がらなきゃいけないところまで寝転んでいたのだが、猫のタビがずっと僕の腕枕にいてくれた。7時間近く僕の腕枕でずっと寝ているって、コイツはまるで痛みを和らげようとしてくれているみたいだ、と思った。

 何も食べず事務所へ。電話やら連絡事項の仕事をした。途中でヘマをしたのでボスに「素人以下!」と罵られたけど、あれが原因でそこまで酷いとは思わない。でも、僕には罵られるだけの理由があり、素人以下だと思われるような言動が腐るほど多くあり、もう人間としてもクズのような、ゴミ以下のカス以下なので何を言われてもしょうがないと思った。長い間の投薬治療でおかしくなった頭で迷惑かけながら仕事すべきじゃないのだ。

 生きているのがもうしんどくて、死ぬのは怖くないけど生きているのが怖くて、自分の見すぼらしさが情けなくて、喫茶店で独り涙を何度も拭きながらひたすら泣いた。人目もはばからず泣いた。

 ポジティブとかネガティブとかもうそんなの関係なく、堕ちるとこまで堕ちたから「あとは這い上がるだけ」なんて言われそうだけど、這い上がることもできずもたもたして、何もできずにこのまま心臓の痛みが増して死んでしまった方がいいんじゃないかと思う。
 頭も結局お金の問題でMRI検査を受けてないからなんともいえないが、凄く悪い結果が出ると確信している。もう誰も心を打ち明けられるような訊いてくれるような人はいないだろうし、この年齢になってカス以下の僕は、もう救いようがないのでさっさとくたばって腐乱死体で見つかって病院で検死されて棺桶もないまま火葬場へ直行して、骨を拾う人もおらず、骨と灰はどっかの仏像屋のための仏像の材料にされるか、ゴミとして山に捨てられたらいい。

 ブルーハーツの『ロクデナシ』という曲の負の一部だけが今の僕にはふさわしい。


 役立たずと罵られて、最低と人に言われて、要領よく演技できず、愛想笑いも作れない、死んじまえと罵られて、この馬鹿と人に言われて、うまい具合に世の中とやってゆくこともできない、お前なんかどっちにしろ居ても居なくても同じ。



 できれば居ない方がいいんだ。居ても迷惑なだけなんだ。絶大なる味方なんていないし、家族も親戚もいないも同然だし、誰にも相手にされず、邪魔なだけなんだ。今の仕事はスキルもないまま騙し騙しやってきたけど、所詮カス以下はカス以下だ。


 今日の夜に旧友と会った。撮影用の道具を借りるため。「太ったな」「元気そう? そうでもない? いつものことやけど」「忙しい? あ、暇なんや」などと言われたが、まさか泣き出したりできずにちゃんと顔も見ぬまま「ありがとう」と言ってお別れした。

 だからここに来る皆にも先に言っとく。
 もうロウソクの火は消えそうです。もう人間じゃないので人間やめます。
 死にたくないと生きようとしている人がいるのに贅沢で愚か者でごめんなさい。
 こんなクズ以下の僕に良くしてくださっていろいろありがとうございました。





 もう僕には尾崎の『シェリー』を歌うことすらできない。
 愛されない邪魔者には愛すべきものすべてなどない。

 
ぜつぼう
 自分の駄目さ加減に呆れるしかない。

 自分に愛想が尽きた2008年初春。
 だいぶん前に仕組んどいた一括返済ローンを完全に失念していました。1/28(月)までに20万5000円返済て……。いま、全財産1万9000円しかない自分。夜勤の肉体労働しても、もう期日までに間に合わないでしょう。

 自分の在り方、身の振り方を考え整理せねば。
 頭がおかしいからってもう言い逃れはできない。
 脱力。虚無。しかも常に体調が悪い。現実逃避のために貪るほどの睡眠薬も無し。
 今すぐ自分で自分の頭をここにある金槌で、めり込むほど殴りつけたい。首吊りにはもう飽きたので。

 もうライターは諦めるしかなさそう。今までいろんな仕事をしたけど、一番長続きしていた仕事だったのにな。


 ワタクシ事ですが昨年、離れたりくっついたりして約13年付き合っていた彼女と、とうとう恋愛関係を解消しました、というか解消されました。13年のうち、違う女性に夢中になったこともありましたが。いつも結局元通りになっていました。離れたくないという意識がお互いにあったのでしょうが、今はもう微塵もありません。

 猫や動物全般が嫌いな彼女は、僕が無口なのに天然ボケであること、器用貧乏な部分、結婚とかにしか興味がなかったのかもしれません。それにしても13年も耐えてくれて感謝しかしようがない。

 僕は結婚もしたくないし、子孫も残したいとは絶対に思わない。独りで猫たちと戯れるだけが生き甲斐です。

 恋愛感情を数年前から無くしていた僕に、天罰がくだったのでしょう。毎回、彼女に借りていたお金のことも含めて、僕はもう絶望しか見えません。こればかりは、僕の幸せを願ってくださったり、祈ってくださったり、応援していただいてもなんの解決にもならないでしょう。

 7年くらいかかって、待ちに待った親父の特別養護老人ホームのことがようやく解決したのに、あとは死んでしまうのを待つだけなのに、今度は自分のお金のことで苦しんでいるなんて、本当に情けないです。苦難を越えたら、また新たな苦難が待ち受けているなんて……。

 亡き母に誓った遺文を書き上げたら、もう死んでしまっても悔いはないです。今のうちにライフワークを早く完成せねば、肉体的にも精神的にももう限界なのです。


 とにかくこんな愚かな愚痴を読んでくださってありがとう。
 2008年1月17日、ここに記す。
『東京タワー』
 日記の順序がバラバラになっていますが、大晦日は親父が居る特養へ行こうとしていました。しかし、寝過ごしてしまい、元旦に行くことにしました。

 帰省の際の電車内でしか読まない、リリー・フランキーの『東京タワー』を1/3ほど読んだまま8ヶ月以上放置していたんですが(その間は、友人が運転してくれる車で帰省していました)、今回の帰省のおかげで3/4くらいまで読めました。

 この本を読了した人の感想を読んでいると、おおむね間違っていると思うのです。この作品は、作者の苦労人で最愛のオカンが死ぬから泣ける、なんて甘っちょろい話ではなく、リリー氏が「東京というフィルターを通した人生観」が主なのです。オカンが死ぬという点では僕と同じかもしれませんが。

 まあ、これ以上書いたら、画廊のオーナーが制作したダイレクトメール、例えば「捉(とら)えすぎ」「詮索しすぎ」「絵ってそこまで大袈裟なもんじゃない」みたいな作家をヨイショしすぎな紹介文みたいになりかねないので、完全に読了するまで控えておきますが、とにかく文章というものは絵ではないので、テーマもなく心も籠ってない場合の絵や、単なる風景画にさえオベンチャラできる希有希有しい芸術批評付きの絵やデザインよりは、文章の方が感じる最大公約数が限りなく低いもの、絵よりもかなり直球で訴えることができるものだと思うので好きです。
 千差万別、十人十色、「人それぞれ」という結論が苦手な僕ですから、できれば伝えて気持ちを素直に受け入れてもらえる文章というものが好きなのです。だからといって絵が嫌いなわけではないです(「デザイン」というものに凝り固まるのは嫌いですが。あと、職業をクリエイター系と答える奴らは大抵苦手)。

 音楽もそれ(絵や芸術)に近いものがあるのですが、狭いものから広いものまで世界を結びつけられる手段としての音楽は評価します。しかしながら、「NO MUSIC NO LIFE」ではなく、「NO MUSIC LIFE」の僕は、いつまでも世界と交じり合うことがないのだろうな、と思います。のた~っとした江州音頭を聴いて育った僕にはリズム感や踊る才能などないのです。

 とりあえず僕は、『東京タワー』を読んで「号泣した」なんて感想を書いた人の稚拙さや、それをテレビドラマや映画なんぞにしてしまって馬鹿者、ストーリーだけを掻い摘んだそれらを観て、ああだこうだと述べる愚か者に言いたかっただけなのです。

 ちなみに自分のブログ【大阪タワー☼】™ を創設した際には、リリー氏の存在は名前だけしか知らず、氏の作品などまだ微かにも読んだことがなかったことをご報告しておきます。
 このブログは『東京タワー』のパロディでも対抗意識もない、純粋な大阪タワーを廻る想い出の捌け口なのです。


 それはそうと、元旦に特養へ行ったら、親父に食べさせようとした好物の柿をストップされてしまいました。近所の施設でノロウィルス患者が出たので、かなり敏感になっているとのこと。和服に着替えてわざわざ対応してくださった施設長が、なんべんも頭を下げておられたので恐縮でした。
 残念でしたが、新しいウエストポーチを喜んでくれました。1200円の安物でしたが……。今度は針が動く腕時計が欲しいと宣っていました。どうせすぐ無くすだろうから、1000円以下のを探します。
道路の花
 この街に住んで13年くらいになる。
 買い物などへ行く時は、いつも国道2号線の渋滞が多い横断歩道を渡る。
 そこでたまに自動車同士の事故が起こるのは知っていた。

 ある年から道路のガードレールのような柵に花が安置されるようになった。
 ここで誰かが死んだんだ。って通るたびにそう思うようになった。
 最初の頃は手を合わせたい気分だったが、いつまでもいつまでもそれが続くので、枯れかけた花を見るたびに嫌な気分になっている自分がいた。
 でも、完全に枯れる前にはいつも必ず新しい花にチェンジされた。
 きっと犠牲者のご家族(遺族と呼ぶのは好きではない)、母親や奥さん、もしくは恋人の仕業なんだろうけど、僕は花がもったいないとか、いつまでもこの道を通るたびに嫌な気分にさせられるのか、とさえ思っていた。
 ドライバーや通行人への啓発のためには良いのだが、いつまでも亡くなった人のために嘆くようなしつこさ、負のスパイラルが、なんとか前向きに生きてこの道を通りたい僕を時折腹立たせた。

 僕は花束とか根っこを切られた植物が嫌いだ。
 生き生きと咲いているように見えても、所詮あれは花の死骸だと思うから。枯れたら捨てられる運命にあるから。
 昔、実家がお花屋さんの友人がいたけど、「花にも農薬使ってあるから手が荒れる」と嘆いていた。その言葉のせいも加わって、生け花専門の花屋さんを見るたびに、どんなに艶やかなカラーであっても少し切なくなる。

 先月くらいから国道2号線の花が消えた。
 枯れた花さえもなく、花を生けていた筒状に似た器だけが残っていた。
 花を置いている人に何か不幸でもあったんじゃないか……。
 いつの間にかそこを通るたびに、心配という祈りに似た感情を持つようになった僕がいた。
 
 さっき、コンビニへ滞納していたガス代を払いに行く途中、そこを通ったら久しぶりに花があった。夜道を彩るカラフルな花が。
 ご家族の人、無事だったんだ!
 そう安心した僕がいた。
 花がカラフルで綺麗だと思う僕がいた。
 花を見て喜ぶ僕がいた。
 と気づいた僕がいた。

 とにかくもう、あの花が絶えず続くことを願ってやまない。



今日のテン207.12.23

※画像は膝の上に乗る本日のテン(♂)。ケータイのカメラで撮影
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