FC2ブログ
【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



 ようこそお越し下さいました。どうもありがとうございます。ごゆっくりしていって下さい。
※ご読了後に、各記事の右下にある「拍手」ボタンを押してもらえるとぬか喜びします。読んでもらえてるんだ、と実感します。コメントなんて特に要りませんから、過去記事にもお気軽にクリックしていただけると幸いです(これは、あらゆるランキングとかアクセス解析とかに全く関係ありません。単なる自己満足です)。


スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
子守唄
「もって、春までですね」
倉敷市にある柴田病院の伊丹医師はカルテを見てそう言った。

伊丹医師は、笑いにより免疫力を高める実践を始めた人。
母がテレビを観て「これだ!」と思ったのだろう。
「ここに入院したい」と強く僕にねだった。

見知らぬ土地の見知らぬ病院で、
ある種の権威が若僧の僕に会ってくれるだろうか。
不安ばかりだった。
ようやく会えて放たれた医師の言葉に愕然ともしなかった。
覚悟はできていたから。

最期が来るあたりの頃は、癌の痛みに耐える母を見るのがつらかった。
「苦しくて眠れない」と呟くので、
いつも肩のあたりをトントンと叩きながら子守唄を歌った。


ね~んねんころ~り~よ~ おこ~ろ~り~よ~
母さんは よいこだ ねんね~し~な~


モルヒネが効いて母が眠りにつくまで何度も何度も歌った。
歌いながら、僕が幼い頃に聴かされた母の歌声を思いだしたっけ。
“目をつぶって寝る”ということができなかった僕を、
なんとか寝かしつけようとしてもらった記憶がある。


他界後、すべての行事が終わってから病院へ挨拶に行った。
「あなたがた親子のことは一生忘れませんよ」
と、職員が病院で過ごした母の全部の写真を渡してくれた。
どの写真を見ても、僕の表情とは裏腹に母はとにかく笑っている。
満面の笑みでVサインをしてるのまであった。


それから呆然と暮らしていた毎日。
しばらくしてから、ふとその写真を見つけて、
「一度でいいから北海道に行きたいなぁ」と、
滋賀県からほとんど出たことのなかった母がよく言っていたのを思い出した。

飛行機にも乗ったことがない僕なのに、
次の日の航空機チケットと、
ススキノの外れにある小さなホテルを探し出し、
予約を完了して北海道へ飛び立った。“伊丹”空港から。

飛行機はすぐに北海道へ連れていってくれた。
北海道に着いたのはいいが、行く宛てがなかった。
とにかくレンタカーを借りて、支笏湖をぐるっと一周した。


突然、襟裳岬に行こうと思いついた。
きっと母なら「森進一のあの歌の場所に行ってみたい」と言うに決まってる。
そう思って、給油の時以外は休憩することなくひたすら車を走らせた。
襟裳岬に着いたのは夕暮れが終わる直前だった。

本当にあの歌の通り、何もないところだった。
暗くなった海が果てしなく広がるだけの風景。
僕はおもむろにポケットにしまっておいた
母の写真を取り出して海の方へ掲げた。
あのVサインをしている写真を。

ここに着いたらきっと、「襟裳岬」のメロディが
心に流れてくるだろうと確信していた。
でも、そのメロディは全然浮かばなかった。
その時、心に聴こえてきたのは、
なぜか幼い頃に聴かせてもらったあの子守唄。

母が海へ向かって歌い始めた。
暗闇に消えていく海は、深い眠りについた。


それから、釧路湿原に向かって朝まで車を走らせた。
広大な湿原を目の当たりにしてから札幌へ帰ることにした。
大きな山をいくつも越え、高速道路をアクセル全開でぶっ飛ばし、
ようやく空いていたススキノの外れのホテルに着いた。
車の運転は、教習所を出て以来ほとんどしたことがなかったが、
結局、二日弱で1000kmも走ったことになる。

ホテルの部屋に入っておもむろにテレビのスイッチを入れると、
NHKの歌謡ショーの番組で、
ちょうど森進一が『襟裳岬』を歌い始めた。
テレビだけど、北海道で聴く『襟裳岬』は格別だった。

~北の街では もう 悲しみを暖炉で 燃やしはじめてるらしい~



2005年08月16日20:50
関連記事
copyright © 2007-2017 【大阪タワー☆忘れたい人】 all rights reserved.
全ての文章の無断複写複製を禁止します。
Powered by FC2ブログ. | Template by Gpapa.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。