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【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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癌家系なんです「ジョンおばさんの話」
亡き母には姉がいた。
僕にとっての伯母さんにあたる。
その伯母さん夫婦のことを、
「ジョンおばさん」「ジョンおじさん」と呼んでいた。

なぜ、「ジョン」なのかというと、
ジョンという名前の大きな白い犬を飼っていたから。
タマという白猫も飼っていたのだけど。

僕はジョンおばさんの家に行くと、タマばかり相手にしていた。
タマは大きくて太っていて獰猛で「デブタマ」と呼ばれていた。
飼い主以外には懐かないこの猫を、
なんとか懐柔させようとしたが無理だった。

ジョンおじさんは、今でいえばドメスティックバイオレンス。
ジョンおばさんもその娘のミキちゃん(仮名)も、
殴られて鼻血を出したとかアザができたとかってよく聞いた。

ミキちゃんが言うには、
幼い頃、自転車に乗せられて遊廓に連れて行かれ、
「終わる」まで店の前で待たされていたという。

ミキちゃんは従姉だけど、僕とは血が繋がっていない。
養女だからだ。
ジョンおばさんの夫婦は子供に恵まれなかった。
何度か流産したという話も聞いたことがある。
養女であるミキちゃんの産みの母親は、
15回ぐらい離縁したことがあるというツワモノらしい。

ミキちゃんも僕の知る限り、2回ぐらい離婚している。
ミキちゃんの子供は、長男と長女の父と、次女の父が別々だ。
次女の父親は「韓国人のお金持ち」だと自慢していたが、
養育費もくれないのをどうして自慢するのかわからない。
血筋なんて自慢できるもんじゃない。
よく「うちの先祖はどこどこの武将だった」などとほざく人もいるが、
先祖は一人だけじゃないし、農民の血だってなんだって混じっているんぞ。
いろんな血が混じってできたのが自分ぞ。

お金持ちとかステイタスに誘惑されやすい職業なんだろうけど、
ホステスだったミキちゃんは、間違いなく産みの母親の血をひいている。
そのあたりをあまり自慢しないのはどうかと思う。

アバズレは言い過ぎだけど、そんなミキちゃんは、
若い頃からジョンおばさんを困らせていた。
だからかどうか知らないけども、
ミキちゃんよりも僕を可愛がってくれた。

ジョンおばさんの家が引っ越してから、何度か遊びに行った。
書斎もある広くて立派な家だった。
家には帰らないミキちゃんの部屋までちゃんとあった。
一度だけ家に帰ってきていたミキちゃんは、
小学5年生の僕に『俺の空』という漫画をくれた。
家に持って帰って隠してこっそり読んでいたら、
母親に見つかって捨てられてしまった。猥褻だという理由で。

しばらくしてから、ジョンおばさんの家の
1匹数万円はする金魚たちが死んでいった。
犬のジョンも死んだし、あの強いデブタマもさえも死んだ。
ジョンおばさんも乳癌になってしまった。

霊能師に相談するため、家に来てもらおうとしたら、
「このエリアには怖くてこれ以上は入れない」
と言われたそうだ。
さらに「この土地には人がいっぱい埋まっている」とも…。

僕はオカルトとかホラーとかは、全くくだらないし、
当時は霊なんか信じなかったのだが、この時ばかりは信じた。
なぜなら、すぐ近くに火葬場があったから。

母親などが死んだ時、火葬場のオッサンに聞いたことがある。
「あまった骨とかは隣の山に捨てる」って。
最近は仏像とかを作る業者が灰になった遺骨を集めるらしいが。


ジョンおばさんの近所でも不幸な事件がいろいろ起こった。
向かいの家の人がガラスに突っ込んで出血多量で死んだり、
大きく報道された殺人事件もジョンおばさんの町内で起こった。

ジョンおばさんは結局、乳癌で片方の乳房を切り取った。
手術跡を見せてもらったことがあるが、
大きな傷跡と片方だけ残った乳房が印象的で、
僕は今でも片乳だけ出したヌード写真とかを見ると、
どんなに美人でも萎えるし怖い。
すっかりトラウマになっている。

手術後も結局は全身に癌が転移してしまったジョンおばさん。
フラフラになりがらも、自分の母(僕のお婆ちゃん)のところに通っていた。
お婆ちゃんはジョンおばさんを子供の中でも一番可愛がっていた。
他の子供の名前は呼び捨てなのに、
ジョンおばさんだけには「ちゃん」付けで呼んだ。

戦時中、ジョンおばさんはどういう経緯か知らないが、
多くの子供の中で一人だけ満州へ疎開していたそうだ。
戦後に日本へ帰ってきたそうだが、
「○○さんの家はどこですか?」と、
幼い自分の姉妹(僕の母親ら)に尋ねてきたそうだ。
物凄く汚いみすぼらしい坊主頭の男の子が我が家に来たと思っていたら、
それが自分の姉であるとわかりびっくりした、と母親が言っていた。
強姦されないように坊主頭で過ごしていたそうだ。

まさか生きて帰ってくるとは思わなかったのだろう。
お婆ちゃんはジョンおばさんをとても贔屓したけど、
それは全然嫌な贔屓ではなかった。
むしろ微笑ましかった。


ジョンおばさんの夫婦は、呪われた家を出て借家住まいになった。
電車の線路が真横にある、以前とは比べ物にならないボロ家だった。
その家から、末期癌でボロボロの状態でお婆ちゃんに会いに来ていた。
お婆ちゃんへの愛情が、ジョンおばさんの身体を動かしたのだろう。
その状態が長く続いたが、結局はまた入院することになった。


病院へお見舞いに行くと、僕の顔を見て
「ボン、よう来たなぁ」と小遣いをくれた。
「ボン、またおいでや」と言ってくれた。
「ボン」を標準語にすると、「坊や」みたいなものだろう。


ジョンおばさんが危篤になった時、母親に報が入ったが、
臨終には間に合わなかった。
母親はそのことをずっと悔いていたっけ。

葬式の後、母親が泣いていた。
泣いている姿を見たのは、離婚したいと
僕ら兄弟を連れて家を飛び出した時以来、二度目だった。

人間の死体を見たのはその時が初めてだった。
永遠の眠りについたその顔は、母親にそっくりだと気づいた。
泣き虫をとっくに卒業していた僕だったけど、なんだか涙が流れた。

ジョンおばさんが焼かれたのは、
くしくも前の家があった近所の火葬場だった。



ジョンおばさんが死んで間もない頃、
まだ我が家はひとつの部屋で川の字になって寝ていた。

僕が真夜中に目を覚ますと、
隣りにジョンおばさんが寝ころんで僕を見ていたことがある。
目が合ったんだけど、不思議と安心した気持ちになり、
再びそのまま眠った。

明くる朝、母親に
「ゆうべ、僕を見てた?」と確かめたけど、
「見てない」と言った。
母親にそのことを話すと、
「ふ~ん」と言って、仏壇もない我が家の
タンスに置いてある人形に手を合わせた。
8年後に自分も癌で逝ってしまうとは知らずに。



【追伸】
この話は、「お盆だから」といって書いたわけではない。
たまたま僕の指を動かせたのが今日だっただけだ。
夕べ、僕は死にかけたんだけども。


2005年08月15日17:26
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