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オリンピックの柔道の井上康生選手の名前を見たり、
ネットを徘徊していると誕生日が2月26日の人がいたりするのを見ると、
そこで私は思い出してしまうのだ。弟のことを。
以下はパソコンに眠っていた昔の日記です。
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2月26日。
毎年、この日は気分がダークになる。
私には弟がいる。
いや、「いた」と言った方がいいのかもしれない。
弟がいなくなってからもうじき3年になる。
私は一人暮らしだが、弟は父と一緒に実家に住み会社に通っていた。
友人の披露宴に出席した次の日に姿を消した。
弟の会社からの連絡でそれが発覚した。
もちろん、父は警察に捜索願いを出した。
かといって警察は積極的に探してくれるものではない。
警察に捜索願いを出しただけでは、
事件や事故で身元不明の遺体が出てきた時にしか発見できないだろう。
いなくなってから4ヶ月ぐらい後に、
弟が家賃を滞納したまま行方不明だという電話が、
東京の不動産屋からかかってきた。
そこで初めて、弟が東京に移り住んでいたことが発覚した。
それから1ヶ月後、弟から郵便が届いた。
遺書だった。
郵便には、免許証、通帳、定期預金証書、印鑑、印鑑証明など
弟には必要なものがすべて入っていた。
私への不満、父への怒り、母方の親戚への不信、父方の親戚への怨みなどを書き連ねた手紙と一緒に。
「貯金は兄さんに全部あげます。
この手紙が届いた頃には、僕はもうこの世にいないものと思って下さい」
手紙の最後にはそう書かれていた。
出て行きたくなるような家庭、遺書に残してまで父方の親戚を怨んだ生活。
私は実家から逃避した身だから、手紙に書いてある内容を深く理解した。
そんなに怨んでいるなら、父方の親戚を殺してしまえばいいのに‥‥。
犯罪者の兄になってもいいから、父方の親戚を殺しにでも姿を現わしてほしい。
弟は小さい頃から泣き虫だった。
父が仕事から帰ってくる度に泣いていたので、いつも叱られていた。
おとなしくて、友達もあんまりいなかった。
学生になってからは友達もできたようだが。
弟がいなくなった部屋に残された、友人たちとカラオケで騒いでる写真を見て安心した。
弟の友人たちに尋ねれば、ひょっとしたら誰かが居所を知っているかもしれない。
そう思って何人かの方に電話してみたが、結局あきらめた。
お前が探してほしくないのなら、探さないでいてやろう。
物心ついた頃から、兄弟ゲンカをしなくなった。
弟とあんまりしゃべらなくなった。
私が中2の頃にボロカスに蹴り飛ばして叱った頃からだ。
気難しい弟だった。
外ではおとなしいくせに、家庭ではすぐにキレる奴だった。
弟は高校生の頃、「死んでくる」と言って家を出てしまい、
私は必死で川や湖の方を探した。
弟は、電車に飛び込もうと思ったらしいがやめて帰ってきた。
弟は一度、父を殴った。
私は、父の父(祖父)を先に何度か殴っていたが、
父を殴ったことがなかったので、先を越された気分だった。
私には理解できる。
「死んでくる」と言って家を出たことも、父を殴ったことも。
本当に本当に肩身が狭く、つらい家庭だったね。
すべては父と父方の親戚のせいだと思っているんだろ?
私もそう思っている。
どんなに年齢を重ねたって、父と父方の親戚を許しはしない。
私もたぶんお前も、お母さんを殺したのは父と父方の親戚だと思っている。
お母さんが癌で死んでから、家族の夕食はしばらく私が作っていた。
おいしいものを作った時は残さず食べてくれてうれしかったよ。
逆に食事を残された時は、悲しくなったけど。
私が一人暮らしを始めた頃から、コンビニ弁当ばっかり食べていた弟よ。
たまに実家に帰った時は食事を作る時もあったけど、結局作らなくなってしまってすまない。
お母さんの代わりに食事を作ってあげられなくなってすまなかった。
私の誕生日の時に、初めてプレゼントをくれたときはうれしかったよ。
お母さんが死んでからも、お母さんが買ってくれた服を着続けていた弟よ。
私があげたお下がりの服を着てくれた時はうれしかったよ。
お前の誕生日に靴を買ってきたら、ぶっきらぼうに「ありがとう」と言った弟よ。
抑圧された家庭で、楽しいことは数えるほどだったね。
一緒にファミコンをしていたことがお前との唯一楽しい想い出。
あとは、父がいない時に、お母さんと3人で笑いあったりしたことぐらいかな。
私が死んでしまうまでに、いつか会えると信じている。
だから弟よ。お前を探したりはしない。
どんな人間になっていたって、お前を責めたりはしない。
どこかで生きていてくれればそれでいい。
康生(ヤスオ)よ。誕生日おめでとう。
これからも何度も2月26日はやってくるだろう。
そのたびに俺は、誕生日おめでとうおめでとうと心から願っている。
2002年02月26日
ネットを徘徊していると誕生日が2月26日の人がいたりするのを見ると、
そこで私は思い出してしまうのだ。弟のことを。
以下はパソコンに眠っていた昔の日記です。
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2月26日。
毎年、この日は気分がダークになる。
私には弟がいる。
いや、「いた」と言った方がいいのかもしれない。
弟がいなくなってからもうじき3年になる。
私は一人暮らしだが、弟は父と一緒に実家に住み会社に通っていた。
友人の披露宴に出席した次の日に姿を消した。
弟の会社からの連絡でそれが発覚した。
もちろん、父は警察に捜索願いを出した。
かといって警察は積極的に探してくれるものではない。
警察に捜索願いを出しただけでは、
事件や事故で身元不明の遺体が出てきた時にしか発見できないだろう。
いなくなってから4ヶ月ぐらい後に、
弟が家賃を滞納したまま行方不明だという電話が、
東京の不動産屋からかかってきた。
そこで初めて、弟が東京に移り住んでいたことが発覚した。
それから1ヶ月後、弟から郵便が届いた。
遺書だった。
郵便には、免許証、通帳、定期預金証書、印鑑、印鑑証明など
弟には必要なものがすべて入っていた。
私への不満、父への怒り、母方の親戚への不信、父方の親戚への怨みなどを書き連ねた手紙と一緒に。
「貯金は兄さんに全部あげます。
この手紙が届いた頃には、僕はもうこの世にいないものと思って下さい」
手紙の最後にはそう書かれていた。
出て行きたくなるような家庭、遺書に残してまで父方の親戚を怨んだ生活。
私は実家から逃避した身だから、手紙に書いてある内容を深く理解した。
そんなに怨んでいるなら、父方の親戚を殺してしまえばいいのに‥‥。
犯罪者の兄になってもいいから、父方の親戚を殺しにでも姿を現わしてほしい。
弟は小さい頃から泣き虫だった。
父が仕事から帰ってくる度に泣いていたので、いつも叱られていた。
おとなしくて、友達もあんまりいなかった。
学生になってからは友達もできたようだが。
弟がいなくなった部屋に残された、友人たちとカラオケで騒いでる写真を見て安心した。
弟の友人たちに尋ねれば、ひょっとしたら誰かが居所を知っているかもしれない。
そう思って何人かの方に電話してみたが、結局あきらめた。
お前が探してほしくないのなら、探さないでいてやろう。
物心ついた頃から、兄弟ゲンカをしなくなった。
弟とあんまりしゃべらなくなった。
私が中2の頃にボロカスに蹴り飛ばして叱った頃からだ。
気難しい弟だった。
外ではおとなしいくせに、家庭ではすぐにキレる奴だった。
弟は高校生の頃、「死んでくる」と言って家を出てしまい、
私は必死で川や湖の方を探した。
弟は、電車に飛び込もうと思ったらしいがやめて帰ってきた。
弟は一度、父を殴った。
私は、父の父(祖父)を先に何度か殴っていたが、
父を殴ったことがなかったので、先を越された気分だった。
私には理解できる。
「死んでくる」と言って家を出たことも、父を殴ったことも。
本当に本当に肩身が狭く、つらい家庭だったね。
すべては父と父方の親戚のせいだと思っているんだろ?
私もそう思っている。
どんなに年齢を重ねたって、父と父方の親戚を許しはしない。
私もたぶんお前も、お母さんを殺したのは父と父方の親戚だと思っている。
お母さんが癌で死んでから、家族の夕食はしばらく私が作っていた。
おいしいものを作った時は残さず食べてくれてうれしかったよ。
逆に食事を残された時は、悲しくなったけど。
私が一人暮らしを始めた頃から、コンビニ弁当ばっかり食べていた弟よ。
たまに実家に帰った時は食事を作る時もあったけど、結局作らなくなってしまってすまない。
お母さんの代わりに食事を作ってあげられなくなってすまなかった。
私の誕生日の時に、初めてプレゼントをくれたときはうれしかったよ。
お母さんが死んでからも、お母さんが買ってくれた服を着続けていた弟よ。
私があげたお下がりの服を着てくれた時はうれしかったよ。
お前の誕生日に靴を買ってきたら、ぶっきらぼうに「ありがとう」と言った弟よ。
抑圧された家庭で、楽しいことは数えるほどだったね。
一緒にファミコンをしていたことがお前との唯一楽しい想い出。
あとは、父がいない時に、お母さんと3人で笑いあったりしたことぐらいかな。
私が死んでしまうまでに、いつか会えると信じている。
だから弟よ。お前を探したりはしない。
どんな人間になっていたって、お前を責めたりはしない。
どこかで生きていてくれればそれでいい。
康生(ヤスオ)よ。誕生日おめでとう。
これからも何度も2月26日はやってくるだろう。
そのたびに俺は、誕生日おめでとうおめでとうと心から願っている。
2002年02月26日
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