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【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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カツラ
鳥が泣く




 梅雨、髪が鬱陶しいのもあったがスキンヘッドにした。
 すでに薄くなりつつあった前髪あたりが、洗髪中や起床時にばさっと抜けた。酷い幻聴や思い通りにならない自分に、ストレスを感じたからなのかどうかわからない。とにかく剃った。剃れば生えてくるだろうと。

 カミソリだけでは0mmの完全スキンヘッドにしようにも上手く剃れない。でも、ほぼ完璧に剃り上げて、軽いものなら頭皮にペタッとくっつくようになった。
 薄くなっていた部分は生えてこなかった。いや、生えてきたのもあるが産毛に近いチョロ毛。何度か剃ったけど結果は同じ。思いきってそのまま伸ばしてみた。

 伸ばすと、くっきり濃い部分と抜けてもう生えてきそうにない部分が明らかだった。精神系のせいなのか、脳梗塞のせいなのか、それに対応できない自分が何故にこんなにおかしいのか?というストレスなのか。極度の落ち込みや物忘れなどなのか原因が不明だった(今でもどちらが悪いのかという境界線はない)。

 ハゲたら思いきってスキンヘッド、なんて言ってたこともあるが、それが勇ましい行為なのか、こうして実際に起こってみると不明だ。なぜなら、残りの毛でもやはり有るものさえも全部なくしてしまうのには抵抗感がある。髪はクッション的な役割もするし、大袈裟にいうと「生」までもを感じる。
 だから、現役バリバリ当時の中曽根元首相の「バーコード頭」や、磯野波平の頭頂部にある1本毛さえも今は理解できる。あれは無様な最後の抵抗ではないのだ。己の威厳を保ち、「生」を感じていたいのだ。僕はスキンヘッドにするにあたって、どうせならサイドや後頭部の毛もなけりゃ手間いらずでいいのに……とさえ思った。スキンヘッドは男くさい頭ではあるが、髪の毛に対しては全面降伏した状態とさえいえる。だから満員電車などで、必死に「髪の砂漠化」を防ごうとしている頭のオジサンたちを見つけても笑ってはいけない。あの人たちは戦っているのだ。

 髪の毛もきついが、指先までの右腕全体(肩甲骨も含む)の痺れ・痛み・震えも尋常ではない。眠剤で寝ていても痛みで起きてしまうほど。原因は、首の頸骨の神経が圧迫されているからだとわかった。それがわからなかったら、たぶんずっと精神科医に「薬のせいじゃないですか?」と繰り返して叱られ続けていただろう。あれほど信頼している整骨院に見切りをつけていたかもしれない。この頸骨の圧迫部分は、手術できないこともないが、大事な神経が集中する箇所のため、「リスクが大きすぎるので痛みなどは我慢してください」と神経内科医師に言われた。我慢できようもない場合が多いが、手術が失敗して下半身不随などになるよりはマシなのかも……と自らに言い聞かせている。

 そして原因不明の頭痛。偏頭痛には中学生の頃から悩まされていたが、ここ数年は単なる頭痛が毎日起きてほぼ1日3回鎮痛剤を飲んでいた。それでも治らないので、幾度か「MRIをせねば」とmixi日記やブログに書いていた。
 MRI検査代は高いとか、大きな病院へ行くのは検死の時だけと腹をくくっていたのだが、さすがにリンパ腺が腫れ上がって顔と首の一部が変形したので、重い腰を上げて病院へ検査に行った。リンパ腫の癌だとすれば、余命を知らねばならなかったからだ。
 結局、(性病ではない方の)ヘルペスと診断された。腫れ上がった箇所でおでこに3つ、目と目の間の鼻あたりに1つ、膿が出来て潰れてえぐったような穴があき陥没したまま治る気配がないけども……。





 リンパ腫に良性もくそもない、ってその悪性を抱える友人、いや同志である鹿児島のリカさんがそう言って電話の向こうでカラ笑いしていたことがある。
 リカさんは、あらゆる箇所に腫瘍や重い病を抱え、心臓まで悪いので、何度か死にかけた。心臓が悪いせいで全身麻酔を受けられなく、リンパ腫の手術ができないため、麻酔医に何度も全身麻酔をしてくれるよう強請っている、と笑っていた。

 ある夜、リカさんが死にそうな声で今の状況を病室から伝えてきた。明らかに様子がおかしかったが、どうやら手術をしてもらえたようだった。寂しく悲しくつらいと言っていた。あんなに強気の人が……。別の日にその時のことを話すと、まるっきり憶えていなくて意識が飛んでいた状況で僕に電話をかけていた、と判明した。

「この傷と痩せ細った自分は、人様に会えるような状態ではない」
 そのようなことをリカさんは寂しそうに言ったが、僕はそんなこと気にしないから、同志として今のうちにサシで話しておかねば、みたいなことを言った。そしたら、リカさんは、僕に手紙を強請った。

 書いて送ると言ったまま右腕の痺れなどのせいで、たくさんの文字を今はちゃんと書けない、と手紙を拒んでいた僕だったが、痺れと痛みを通り越してなんとか書いた。便箋に3、4枚は書いただろうか。最後の方は同じ人物が書いたとは思えないひどい文字になっていたけど。

 しばらくして僕の携帯電話にメールが届いた。

「手紙届いたよ、ありがとう。嬉しかった。(中略)誰かが去ってく姿にほっとしてしまうなんて私はやっぱり歪んでいるのかな。」

 僕の携帯電話にそう残したままリカさんは消えた。あんなに華やかかつ波瀾万丈な人生を歩んできた人が、麻酔で意識朦朧とした時に、よりによってこんな僕に電話をかけてきてくれたことは哀しくも嬉しく光栄だったのに……。

 朦朧としながらも「念のため」といろんな連絡先を教えてもらっていたのだが、僕はまだ怖くて、結果を知りたくなくて、その後どうなったかを訊ねる手紙は書いていない。ひょっとしたら僕が電話を止められていた半月の間に何かがあったのだろう。こちらから連絡しようにも、たくさんありすぎたリカさんのすべての連絡ツールが 終 わ っ て い た 。
 あとは正気の時に教えてもらった実家の住所だけ……。

「今度は私自身が先に去ってしまってほっとしてるんだ」

 そんな感じで戯けて言いそうな気がする。僕はその後の本当の“結果”を知る勇気がなくて、今も手紙は出せないでいる。いつか心が安らいだタイミングを見て、せめてご家族が読んでくださるような内容の手紙を出そうと思っている。
 ボロ雑巾のようになっても生きていろ、だなんて言わない、言えない。でも僕は、あの、妙なくらいにお互いの心を開けた、同じ誕生日のリカさんと、いつか理想だの馬鹿話だのをタバコを燻らせながらしたい。だから、どんな状況になっていても、まだまだ無邪気なあのリカさんは生きていることにする。




 
 ともかく長くなったけど、僕の脳梗塞や頸骨の異常が見つかったのはリカさんのおかげ。でも、毛は抜け、右腕は痺れてデスクトップのカーソルさえも合わせることが難しい。おまけに剃った後の髪に多量の白髪が生えてきた……。

 これまで女性はともかく、男性は「ロマンスグレー」なんて言葉もあるから、白髪も結構いいんじゃないかと思っていた。なぜにこんなにまで忌み嫌われているのかあまり解ってなかった。実際になってみると無惨。おまけにハゲ。好きなヘアスタイルにももうたぶん出来ない。一気に年老いた。ほっぺたから首の途中までまるで熊のようにヒゲを伸ばしていたら、ヒゲにも白髪が続出。そして、鼻毛を抜いたらそれが白髪……。

 うちの母は、白髪を憎いほどまでに気にしていたが、やっと解った。染めりゃあいいさ、なんてレベルでもないし、僕は白髪を黒く染めた毛とか微妙なヅラでもすぐに見分けてしまうので、それが不自然な状態だと思ってしまう。

 抗癌剤で毛が全部抜けた母は、ドケチのオヤジに対して唯一強請ったものが、カツラだった。ボロボロの自転車を銀色にスプレーしたものでも10年くらい我慢・愛用していた母が、40万円くらいもするカツラを強請ったのだ。ドケチオヤジは驚きつつ反対しつつ、結局は母に買い与えた。奇跡というか母の執念か。

 さすがに男性用と違って女性用で40万円もするカツラは、ヅラハンターの僕でさえなかなか見分けがつきにくい物だった。その後、抜けた毛が生えてきたのだが、全部完璧に白髪だったのでひどく落ち込んでいた。僕が心残りなのは、せめて棺の中にいた母にそのカツラをかぶせてやるべきだった、ということ。バタバタしすぎてカツラのことさえ忘れていたのを後悔している。

 リカさんも母も「人前に出たくない」と言ってたのが今になって痛いほど解る。男である今の僕だってそうなんだもの。女性なんてもう混乱どころじゃないはずだ。





 病院へ通い出してから、ヘソが痛くなった。昨年から急にデベソになったのだ。臍(さい)ヘルニアだったんだけども、手術は費用10万円と入院期間が長いのが当初のネックだった。外科医師は「いつでも」と言ってくれてたけど、どうやら心臓の検査でOKが出るまでは、全身麻酔手術になるので無理っぽいし、よほどの状態になるまで放置しておき、今は神経内科と精神科、そして頸骨が少しでも楽になるように整骨院へ通うしかない。

 先日、オヤジのいる特養へ行った時、オヤジの毛を確かめたら、ハゲ具合は同じくらいでやや僕の方がマシかな、と思ったけども、オヤジの方が白髪が圧倒的に少なくて愕然とした。

 もっと愕然としたのが、オヤジは手すりが強固なベッドならともかく、椅子からはもう自力で立ち上がれなく、夏に会った時にも気になったけど、ほぼ歩けるというには程遠い状態になっていたこと……。
 
 最近の僕は調子が悪い場合、街なかで亀のように歩くのが遅い。杖をついた老人にも追い抜かれるし、松葉杖のケガ人にも追い抜かされる。老人に抜かされた時には、「あの人は、僕より先に行く(逝く)人だから」と自分に言い聞かせたが、僕よりも遅いオヤジはいったい幾つまで生きる気なのだろう……。せめてあのカツラは処分してくれればよかったのに、どこまでケチンボなんだ! それとも妻にあげた思い出の品なのか? まだたぶん実家に残っているはずだ。

 

 この老いた顔(ツラ)のスキンヘッドでヨボヨボ、医者も口ごもってしまうような50~60代並みの脳梗塞、精神科通い、統合失調症寸前、腹だけデブ、PCのタイピングやクリック、カーソルを合わせることもまともにできない、ライターとして致命的な右腕、記憶力欠如、それまでよりさらに話し下手になり、そしてすべてが遅く、のろま、馬鹿、経済力一切なし、先見の明なし、実のところ社会人として生きるには肝心なことは何もわかってない僕です。類稀な最低の最下位の「人」とさえも呼べないほどのカスです。
 そういうような自分を思い出したことを忘れるために飲んでいたお酒さえ、もう飲めなくなった。お酒の味を知っている者が、一時期はアル中並みに飲んでいた者が急にやめるのは思ってたよりつらい。
 

 いま、僕は強烈に寂しい。人生の目的を放って消えてしまいたいほどだ。
 恩人になにも出来ず、泣き嘆き塞ぎ続けるだけの毎日。
 それでも皆さんはこんな屑男を愛でてくださいますか?
 もし、愛でてくださっても、こんな僕ではなにも出来ませんよ。
 カツラが欲しいって喚くかもしれませんよ。
 
 重い病名があったからカツラを買ってもらえた母。重い病名が付いて安心した僕。これで病気でもなんでもなく、健康体でただの怠け者で単なるバカです、って言われてたら、僕は狂乱していたかもしれない。
 現在の状況において、ああ病気でよかった、だなんてほんの少しでも思うのは、捨て台詞を吐いて逃げていくチンピラ以下だよなぁ……。

 
 
 
 
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