【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



 ようこそお越し下さいました。どうもありがとうございます。ごゆっくりしていって下さい。
※ご読了後に、各記事の右下にある「拍手」ボタンを押してもらえるとぬか喜びします。読んでもらえてるんだ、と実感します。コメントなんて特に要りませんから、過去記事にもお気軽にクリックしていただけると幸いです(これは、あらゆるランキングとかアクセス解析とかに全く関係ありません。単なる自己満足です)。


スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
15回目の命日
 今日は母の命日だ。
 確か夕方4時半すぎに逝った。かつて病室から母と二人で眺めた、大きな二つの虹が出た方角の空から、昇って往く光が降り注いでいたのを、亡骸を放ってじっと見つめていた。

 あの時の何もかもを、もう僕は笑い話にさえ昇華できる。
 危篤の時、ケータイがほぼなかった時代だったから、必死に公衆電話に小銭を積みながら弟や親族を呼び集めたこと。そんなこと病院がしてくれりゃあよかったのに……って思うこと。

 母の死化粧が終わって、近くに借りていた平家の僕の家に亡骸を運び込んでからやっと到着した伯母が、まるで映画のワンシーンのように飛び込んできて、亡骸にすがりついて泣いていたこと。あのシーン、フィルムに収めておけばアカデミー賞なんて比ではなかったんじゃないか……って思うこと。

 大勢の人前では一切話せないオヤジの代わりに、喪主挨拶を考えるため、葬儀が始まる寸前まで近所の友人の家でイライラしていたこと。結局、皆が望むような泣きの演説で、思惑通り会葬者らを号泣させたこと。

 火葬場のオッサンが偏屈者であることを知った弟が、母をちゃんと焼いてもらうために、誰が見ても分かるような物凄い作り笑いをして、オッサンのご機嫌を取ろうとしていたこと。

 弟の国家試験の合格を待ち望んでいた母であったが、合格通知が来たのは葬儀が済んだ翌日だったこと。

 一番大事なものを亡くした僕は、その時なにももう怖くなく最強だった。だからヤクザも殺人鬼も核兵器も怖くなかったこと。だから誰も仕切れないであろうと思われた葬儀等が僕の指示通りに行われたこと。

 葬儀の会場の隣りに、小5時代の担任教師の自宅があった。昔は泣き虫だった僕の挨拶を聞きながらきっと「まだあの子(僕のこと)は泣き虫だ」って思ったろうってこと。だから、しばらくして罰でもアタったのであろう、その担任の家が火事になったこと。



 こうやっていろいろ思い出せるように見えるかもしれないけれど、実はもうたくさんの記憶が遠ざかって失われていること。過去の日記を読んでも思い出せないことがあること。

 最愛の人をバックアップして見事に敗れた僕だったが、まだまだもっとできることがあったんじゃないかってこと。それを少し悔いてること。母が逝ってからの毎日、忘れたことなどなかった日々だったけど、もう忘れる日々があること。

 そう言いながらも、未だ母に依存していることがあること。

 母の早い死がなければ、きっと普通の生活を送っていただろうけど、文章に依存し、書くことで人生を昇華する僕は生まれてなかったであろうこと。

 何より寂しいのは、こういった思いや思い出を懐かしい話として共有できる人がもう周りに誰もいないこと。僕は友人らに支えられながらも、まだ孤独から抜け出せないでいること。

 誰にだって最愛の人の死は訪れるものなのに、僕一人が何もかもを背負って生きているような態度が自分でも解せないこと。



 嗚呼、夢の中でもいいからいっぱい喋りたいことがあるんよ、お母さん。まさか自分が心底憎かったオヤジの為にいろいろ尽くすとは考えてもみませんでした。亡くしてから気づいた「遅れマザコン」はまだまだ続きそうですよ。願い事を叶えてくださるなら、できれば死ぬまでに一度でいいから、遺書を残して消えたに会いたいです。
関連記事
copyright © 2007-2017 【大阪タワー☆忘れたい人】 all rights reserved.
全ての文章の無断複写複製を禁止します。
Powered by FC2ブログ. | Template by Gpapa.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。