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【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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【闘魂に萌え!】アントニオ猪木に逢えて会えた事
 今月、アントニオ猪木さんを取材する機会に恵まれた。「恵まれた」どころじゃない、恵まれすぎた。


 思春期のスーパーヒーローは、ウルトラマンでも仮面ライダーでもなくアントニオ猪木だった。猪木の闘う姿勢から、アイデンティティを見出した。負のパワーみたいな怒りの反逆精神は、猪木によって培われたと言っても過言じゃない。


 猪木に完全にハマったのは、国際プロレス軍団(ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇)との1対3の試合だった。
「いくらなんでも3人には勝てないだろう」という思いが、徐々に応援に変わっていった。ハマってしまった。僕、猪木好きだったんだ!って分かった。試合は猪木がリングアウト負けしたけども。

 それまでもプロレスは観ていた。幼稚園に入る前から観ていたはずだ。オヤジが夜8時くらいに帰宅した金曜日、各家庭にまだテレビが1台だった時代。「チャンネル争い」という言葉があった時代。強制的に観さされたわけではないが、金夜8時の『ワールドプロレスリング』を僕は居眠りを交えながら黙って観ていた。

 ボクシンググローブをはめた選手と猪木が闘っているのを観た記憶があるから、現代の格闘技ブームの基礎となった猪木の異種格闘技戦から観ていた事になる。インドの“狂虎”タイガー・ジェット・シンとの攻防で流血戦になると、オヤジは止めなかったが、お母ちゃんに「観ないで早よ寝なさい」と言われた。そのオヤジさえも「今日は観たらアカン」と止めたのは、猪木と上田馬之助の“釘板デスマッチ”だけだ。最近、YouTubeでそれを観る事ができて感激した。2選手ともギリギリの攻防をしていた。やはり昔のプロレスラーは凄い。

 僕が猪木に完全にハマったちょうどその頃、僕は小6で、筋力やら体が異様に発達していた時期。身長は幼稚園の頃から、常に後ろに並ぶ位置だったが、小学校は児童数が全国で2番目に多かったマンモス校(←死語?)で、小6時に学校で一番デカかったのが僕だ。身長167センチ以上あった記憶が……。初めて会ったオバハンなどに「どこの高校行ってるの?」って訊かれる事もしばしば……。子供料金で電車に乗る度に、お母ちゃんが駅員に説明してたのが毎度苦痛だった。

 筋力は半端なかった。ドッヂボールではバケモンみたいな剛球を投げたので昼休みのリーダー格だったし、体育の時間に「ドッヂボールを両手で投げなさい」と言われたら、他の子が10メートルも投げられないのに、僕は20メートル以上投げていた。当時は大相撲もプロレスも好きだったし、同級生たちと所謂「ごっこ」をしてると、いつの間にか皆が本気でかかってきても、かなり手加減してやっつけていた。相撲大会に誘われたこともあり、軽く優勝できる自信はあったけど、マワシからチン毛がハミ出たら嫌なので辞退した(苦笑)。

 小2の途中からランドセルをやめて、ショルダーバッグを愛用していたのだが、小6で急に「もう小学生最後だから」とランドセルを背負い、毛嫌いしていた半ズボンを履いて登校した。知らない人から見ると、たぶん異様な小学生だったと思う。そんな感じで人の意表を突く「天の邪鬼」的な部分も、元からあったのだけれども、猪木によって・酔ってさらに増したのだ。


 両親は僕を育てたのだけども、思春期という多感な時期に猪木という者に魅了され、洗脳を受け、猪木に洗礼を受け、僕はこんなになっちゃったのだ。幼少期は、母方のおばあちゃんの遺伝子を継ぎ、思春期は猪木の遺伝子を模造していたのだ。
 だから神様みたいなものだし、神様って実は猪木のように凄いけどどうしようもない、どうしようもないけど凄い存在なんじゃないかと思う。
 両親がくれたものが「いのち」なら、プロレスがくれたものは「いのき」だ。これも過言じゃない。



 とにかく取材で猪木さんに会った。ガチガチに緊張した。だって、あのスーパーヒーローが目の前にいて、僕を見て喋っているんだもの。それでもなんとか考えておいた質問をしようとしたのだけど、自分の言いたい事を言い終わるまでは、人の質問を遮って話し続ける神様・猪木にたじたじだった。『朝まで生テレビ』で出ればいいのに……って思うくらいの喋りだった。
 そして、挨拶が肝心・挨拶を尊ぶ人なんだと直ぐ分かった。話し中であろうが、そこに入る時には大きな声で挨拶すると、どんな状況でも返事をしてくれる。そこから出て行く場合にも大きな声で挨拶すると、どんな状況でも返事をしてくれる。この歳になって新たな事を教わった気分だ。

 もう直ぐ、大阪で猪木さんの団体・IGFプロレスリングの大会が開催される。それを考えながら自宅で原稿書いていると、余計に様々な妄想をしてしまった。通常1時間半で書ける唯一の連載原稿が4時間以上かかった。
 ふと、「オヤジに猪木さんをプロレスを生で観せてやれたらなぁ……。どんなに喜ぶだろうなぁ……」と思ってしまったのだ。

 猪木好きだったオヤジのおかげと影響で僕ものめり込んだのだから。そしてこの機会がたぶん最後っぽいし。でも、ちゃんと間近で見られる席は2万円……。自分の分も含めて4万円……。親孝行したい時に金はなし、か……。来月は越えられるけど、今月は越えられそうにない僕が、下手にオヤジを喜ばそうなんて甘いんだろうな、何もかもに……。
 とにかく今度特養へ行く時は、オヤジに写真を見せてやろうと思う。だって、珍しく自慢できる仕事ができたのだから。
 
 その他に猪木さんと実際に会って気づいた事がある。
 鋭い眼光だと思っていたのだが、実はまるで瞳孔が開いてるかのように綺麗な澄んだ瞳をしておられた事。
 これまで何度も映像や写真で見ていたのに、「餃子耳」だと分かった事。
 とにかく僕はずっと緊張していた事。
 カメラマンさんがレンズを向けると、話し中でも猪木さんは反射的にカメラ目線になる事。
 撮られる際に直ぐあの満面の笑みの顔を作れる事。
 最近、自炊続きでさらに太った僕の顔が、猪木さんより大きかった事。
 年老いたからなのか、身長が3cm縮んだらしく、そんなにべらぼうに体格がデカイという印象ではなかった事などなど……。


 現在65歳の猪木さんが休む事なく動き続けている。うちのオヤジなんて、その歳には既に脳梗塞の後遺症と認知症とでヨボヨボだったのにな。

「(試合に)出る前に負ける事考える馬鹿いるかよっっ!!!」

【アナウンサーにビンタ!】



 世代交代の大一番であった試合前のインタビューでそう言って、テレ朝の佐々木アナウンサーを激怒ビンタしたあの時の言葉を今でも実践しておられる猪木さん。あの試合はなんとか勝ったけど、ボロ雑巾のようになって、「嗚呼、もう猪木は終わりなんだな」と思っていたら、そこで初めて「1、2、3、ぁ、ダーーッ!!」を披露した猪木さん。終わりは始まりなんですね。明日は明日の風が吹くんですよね。過去にこだわらず迷わず行こう、行けば分かるんですよね。 そして挑戦をあきらめたらダメなんですよね。


【引退式での挨拶】



【味噌汁で顔洗って出直すの真意】




 巷では「猪木信者」と呼ばれる“ファン”であったおかげで、漠然とした“不安”がかなり吹き飛びましたよ猪木さん。味噌汁で顔洗いますよ。お会いできて元気になりましたよ。元気があればなんでもできる!ってホントにそうですよね。
 ありがとうございました!(敬礼)
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