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【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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おさかなさん
 母と闘病するため、倉敷の柴田病院で過ごしたあの時間と日々をふと思い出した。

 全く知らない土地で、それも母の死へのタイムリミットを待つばかりの生活。病院にいる方々は優しかったけど、それでも不安で孤独感と生死の恐怖に苛まれていた。

 同じ病室に小坂田(おさかだ)さんという、骨と皮状態でガリガリだったがとても気安い気品のあるおばちゃんがいた。二十歳ぐらいの娘さん姉妹が交替で看病していた。
 人のことを詮索するのが嫌いで、女性に対してはすぐ赤面してしまう頃だった僕は、小坂田さんのおばちゃんの病名は訊けずじまいだった。娘さんたちとも挨拶をする程度。それでもあの病室には、不治の病にかかった人たちの生への執念が溢れていた。

 病院食に出てくる味噌汁の具は、ほとんどが素麺だった。それを母がいつも嫌そうに文句を言いながら食べていたり残したりしていた。今でも僕は素麺の味噌汁がランチや定食に出てくると、とても見窄らしい気分になる。病院食には限界があるのはわかっていたので、料理をしたことがない僕が、何度か適当に煮物を作って母に与えた。具の形が崩れてただ長時間煮込んだだけのものを母は、
「おいしい、よぅ煮けてる」
 そう何度も言って平らげた。

 ある日、買い物から帰って病室へ入ると、母がとても嬉しそうにしていた。小坂田さんが病室の患者のみんなに鯛のお刺身を買ってきて配ってくださったのだ。生ものが食べられない病院という空間で、それはたいそうなご馳走だった。



 病院の患者用冷蔵庫やトイレには、各自のものが置いてあって、みんながそれぞれ名前を書いておくルールだった。しかし、なぜか簡単な魚のイラストだけが描いてあるものがあった。
「魚? さかな? おさかな? 小坂田さんだ!」
 死の境目に到達する時期にあって、あのウィットに富んだイラストには心を和ませてもらった。

 母が隣りの病室に移されてしばらくして死んだ。明くる日、ベッド周りを片付けてから、小坂田さんたちが居る病室へ挨拶に行った。
「昨日亡くなりました。今日まで本当にありがとうございました。鯛のお刺身、母はとても喜んでいましたよ」
 小坂田さんにそう言うと、声にならない声で驚かれていた。そして、横に座っていた次女の娘さんが、下を向いて涙を見せぬように体を震わせながら泣いてくださっていた。小坂田さんは、その姿にまたなんとも言えない悲しそうな表情をされた。
「私が死んだらこんな感じで娘は泣くのかな?」
 そう思って娘さんを見つめておられたんだと思う。

「ありがとう。泣かないで。これからもお母さんのお世話をしっかりしてあげてね」
 娘さんはこっくり頷いたまま動こうとしなかった。僕は悪い知らせをわざわざ報告してしまったのかもしれない。でも、僕は母が喜んだ鯛のお刺身や「おさかな」のマークに和ませてもらったお礼を、どうしても伝えてから倉敷を去りたかったのだ。

 あれから小坂田さんがどうなったのか知らない。ただあの時の感謝の気持ちは忘れないし、一所懸命に闘病されていたおばちゃんと、看病しておられたあの次女の娘さんが母のために流してくださった涙を忘れない。
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