【大阪タワー☆忘れたい人】
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サンタクロース
※2006年12月10日21:19の日記です。



 この季節になると、あちこちがクリスマス装飾になる。だから、いやでも思い出すことがたくさんある。

 我が家にはサンタクロースって存在はなかった。幼い頃、試しに靴下を置いて寝たことがあるが、結局、靴下には何も起こらなかった……。
 我が家のクリスマスは、不二家かタカラブネだか忘れたけど、当時はあまりおいしくないケーキを食べるだけの儀式がある日だった。近所では小金持ちのボンボンたちの家が集まってパーティーというものをしてたけど、呼ばれたことはなかった。それはそれでうらやましかったけど、それでもケーキっていうものは、心ときめかせる何かがあった。でも、特別おいしくないので全部は食べられなかったっけ。


 小6のとき、母が「クリスマスプレゼント」って言うてくれたものはコロコロコミックだった。もうコロコロコミックを読むような年齢じゃなかったので、
「僕、もうコロコロは読まんよ」
 今と変わらぬ、歯に衣着せぬことを言うてしもうた。母の表情は見えなかった。ただ、
「ごめん。返してこようか?」
 そう言ったままうつむいて別の部屋へ行ったのを憶えている。

「いい。コロコロでかまへんで」
 コロコロコミックが入った袋を見て、僕は“しまった!”と思ってそう言った。袋には書店の名前が入ってあった。自転車で片道1時間くらいかかる遠いところの書店の袋だった。


 母は40代後半にして自転車の練習をして乗れるようになった。最初はオバサン用の三輪車だったが、次第に二輪車も乗れるようになった。オヤジがボロボロの二輪車をもらってきて、全部銀色に塗装して母に与えた。

 そんな自転車で、冬の雪だらけの湖北の何もない田んぼ道を延々と走ったのだろう。往復2時間くらい……。いつも「さぶいさぶい」と手袋を外しては石油ストーブの前で暖を取っていたっけ。四季を問わず、いっつも同じ服ばかり着てたらそら寒いわなぁ。

 だから、必死で母の機嫌を取り戻そうとした記憶がある。
「コロコロでも嬉しいで。なぁ、お母さん……」


 臨終が近かった頃の母に訊いた。
「つらいばかりの湖北の生活やけど、何か楽しかったことってあるか?」
 母は考え込んだ後、
「そやなぁ。自転車で買いもん(買い物)行くときやなぁ……」


 息子たちのメシのために、40半ばで乗れるようになったチャリで走る。オンボロだと思われようが大事にしてたチャリで走る。それが母の喜びだったのだ。吹雪以外なら雪道だってどうってことなかったのだ。あまり恵まれた家庭でもクリスマスでもなかったけど……。


 だけど今なら言える。誇れる。我が家にはちょっとズレたプレゼントを持って、雪道をボロボロのチャリでやって来るサンタクロースがいたって。
 ありがとう、サンタクロース。ありがとう、お母さん。
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