FC2ブログ
【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



 ようこそお越し下さいました。どうもありがとうございます。ごゆっくりしていって下さい。
※ご読了後に、各記事の右下にある「拍手」ボタンを押してもらえるとぬか喜びします。読んでもらえてるんだ、と実感します。コメントなんて特に要りませんから、過去記事にもお気軽にクリックしていただけると幸いです(これは、あらゆるランキングとかアクセス解析とかに全く関係ありません。単なる自己満足です)。


スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ハンバーグの思い出
小学生の頃の僕は、ハンバーグが大好物だった。

でも、家の食卓に上がるのは、マルシンハンバーグかイシイのハンバーグぐらい。
家計を考えた時、それはお母ちゃんの仕方のない選択だったんだろうけど、
それでも弟と僕はそのハンバーグを満足して食べていた。
何度か料理下手なお母ちゃんがハンバーグを手作りしてくれたけど、
“ハンバーグの素”を使って作ったものは正直イマイチだった。
でも、ハンバーグをこねる共同作業は楽しかった。

近所の主婦に「おいしい店がある」って教えられたオカンが、
奮発してその店へ連れてってくれたことがある。 弟と3人で。
当時の僕らにとっては知らない店に入るっていうのは大冒険だったので、
前日から「何食べよ? 楽しみやなぁ」って言ってた。

そこは単なる食堂だったんだけど、緊張しながら店に入ったのを覚えている。
その頃の田舎には飲食店も少なかったし。
で、僕はハンバーグ定食を注文したんだけど、
待てども待てども僕が注文したやつが来なかった。
お母ちゃんと弟はすでに食べ終わってたのに。

1時間ぐらい待ってようやくハンバーグ定食が出てきた。
そしたら定食のハンバーグが、いつも家で食べてたマルシンハンバーグに
ケチャップをかけただけのやつだった。
子どもだったけど見ただけですぐわかった。
お店を出た後、なぜかお母ちゃんが
「ごめんやでオサム、ごめんやで」って何度も僕に謝ってて切なかった。


それから13年後。
闘病中に自らの余命を知ってしまった頃のお母ちゃんを交えて、
家族で駅前の平和堂の上にある食堂街へ行った。
今思えば、あれが最後の家族4人での食事だった。
僕がトンカツ定食を注文すると、お母ちゃんも「同じの」と頼んだ。
結局、家族4人でトンカツ定食を食べた。

倉敷の柴田病院へ再入院するために、
お母ちゃんと2人で新幹線に乗って新倉敷駅へ着いた時もそうだった。
改札口を出ると、「オサムお腹すいたやろ? なんか食べよ」と言った。
そこで駅構内にある喫茶店に入った。
僕が焼き肉定食を注文すると、お母ちゃんが「私も」と言った。

お母ちゃんはトンカツ定食も焼き肉定食も全部ペロリと平らげた。
肺癌と抗癌剤で弱り切ったあのカラダでよく食べたものだと感心する。
食事に人生を見て、未練という名の飯粒を残したくなかったのかもしれない。

今考えればあれは、残された時間で少しでも
僕と同じ味の共有をしたかったんだろう。
味の共有は人生の共有だ。

今夜はマルシンハンバーグを買って食おう。
お母ちゃんの分も2つ買って食おう。
そして、「おいしかったで。ごちそうさま」と言ってみよう。


2006年02月18日17:04

d_01.gif
関連記事
copyright © 2007-2017 【大阪タワー☆忘れたい人】 all rights reserved.
全ての文章の無断複写複製を禁止します。
Powered by FC2ブログ. | Template by Gpapa.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。