【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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徒然なるままにを越えて
 ひょっとしたら、僕が気楽にいてると騙されている人がいるかもしれない。そんなことは全然なく、むしろキツい。こんなにキツいとは思ってもみなかった。悪情を吐き出すのを堪えて、ただ愉し気なことだけを呟いたり、世間一般を真俯瞰の裏から眺めたりしていると、実は愉しいんじゃないかとさえ錯覚するようになってきた。そういった感情に流されていたら、月末どころか月中旬からインスタント麺ばかり貪るような暮らしでも、いろんな感情や出来事が自分を取り巻いていると気づき、生きている面白さを少しは感じるようになった。この、誰の役にも立たない自分が、だ。

 現在の状況を端的に云うと、自由を強いられた不自由と不自由を強いられた自由の狭間を行ったり来たりしている。いつもの自分ならば此所で、辛いと漏らし、寝ションベンの様に漏らし過ぎて、親に叱られるのを恐れる幼児の様に、冷静と隠蔽を言動で装い、覚醒した瞳孔から懺悔の落涙で許しを乞うところだろう。しかしながら、外道な精神は外道な生き様に宿れかし。つまりは開き直ってしまったのである。どん詰まりは、結局どう転んでも外道なのである。平穏ではなかった様々な状況の幼少時代から邪道な考えを身に付けて、非道な人に成長して、外道に辿り着いたのだ。

 褒めてもらえることも好まれることも稀にあるが、それは部分でしかない。ほんの一部分だ。それは外道な支配下の鎖に繋がれた奴隷だ。奴隷は優しくても何かが達者でも自ら抜け出すことは不可能、抜け出せたとしても間接的な厳罰が待っているだけだ。そこで開き直ってしまったのである。なぜ開き直ってしまったかと云えば、実は長々年に渡る目標と云う名の野望の的の中心が、奴隷には射られない射てはいけない射たくないものだと云うことに気づいたのだ。だから的の中心を抹消した。すると俄に厚い雨雲の向こうに薄らと所々に漠然とした光が点々と見えてきたのだ。植物も昆虫も光のある方へ向かうけども、点々が薄らと有り過ぎて向かうべき場所が分からずにいる。あんなにも遠回りして向かうべき方向へ細々と堪え忍んで生き延びてきたのに、だ。積年の呪縛から解放されたのに、開き直った鯔のつまりが現在だ。

 こういったことが精神的思考や指向や志向や嗜好まで変えてしまった。くだらなく簡単なことだけ挙げるとすれば、タバコが急激に苦手になり、長年公言していたフェチズムさえ消えた。それは良いことだと思うことにしている。せっかく近所のコンビニが愛煙していた珍しい銘柄のタバコを大量に入荷し、店員が取り易く目立つ位置に変えてくれたのに、レジでタバコを注文しなかっただけで店員が驚いた表情を三度も見せたので、それだけは少し申し訳ない。無理に禁煙する気はないし、禁煙したくても処方されているクスリのせいで禁煙外来にも行けないのだが、メシよりも重要視していたタバコを吸わないことが辛いと思わなくなってしまったのだから仕方がない。

 辛い、苦しいなどと溜め息を吐くことにも慣れてしまっていたが、そう吐き続けたって言い続けたってどうなるものでもないし、余計に他人も自分も辛くなってしまう。辛い、だから頑張りましょうなんて糞みたいな綺麗ごとを言うと、前向きだとかポジティブだとか“断罪”されてしまいそうだが、そんな糞ごとを思う様になってしまったのだから、外道なりに関門を上手く往なしながら愉しくやって行きたいものだ。ご静読ありがとうございました。

 
 
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