【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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チクワの人
 チクワといってもピンからキリまである。おでんのチクワなんかは主役級だし、以前にマイミクさんから頂いたヤマサのチクワなんてすごく上等な味がした。我が家というより亡き母の定番料理に、薄く輪切りにしたチクワと卵を炒めたものがあった。他でもそうかも知れないが、チクワなんてのは5本100円くらいで売っている、穴にキュウリやチーズを詰めるか、おでん以外にはあまり使いようのない具材だという認識があった。

 先々週、オヤジがペースメーカーの電池の交換手術をして入院したため、病院から近い空き家である実家に一泊した。約17年ぶり。カエルたちの鳴き声があちこちから聞こえる中、誰もいないはずの実家に明かりが灯ったからだろう、近所から監視されているようなザワつきを感じて居心地悪くなかなか寝付けなかった。

 住宅街は昔以上に静かだった。昔は、学習塾などから帰宅すると、家に近づいただけでうちの両親の怒鳴り声が近所中に響いていた。恥ずかしかった。僕は家に戻るなり部屋に鍵をかけ、テレビを大音量にしたり、耳栓をしたりして毎夜行われる大喧嘩をしのいだ。たまに弟が母の助っ人として参戦してオヤジをしばいたこともあった。

 幼少の頃からオヤジには苦しめられた。特に母なんかはストレスの塊のようになっていた。全部オヤジが悪い。それが母と子の共通の意見だった。親戚の家に家族で泊まった時は、オヤジのイビキがうるさすぎて、まだ小さかった僕たち兄弟は眠れずに困って、僕が「コイツ(オヤジ)殺そうか?」と訊いたら、弟が大きくうなずいたこともあった。

 ある朝、洗面所で歯を磨いていると、母がオヤジと僕と弟用の弁当を作っていた。自分の弁当箱をのぞくと、大きなソーセージや玉子焼きなど多彩なレパートリーのおかずがいっぱいでお昼が楽しみだった。ふと、弁当箱に蓋をしたままのオヤジの弁当箱を開けると、日の丸弁当の片隅に斜めに切っただけのチクワだけがおかずとして入っていた。前の晩の復讐をオカンは弁当でしていたのだ。僕は見なかったことにして弁当箱の蓋を閉めた。

 あれだけのおかずでよく持ちこたえたものだ。オトンの会社は有名企業だったけど、万年ヒラで肉体労働ばかりだった。寄り道を一切しないで帰宅しても、よその家庭のお父さんと違って遅い帰宅だった。作業着は汗だくでドロドロに汚れ、風呂に入ると汚れや垢が浮きまくりだったので、いつしか僕たち兄弟の後にオヤジが入るルールになっていた。

 僕はその何年か後にニッカポッカに地下足袋を履き、バールと金槌を持った解体工として肉体労働をしたので、あの頃のオヤジを思うと一番風呂に入れるべきだった、と悔いた。年齢を重ねて角質層がボロボロ取れる現在も風呂に入って垢が浮く湯舟を見てはまた悔いる日々だ。


 結局、オヤジの入院中は実家には一泊しかしなかった。先週末まで入院延長になっていたオヤジの朝食に間に合わせるため、朝4時に起きてシャワーを浴び、JR大阪駅5:55発の電車に乗り、駅からタクシーで駆け付けて、夕食が終わったら今度はタクシーに乗らず、駅まで徒歩50分ほどかけて帰宅した。

 食事の面倒は大変だった。特に手術の翌日は、斜め上を向いてポカーンとしたオヤジは食べさせないと食べてくれなかった。自力で食べられるようになっても、僕に「こぼすな」「一気に頬張りすぎ」「噛め」などと、食事の躾には厳しかったオヤジと逆転現象が起こっていた。「あんなに食事には散々厳しかったくせに」と言えば、オヤジは「そうやな……」としか言わなかった。

 母が生きていたらどんなに良かったろうと考えると、オヤジを憎みに憎んで遺書を残して行方不明になっている弟についても考えてしまい悲しくなった。オヤジのダメさが母を殺したようなものだときっとまだ思っているだろう。僕も同じくそう思うけども、今はもう憎みに憎んでいたオヤジはいない。汗水たらしてチクワ食って頑張ってたオヤジの残骸しか残っていない。

 オヤジももう弟のことはあきらめたようで何も言わなくなった。退院が決まった時に「施設(特養)に帰れるで!」と言った父方の鬼叔母の言葉を遮って、「ワシはここの方がええ」と言ったオヤジ。「ここに居る方がオサムがようけ来てくれるから」と言ったオヤジ。弟をあきらめた矛先は僕に向いたのだけど、期待に応えられるかどうかまだようわからへん。平和な家庭を築くのに失敗したけど、チクワ食って僕たちを育てたオヤジのことは感謝して誇りに思っている。そう思えるってことは、オヤジの思いはやっと結実したのかもしれない。願いは叶う、思いは届いたのかもしれない。

 今度、特養に行く時は、好物のニッキ飴をこっそり持って行くから、周りの人ともうちょっと喋るようにして元気に待っててよ、チクワの人。今は本当にありがとうって思ってるよ、おとーさん。2011年、父の日に添えて。
 
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