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【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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中村つよし『愛のカタチ』
 心を「ココロ」だの、すぐを「スグ」だの、わざわざ片仮名にする表現が嫌いだ。大嫌いだ。しかし、旨いを「ウマい」とするのは許す(なぜなら、僕が多用するからだ)。
 心の場合は、「必」の延長で作りました的な書体が嫌いだ。「写植屋さん」という商売があったずっと以前からの悪しき慣習だ。心という字の書き方は、小学3年生の頃に敬愛した、石山先生にじっくり教えてもらったからなおさらなのだ。

 こんなに言いながらも例外ができてしまった。今日初めて聴いた中村つよしさんの曲にだけは許す。いや、許してくださいとまで言ってもいい。素晴らしい声と詩に、絶妙なピアノのメロディ。聴けばわかるだろうが圧倒されないわけがない。
 逝ってしまった誰か、往ってしまいそうな誰か、大事な誰かに僕はこの曲を捧げたいくらいだ。
 どこかの歌手の声に似てる、なんて言われたっていい。メロディが聴いたことあるような感じ、って言われたっていい。 わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい(丸大ハンバーグ) これからもっともっと彼はブレイクすると思う。
 ちなみに僕は、別の意味で頭がブレイクしているが……。

 彼の曲『愛のカタチ』は、中村つよしさんのmyspace.com(←クリック)内で、無料で全部聴けます。『カセキ』って曲もいい。いや、良すぎ。
 僕は、本当に「もしもピアノが弾けたなら」気分になってしまった。いつまで経ってもカラオケでしか本領発揮できない歌声が悩ましい。

 すかさず、中村さんのブログをブックマークした。2009年1月12日の日記に出てくる「絵本作家」とはいったい誰だろう?
 たぶん、僕が知っている(向こうも僕を知っている)人物のような気がする……。絵本方面の方々、教えて!
 とにかく、注目したい。そして、彼に拍手を贈りたい。
 
 








【追記】
 YouTubeで動画はないかな?と探したら、「短縮版」がありました。僕みたいにテレビもワンセグ受信機能付きケータイも持ってないと、流行にも乗り遅れるのかなあ。






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こなゆき
ゆきねこ のコピー




※これは、前回の日記の続きです。





 おばちゃんに あうために 

 じぇいあーるにのって かいさつぐちをでた。

 ゆきおこしのかぜのくうきが あられになり 

 やがて こなゆきになった。

 こなゆきは こやなぎゆき ではない。

 ゆきがふるまえの さむすぎるかぜを

 ゆきぐにのちほうでは ゆきおこしのかぜ とよぶ。

 とかいのひとは このかぜを いがいとしらない。

 このかぜのふくときが いちばんさむくなるのだ。

 どおりでさむすぎる そうおもった。




 おばちゃんとあうのは 15ねんぶり。

 きんちょうして なみだするだろうと おもっていたけど

 おばちゃんのほうは ぼくから てがみがとどいたじてんで

 かんじょうが ぴーくだったよう。

 あんがいあっさり むかえいれてくれた。




 それからは 15ねんのさいげつを うめるさぎょう。

 きがついたら 7じかんもすぎていた。

 ぼくとおなじじきに おなじかしょの 

 おなじしょうじょうのくびを

 しゅじゅつした おばちゃんは 

 こしがまがり あしもとがよたつき しらががふえて

 すっかりおばあちゃんに なって

 かんしゃくもちだった せいかくもかどがとれていたけれど

 あいかわらず ぼくのおばちゃんだった。

 いや おばちゃんであってくれた。




 かえりぎわ こなゆきがつもり すこし とけはじめていた。

 おばちゃんとぼくに つもった こなゆきも

 いやなことを ぜんぶつつみこんでくれて

 そして いやなことごと いっしょにとけはじめた。

 そんな きがした。




 ゆきがつもると ふるまえより あたたかくなる。

 ぼくはさむぞらと すっかりかわったまちなみに

 ふるえて おびえながら あるいてきたみちを

 ぽかぽかと ぬくもった きぶんで かえった。

 
 
和解への明日
 昨年末、二十代前半にHi8のビデオカメラで撮ったものを超格安でDVD化してもらった。そこに映っているのは、亡きお婆ちゃんと亡き母、そして伯母ちゃん、伯父、僕。

 ビデオカメラが壊れたおかげで再生できなくなり、約15年ぶりに亡き人らを観た。かん高いトーンのいかにも楽しげな笑い声を出す母。まだ見つかっていなかった肺癌特有の咳をしていた母。自分の方が産みの母より先に逝くとも知らず、「お婆ちゃんを映しておいてあげ」と僕に言う母。

 なんだか遥か遠い昔の、違う世界のような光景だった。あんなに大好きな人たちを上手く憶い出すことすらできず、泣き虫の僕なのに不思議と涙は出ず、イメージビデオのような映像を淡々と観ていた。



 母方の親戚と一切交流がなくなってから十数年経つ。父方の叔母が、母方の伯母ちゃんに僕のことが発端で電話をした際、「勝手に訴えるなりなんなりしておくれやす!」とブチ切れていたそうなので、一生絶縁状態を身に沁みて感じていた。母の供養もまともにしてなかったから当然といえば当然だ。

 でも、母のことを大好きだった伯母ちゃんなら、きっとこの映像を観たいだろう、と無視されてしまったり、送り返されたりするのを覚悟で、僕の現在の状態と気持ちを書いた手紙を添えてDVDを郵送した。

 昔、僕は子どもができない身体の伯母ちゃんに、息子のように溺愛してもらっていた。それにもかかわらずいろいろ原因はあるが、僕は一切音信不通の人になった。勘当、絶縁されてもしょうがない僕だった。



 昨日、伯母ちゃんからハガキで返事が来た! 盲目に近い視力の伯母ちゃんが、点字以外の文字を忘れてしまった伯母ちゃんが、懸命に書いたとすぐわかるハガキだった。昔は癇癪持ちだった伯母ちゃんだが、そこには母のような優しさが滲み出る内容が綴られていた。泣いた。

 今日、思い切って思い切って本当に思い切って伯母ちゃんに電話をかけた。十数年ぶりに聞くその声はかすれ気味だった。僕からの電話に吃驚しながらも、「元気になったらおいで」と言ってくれた。伯母ちゃんも僕と同じく頸椎を痛めて、年末に退院したばかりだそうだ。積もる話が山ほどあって、1時間ほど喋った。

 DVDのことさえもよくわからず、DVD再生機やビデオさえないと知り、電話を切ってからすぐに電気屋さんへ行った。お見舞いでもらったお金で、誰にでも使えそうなリモコンのボタンが大きく分かりやすい、6000円くらいのDVD再生機を買った。そして帰宅するなり、また伯母ちゃんに電話した。
「近々持って行くから、(DVD再生機)買うたり借りたりせんでもええで」と。

 それからまたもや馳せる思いを抑えきれず、数時間経ってから電話をした。
「あしたっ、明日行くから! 身体は大丈夫やから! なんとか行くから!」



 おかしな話だけど、このタイミングで僕はいろんな病気になってよかったって思う。互いを許す明日の再会のことを考えると、伯母ちゃんも僕も今夜は眠れそうにない。

 


WAKAI


 
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