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【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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くろいあくまと電波人間
でんPA




 あまりにもひどすぎる頭痛が治まらないので、ネットを見てはすぐ寝込むのが続いてました。偏頭痛なのか脳梗塞の頭痛なのか区別できず狼狽。もう救急車を呼ばなくてはヤバい、でも呼びたくないので、なけなしの銭で鎮痛剤を買い、整骨院でカラダをほぐしてもらったら、財布の中身がチャリ銭だけになってました。そのチャリ銭でコーヒー飲みました!
 整骨院での治療が終わって、整骨院の先生が言う通り、しばらく経ってからかなり治まりましたが、寝るとまたぶり返し、起きてまた痛むの連続。

 16年前に辞めた会社の上司というより兄貴分が、今はお惣菜屋さんをしていらっしゃり、
「うちは子ども4人おって、上の子が来年大学受験やからお金は無理やけど、食いもんだけはいっぱいあるから! なんせうちは、そ ー ざ い や や か ら !」
と妙なところで威張られながらも、お惣菜中心の食料を送っていただきました。顔しゃ! いや、感謝!

 昨日か一昨日かもう記憶にないけど、それが到着するやいなやガブガブと餓鬼のように貪り食うと、頭痛がほぼ完治。なんだ、また栄養が偏ってたから脳の血管が縮んでたのかな……。まあ、先週は友人に昼食を一度おごってもらった以外は、インスタント麺かごはんに味をつけて炒めたものだけだったからねえ。

 最近わかったのは、物凄くスローな動きになって、杖をついたご老人よりも、両松葉杖のケガ人よりも歩くスピードが遅くなる時は、かなり血圧が上がっているということ。心臓に負担をかけまいと、自然に動作が遅くなっているみたいだ。でも、今日の診察で「心臓は異常なし」と言われた……。 あれ??


 病院帰りのついでに、先週起こった轢き逃げ引きずり殺し事件の被害者の方が、振り落とされ発見された現場のすぐそばまで行ってきた。いつまでも気味悪がって「怖くて国道を渡れない!」なんて言うのは、被害者の方も本意ではないだろうし、思いきって渡った。もちろん手を合わせてきた。早く犯人が捕まるといいな。


 怖いもの繋がりではないけども、この頃、パソコンデスクに座っているとかなりな電波らしきものを受信してしまう。寝転んでも受信はするが……。もうかなり僕は電波人間だ。デスク周辺の金属やガラスなどの構造が、偶然にもトランジスタラジオみたいになって、そこへ座ると聴こえてしまうのではないか? とさえ思える。でも、受信するのは競馬とか野球とかプロレスとかテレビ番組っぽい。

 僕が生まれるずっと昔に放送されていたであろう歌謡番組が、観客の拍手と司会者のトークともに延々と聴こえることが多い。NASAだかどこだか忘れたけど、生命が存在しそうな銀河や惑星方面へ、公的に地球からのメッセージを飛ばしているってのをなにかで読んだことあるけど、その電波が届くのは何百年、何千年も後らしい。

 そこで思ったのは、電波というものは消失してしまうことなく、地球や宇宙を彷徨い続けているのではないか? ということ。たまたま僕は、昔のテレビ番組を受信してしまったのではないだろうか? ………なんて書いたり精神科医に報告したりすると、またお薬の量が増えてしまいそうだな……。近所のオバハンやらガキどもが、僕が照明を付けるタイミングに合わせて、僕の噂話をしたり嫌がらせの騒音を聞こえるように喋ったり鳴らしたりしている、だなんて思う被害妄想もあるし……。


 病んでいるといえば、近所にある「昔は“人殺し病院”と呼ばれてた」らしい病院の前に相変わらず葬儀屋さんがいる。5人以上いる時もある。以前まで全然見たことなかったのに、最近は絶対に毎日いる。わざわざ棺桶を載せるスペースをこしらえたクルマもある。この葬儀屋さんたちは、ネクタイこそしてないが黒いスーツなので、僕は「くろいあくま」と呼んでいる。最近では、メスのねずみいろのあくまもいる。需要があるから食いっぱぐれなさそうだな。『おくりびと』すべてが高貴なものだとは思わないが、とにかくお仕事なので僕は、尊敬の念を込めて「悪魔」とは書かずに平仮名で「あくま」にしている。小心者の僕にはできないお仕事だろうし。正直、ご遺体よりも葬儀での近親憎悪の入り乱れが怖い。

 くろいあくまといえば、数日前から窓の外の電線にカラスがとまっていて「カー! カー!」とうるさい。ベランダから顔を出しても逃げないので、だんだん不気味になってきた。たまたま「ごはんに味をつけて炒めたもの」を作っている最中に塩を持った途端、ふと思い出したかのように玄関や窓に塩を蒔いた。そしてベランダに塩を蒔いたら、カラスが「カーッ!」って叫んで逃げ出した。それ以来、カラスは一度も来ていない……。

 
 なにか僕に憑いてますかね?
 憑いてるね、ノッてるね。
 
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カツラ
鳥が泣く




 梅雨、髪が鬱陶しいのもあったがスキンヘッドにした。
 すでに薄くなりつつあった前髪あたりが、洗髪中や起床時にばさっと抜けた。酷い幻聴や思い通りにならない自分に、ストレスを感じたからなのかどうかわからない。とにかく剃った。剃れば生えてくるだろうと。

 カミソリだけでは0mmの完全スキンヘッドにしようにも上手く剃れない。でも、ほぼ完璧に剃り上げて、軽いものなら頭皮にペタッとくっつくようになった。
 薄くなっていた部分は生えてこなかった。いや、生えてきたのもあるが産毛に近いチョロ毛。何度か剃ったけど結果は同じ。思いきってそのまま伸ばしてみた。

 伸ばすと、くっきり濃い部分と抜けてもう生えてきそうにない部分が明らかだった。精神系のせいなのか、脳梗塞のせいなのか、それに対応できない自分が何故にこんなにおかしいのか?というストレスなのか。極度の落ち込みや物忘れなどなのか原因が不明だった(今でもどちらが悪いのかという境界線はない)。

 ハゲたら思いきってスキンヘッド、なんて言ってたこともあるが、それが勇ましい行為なのか、こうして実際に起こってみると不明だ。なぜなら、残りの毛でもやはり有るものさえも全部なくしてしまうのには抵抗感がある。髪はクッション的な役割もするし、大袈裟にいうと「生」までもを感じる。
 だから、現役バリバリ当時の中曽根元首相の「バーコード頭」や、磯野波平の頭頂部にある1本毛さえも今は理解できる。あれは無様な最後の抵抗ではないのだ。己の威厳を保ち、「生」を感じていたいのだ。僕はスキンヘッドにするにあたって、どうせならサイドや後頭部の毛もなけりゃ手間いらずでいいのに……とさえ思った。スキンヘッドは男くさい頭ではあるが、髪の毛に対しては全面降伏した状態とさえいえる。だから満員電車などで、必死に「髪の砂漠化」を防ごうとしている頭のオジサンたちを見つけても笑ってはいけない。あの人たちは戦っているのだ。

 髪の毛もきついが、指先までの右腕全体(肩甲骨も含む)の痺れ・痛み・震えも尋常ではない。眠剤で寝ていても痛みで起きてしまうほど。原因は、首の頸骨の神経が圧迫されているからだとわかった。それがわからなかったら、たぶんずっと精神科医に「薬のせいじゃないですか?」と繰り返して叱られ続けていただろう。あれほど信頼している整骨院に見切りをつけていたかもしれない。この頸骨の圧迫部分は、手術できないこともないが、大事な神経が集中する箇所のため、「リスクが大きすぎるので痛みなどは我慢してください」と神経内科医師に言われた。我慢できようもない場合が多いが、手術が失敗して下半身不随などになるよりはマシなのかも……と自らに言い聞かせている。

 そして原因不明の頭痛。偏頭痛には中学生の頃から悩まされていたが、ここ数年は単なる頭痛が毎日起きてほぼ1日3回鎮痛剤を飲んでいた。それでも治らないので、幾度か「MRIをせねば」とmixi日記やブログに書いていた。
 MRI検査代は高いとか、大きな病院へ行くのは検死の時だけと腹をくくっていたのだが、さすがにリンパ腺が腫れ上がって顔と首の一部が変形したので、重い腰を上げて病院へ検査に行った。リンパ腫の癌だとすれば、余命を知らねばならなかったからだ。
 結局、(性病ではない方の)ヘルペスと診断された。腫れ上がった箇所でおでこに3つ、目と目の間の鼻あたりに1つ、膿が出来て潰れてえぐったような穴があき陥没したまま治る気配がないけども……。





 リンパ腫に良性もくそもない、ってその悪性を抱える友人、いや同志である鹿児島のリカさんがそう言って電話の向こうでカラ笑いしていたことがある。
 リカさんは、あらゆる箇所に腫瘍や重い病を抱え、心臓まで悪いので、何度か死にかけた。心臓が悪いせいで全身麻酔を受けられなく、リンパ腫の手術ができないため、麻酔医に何度も全身麻酔をしてくれるよう強請っている、と笑っていた。

 ある夜、リカさんが死にそうな声で今の状況を病室から伝えてきた。明らかに様子がおかしかったが、どうやら手術をしてもらえたようだった。寂しく悲しくつらいと言っていた。あんなに強気の人が……。別の日にその時のことを話すと、まるっきり憶えていなくて意識が飛んでいた状況で僕に電話をかけていた、と判明した。

「この傷と痩せ細った自分は、人様に会えるような状態ではない」
 そのようなことをリカさんは寂しそうに言ったが、僕はそんなこと気にしないから、同志として今のうちにサシで話しておかねば、みたいなことを言った。そしたら、リカさんは、僕に手紙を強請った。

 書いて送ると言ったまま右腕の痺れなどのせいで、たくさんの文字を今はちゃんと書けない、と手紙を拒んでいた僕だったが、痺れと痛みを通り越してなんとか書いた。便箋に3、4枚は書いただろうか。最後の方は同じ人物が書いたとは思えないひどい文字になっていたけど。

 しばらくして僕の携帯電話にメールが届いた。

「手紙届いたよ、ありがとう。嬉しかった。(中略)誰かが去ってく姿にほっとしてしまうなんて私はやっぱり歪んでいるのかな。」

 僕の携帯電話にそう残したままリカさんは消えた。あんなに華やかかつ波瀾万丈な人生を歩んできた人が、麻酔で意識朦朧とした時に、よりによってこんな僕に電話をかけてきてくれたことは哀しくも嬉しく光栄だったのに……。

 朦朧としながらも「念のため」といろんな連絡先を教えてもらっていたのだが、僕はまだ怖くて、結果を知りたくなくて、その後どうなったかを訊ねる手紙は書いていない。ひょっとしたら僕が電話を止められていた半月の間に何かがあったのだろう。こちらから連絡しようにも、たくさんありすぎたリカさんのすべての連絡ツールが 終 わ っ て い た 。
 あとは正気の時に教えてもらった実家の住所だけ……。

「今度は私自身が先に去ってしまってほっとしてるんだ」

 そんな感じで戯けて言いそうな気がする。僕はその後の本当の“結果”を知る勇気がなくて、今も手紙は出せないでいる。いつか心が安らいだタイミングを見て、せめてご家族が読んでくださるような内容の手紙を出そうと思っている。
 ボロ雑巾のようになっても生きていろ、だなんて言わない、言えない。でも僕は、あの、妙なくらいにお互いの心を開けた、同じ誕生日のリカさんと、いつか理想だの馬鹿話だのをタバコを燻らせながらしたい。だから、どんな状況になっていても、まだまだ無邪気なあのリカさんは生きていることにする。




 
 ともかく長くなったけど、僕の脳梗塞や頸骨の異常が見つかったのはリカさんのおかげ。でも、毛は抜け、右腕は痺れてデスクトップのカーソルさえも合わせることが難しい。おまけに剃った後の髪に多量の白髪が生えてきた……。

 これまで女性はともかく、男性は「ロマンスグレー」なんて言葉もあるから、白髪も結構いいんじゃないかと思っていた。なぜにこんなにまで忌み嫌われているのかあまり解ってなかった。実際になってみると無惨。おまけにハゲ。好きなヘアスタイルにももうたぶん出来ない。一気に年老いた。ほっぺたから首の途中までまるで熊のようにヒゲを伸ばしていたら、ヒゲにも白髪が続出。そして、鼻毛を抜いたらそれが白髪……。

 うちの母は、白髪を憎いほどまでに気にしていたが、やっと解った。染めりゃあいいさ、なんてレベルでもないし、僕は白髪を黒く染めた毛とか微妙なヅラでもすぐに見分けてしまうので、それが不自然な状態だと思ってしまう。

 抗癌剤で毛が全部抜けた母は、ドケチのオヤジに対して唯一強請ったものが、カツラだった。ボロボロの自転車を銀色にスプレーしたものでも10年くらい我慢・愛用していた母が、40万円くらいもするカツラを強請ったのだ。ドケチオヤジは驚きつつ反対しつつ、結局は母に買い与えた。奇跡というか母の執念か。

 さすがに男性用と違って女性用で40万円もするカツラは、ヅラハンターの僕でさえなかなか見分けがつきにくい物だった。その後、抜けた毛が生えてきたのだが、全部完璧に白髪だったのでひどく落ち込んでいた。僕が心残りなのは、せめて棺の中にいた母にそのカツラをかぶせてやるべきだった、ということ。バタバタしすぎてカツラのことさえ忘れていたのを後悔している。

 リカさんも母も「人前に出たくない」と言ってたのが今になって痛いほど解る。男である今の僕だってそうなんだもの。女性なんてもう混乱どころじゃないはずだ。





 病院へ通い出してから、ヘソが痛くなった。昨年から急にデベソになったのだ。臍(さい)ヘルニアだったんだけども、手術は費用10万円と入院期間が長いのが当初のネックだった。外科医師は「いつでも」と言ってくれてたけど、どうやら心臓の検査でOKが出るまでは、全身麻酔手術になるので無理っぽいし、よほどの状態になるまで放置しておき、今は神経内科と精神科、そして頸骨が少しでも楽になるように整骨院へ通うしかない。

 先日、オヤジのいる特養へ行った時、オヤジの毛を確かめたら、ハゲ具合は同じくらいでやや僕の方がマシかな、と思ったけども、オヤジの方が白髪が圧倒的に少なくて愕然とした。

 もっと愕然としたのが、オヤジは手すりが強固なベッドならともかく、椅子からはもう自力で立ち上がれなく、夏に会った時にも気になったけど、ほぼ歩けるというには程遠い状態になっていたこと……。
 
 最近の僕は調子が悪い場合、街なかで亀のように歩くのが遅い。杖をついた老人にも追い抜かれるし、松葉杖のケガ人にも追い抜かされる。老人に抜かされた時には、「あの人は、僕より先に行く(逝く)人だから」と自分に言い聞かせたが、僕よりも遅いオヤジはいったい幾つまで生きる気なのだろう……。せめてあのカツラは処分してくれればよかったのに、どこまでケチンボなんだ! それとも妻にあげた思い出の品なのか? まだたぶん実家に残っているはずだ。

 

 この老いた顔(ツラ)のスキンヘッドでヨボヨボ、医者も口ごもってしまうような50~60代並みの脳梗塞、精神科通い、統合失調症寸前、腹だけデブ、PCのタイピングやクリック、カーソルを合わせることもまともにできない、ライターとして致命的な右腕、記憶力欠如、それまでよりさらに話し下手になり、そしてすべてが遅く、のろま、馬鹿、経済力一切なし、先見の明なし、実のところ社会人として生きるには肝心なことは何もわかってない僕です。類稀な最低の最下位の「人」とさえも呼べないほどのカスです。
 そういうような自分を思い出したことを忘れるために飲んでいたお酒さえ、もう飲めなくなった。お酒の味を知っている者が、一時期はアル中並みに飲んでいた者が急にやめるのは思ってたよりつらい。
 

 いま、僕は強烈に寂しい。人生の目的を放って消えてしまいたいほどだ。
 恩人になにも出来ず、泣き嘆き塞ぎ続けるだけの毎日。
 それでも皆さんはこんな屑男を愛でてくださいますか?
 もし、愛でてくださっても、こんな僕ではなにも出来ませんよ。
 カツラが欲しいって喚くかもしれませんよ。
 
 重い病名があったからカツラを買ってもらえた母。重い病名が付いて安心した僕。これで病気でもなんでもなく、健康体でただの怠け者で単なるバカです、って言われてたら、僕は狂乱していたかもしれない。
 現在の状況において、ああ病気でよかった、だなんてほんの少しでも思うのは、捨て台詞を吐いて逃げていくチンピラ以下だよなぁ……。

 
 
 
 
7月中旬に精神科のドクターに報告した症状
1時間 歯を磨く息子



 今更ながらこのブログにも残しておく。
 7月中旬にドクターに報告した症状、ダメージを受けた出来事を箇条書き。これを見ながら延々と演説(?)した。これ以上のことを2度に渡る診察で 各1時間以上かけて報告したら、僕が10年も通っているドクターがドン引き→呆れられた。


◎屋根の上を歩く音がする。
◎父方の叔母への憎悪。デカい***で*を全部潰して、*を止血しながら***か実家にある****で……。しかし、殺意は全くない。

◎アパートの階段を全力で上がってくる音が近づいてきた。階段の行き止まりである我が家なので、「ここまで来るなよぉ」と思っていたら、来た。そして、女の叫び声「誰かーっ!!!!!!!!」。心臓バクバク。酩酊気味みたいな今の状態では、武器を持ってても僕は確実に負けるのでマジでチビる5秒前……。とりあえず僕の気配を感じたらしく、ニッカポッカの男が去った。そして女が叫んだ。「おばあちゃんに言うたるからなーーー!!!」って。僕はそれを聞いて、ヘナヘナと崩れ落ちそうになった。

◎上記の事件(?)の翌日、我が家から30mほどの距離にあるコンビニに強盗が。僕はそんな事件はさっぱり知らず、パトカー多いなぁ、と思っていたら、警官の声で「あそこ(我が家)電気点いてるぞ!」って。また階段を上がってくるのかと朝までハラハラ……。
◎別のコンビニのおばさんに、露骨にクンクンされた。そんなにくさいのか……。たしかに「水シャワー」しか浴びてないけど。

◎朝5時に、競馬の実況中継の音がする。高校野球の実況も。
◎朝9時に、古舘伊知郎の実況でプロレスの音がする。対戦カードは、ザ・コブラvs.小林邦昭。ちなみに解説は桜井康雄さん。
◎北島三郎の曲が延々と流れる中、突然ジェロの曲が……。
◎某団体の人がいきなり勧誘を畳み掛けてきたので無視した。居留守をするのも面倒。相手をするのも面倒。無視を決め込むのが一番しんどかった。

◎「リア充」になった元仕事仲間に借金を頼むと、「あとで電話し直すから」と言うので3時間以上待っていたらやっと電話あり。「にらちゃん! 生きてる!? 生きてる!?」と発狂。そいつのリアルキチガイぶりは、リア充になってもオブラートに包まれたままだったんだと再確認。挙げ句の果てに「今までの何倍も働いたらいいねん」と。それが出来ないからこの状態なんですけど……と言うのはやめて電話を切って精神的ダメージ。
◎別の友人に借金を頼むと、ほとんどが快く二つ返事でOKしてくれた。でも、1人だけ「俺は不況なデザイン業界辞めて、田舎のラーメン屋を継ぐ。今自由になるお金は6万円だけなので、3万円を貸さずにお前にやる。でもな、3万円はうちのラーメン66杯分なんやぞ」と。僕は、曲がりなりにも飲食店でアルバイトやら従業員やらをしたことがあるので、飲食店の3万円の重さを痛感し、精神的ダメージ。

◎真夜中、玄関の方で音がするので覗き穴を見ると、2本の足が見えた。誰かがドアにもたれて寝てる!と思い、騒ぎを起こすわけにもいかず、ケンカをやり込んでそうな友人に電話をすると熟睡してた……。朝まで物音を立てずに耐えていたら、急にお腹が減り、玄関横の台所で思いっきり音を立ててカレーを作り始めた。食べて満腹に。で、また玄関の外を思い出しこわごわと就寝。結局、覗き穴の下に微妙に足のように見える白い点が2つあっただけだった。

◎深夜4時。外が天神祭並みのにぎやかさ。女がぺちゃくちゃぺちゃくちゃといつまでも喋ってるような声。でも、その日は祭じゃない。
◎民謡が聴こえたと思ったら、突然オレンジレンジっぽいゴミ歌謡曲になって、最後は『世界のプロレス』の中継に……。

◎「なんでですか?」と問い詰められて黙り込む。
 例えばドクターに「阪神電車って飛び込みたくなりますよねぇ」と言うと、「なんでですか?」って。轢かれた遺体が包まれた担架を二度ほど見たから、普通電車しか止まらない駅には凄い速度で特急が通過する(これは最近解消されたみたい)。
 野村桔梗という画家の「有名人の死の15秒前シリーズ」の絵を観ていたら、ビルの窓を開けて、包帯ぐるぐる巻きで、天使の羽が生えた故・岡**希子さんの絵が……。「さすがにこれはシャレになりませんよねぇ」と言うと、学芸員さんは「なんですか?」って……。

◎「御座(ござ)」という単語を思い出せず、ずっと「ザゴ」だと思って、変換したりググったり。それだけを思い出すために30分以上要す。
◎ケータイを首からぶら下げる皮のストラップをちょん切っていた。

◎尿後の尿漏れ、尿中の痛み。
◎僕がずっと頭の中で歌っていた玉置浩二の『メロディー』が、どこからともなく本当に聴こえてきた。

学童の最高責任者・安藤さんのことを考えただけで苦しい。
◎ハルシオンで眠れるようになったが、取材してる夢など疲れる夢ばかりで、起きた後げっそり。

◎イスに座っているとすぐ目眩。ヤバいと思って寝転んでも1時間以上目眩。
◎洗面所の配水管が詰まって、「混ぜるな危険!」の強力なパイプマンを流し込むが、詰まったままだったので、あらゆる手段を講じていたら、その液体を上半身裸のカラダ中に浴び続けてなお試行錯誤。とうとう体の皮膚が痺れて痛くなったのでお湯のシャワーを浴びた。

◎蚊除けのものを一切使わない我が家は、蚊が飛んでくるのに、今年は一切刺されない……。
◎その他諸々。

 
清原クンと桑田クン
きよはUo1_500



 先週は、YouTubeで清原選手の引退試合とセレモニーをずっと観ていた。「YouTubeでそういうのを観た」って書くのは云々言われるかもしれないが、それは無粋というもの。動画が落ちてたんだからしょうがない。それに我が家にはテレビもワンセグもWindows搭載パソコンもない。

 とにかく全部5回以上観た。僕は単純かつ、実は小1から筋金入りの野球オタクなので、予定調和の演出であったとしても泣けた。ただ、清原選手の周囲をくるくる回り出した長渕さんだけは、妙な動きに見えたが、あれはカメラワークが悪い。


 清原選手で思い出すのは、中学生時代に僕が燃え尽きた柔道部に在籍していた後輩の上田。上田はほんまにアホやった。休憩時間にフルチンで踊り出して皆を爆笑させたり、2点を取った答案用紙をわざわざ皆に見せたり。

 何気に皆で会話をしていた時に、「アイドルでは誰が好き?」って話になった。皆が当時のアイドル、女優などの名前を出していたら、突然、上田が話の輪に挙手をしながら割り込んで来た。

「はーい! はーい! 僕も好きなアイドルいまーす!」
「いきなり飛び込んでくんな!(笑) ほんでオマエは誰が好きやねん?」

「清原クンと桑田クン!!」
※ 一同爆笑

「“クン”はやめろ! “クン”は!(苦笑) せめて、清原さんか清原選手って言え!」
「だって~。カッコいいんやもん!」


 当時、PL学園の選手として甲子園を賑わせていた2人。野球が大好きと公言する前田が憧れるのも無理はない。無理はないけども1年生だった上田が、あまりにも言葉遣いや礼儀を知らないので再三注意した。

「俺(当時2年生)はかまへんけど、3年の先輩にタメ口はやめろ」
「だって、どう言うたらいいのかわからんもん!」

「M先輩(3年生)だけ“先輩”って呼ぶのに、なんで俺は“クン”やねん!」
「M先輩は同じ町内やもん!」

「オマエ、柔道着洗えよ! 納豆くさいねん!」
「持って帰るのめんどうやもん!」

 3年生の先輩たちは上田にはお手上げ状態で、中体連の県大会が終わり部活を去る際に、「上田は大変やろけど頑張れよ(笑)」「オマエ、上手いこと部員集めすぎたな(笑)」などと言われた。新入部員が5名も入れば多いほど人気がない柔道部で、僕は見学に来た新入生を褒めちぎって笑わせて20名以上集めてしまった。先輩らが集めろって言ったくせに(苦笑)。

 とにかく部長(主将)に選ばれてしまった僕は、県大会の地区予選をギリギリ通過するのがやっとこさなウチの柔道部をなんとかしたかった。で、スパルタ的なものに走る。ゴツい後輩もいたが、ヤワなのも多かったからだ。それに、県下でも1、2番にワルだと言われていた学校だったから、自衛策としても強くさせたかったのだ。


 話は逸れるが、僕が入学した当時は、漫画のビーバップハイスクールを彷彿させる不良たちばかりだった。同じ学年の不良らは、僕のことを知ってるので手を出そうともしなかったけど、3年生あたりは半分以上がえげつないヤンキーだらけ。歩いてるだけで知らないヤンキーに呼び止められたり、命令されたりするほど。
 僕は、万事に備えて学生服のポケットにロープ(首絞用!)やカッターナイフ、メリケンサックを忍ばせ、おまけにポケットに手を入れながら40kgのハンドグリップで握力を鍛えていた(笑)。幸い、同じ町内で3年の元気ハツラツなSクンが不良たちと談笑中に、僕を見かけたら笑顔で接してくれていたので、「Sが可愛がってる奴」として認知されてかなり助かった。数年後、Sクンは海外にて交通事故死したけども……。

 そんな学校だったのに、ある日、部活の顧問の先生(尊敬しているので「先生」。その他は「教師」)に諭された。
「おまえは素手で人殺せるような力と技、おまけに冷徹、いやキツい心まで持ってるから、絶対に喧嘩はするな!」

 仕方がないのでそれはずっと守った。喧嘩を売られても、笑いながら全て防御で相手が疲れてやめてしまうのを待った。授業中に抜け出して、不良たちの喧嘩トーナメント(?)を見学していても、僕は参加させてもらえなかった。それどころか、修学旅行先でのプロレスごっこ(といえど、かなり本気で大量出血してる奴もいた)でさえ、クラス一のワルに「レフェリーやってくれ」と懇願された。


 かなり話は脱線したが、要するに後輩らには自分は強いという気持ちと、柔道というキツくて厳しいことをしている誇りを持たせたかった。なのに、稽古中に疲れたら、ふざけて戯けて緊張の糸を緩めてしまう上田……。上田をしばくためではないが、いつしか僕は剣道部の竹刀を持ち出して皆の稽古をつけた。竹刀でしばいたら泣いてしまうようなのもいたが、実は竹刀ってのは喉に突きでもされない限り、いつも畳に投げられている人間にとっては全然痛くない。僕も警察官が主催してる柔道サークルにおいて竹刀でかなりしばかれたけど、冬場の凍り付くような畳に投げられる方がよっぽど痛い。だから、プロレスラーが竹刀でしばかれて痛がるってポーズはちゃんちゃらおかしい。


 そこで上田。竹刀でしばいても鼻歌を歌い出すし、平気な素振り。彼はデブなのに恐ろしいほどカラダが柔軟で、遊びで誰かがプロレス技の逆エビ固めをかけても、両肘をつきながら口笛を吹いていた。「お腹を殴られても痛くない」と豪語するので後輩がグーで殴ると、ポコーンと厚いお腹の脂肪と妙に硬い皮膚と筋肉が、ショックを吸収してしまう特異体質だった。
 あまりにやる気もなく、稽古中に堂々とサボりだした上田にキレて、今度は木刀でその腹をボコボコに殴ったこともある。さすがに腹以外を殴ると危ないのでそれ以上はしなかったが、木刀よりも僕がブチギレたことに恐怖を感じて上田は泣き出した。

 それ以外でも何かにつけて泣く度に、上田はいっつもいっつも言うた。
「いいも~ん! 僕、野球部行くも~ん」
「プロ野球選手になるも~ん」
「柔道なんてやめるも~ん」

 その言葉に後輩たちが言うた。
「オマエなんかが野球できるか!」

 僕は言うた。
「辞めたきゃすぐ野球部に行ってまえ!」

 顧問の先生はこっそり僕に言うた。
「こういう言い方はあかんけど、あいつはある意味“本物”やさかいにそんなにムキになるなよ」

 僕は先生に問うた。
「それやのになんで普通学級にいるんですか!?」
「上田は野球部に行きたいらしいんで、転部させてやったらどうですか?」


 当時、転部や退部は御法度に近かった。内申書に「3年間○○部で活躍した」と書かれなければならなかったからだ。僕の言葉より先に、ふざけた態度を別の後輩に怒られたのかどうか知らないが、上田はキレて叫んで稽古場から出て行った。 
「いいもん! 僕、野球部行くもん!!」

 後輩たちはその言動に怒って追いかけて行こうとしたが、僕は「ほっとけ!」となだめた。しばらくして、「上田が野球部に入った」というのを聞いたが、どうやらそこでおちょくられて、邪険にされているとも聞いた。中学・高校の野球部員なんてのは、練習の合間に飯を食って勉強するようなスタミナと我慢の塊。例えればマラソンランナー。柔道部員は、それより短時間でみっちり稽古するけど持久力には乏しい短距離ランナー。落ちつきのない上田が野球部を辞めてしまうのは目に見えていた。


 ある日、稽古場へ行くと、誰かを取り囲んで後輩たちが何やら叫んで怒っていた。怒りの矛先は上田。柔道着を持って立ったまま、皆にどやされて下を向き黙っていた。
「一度辞めたら戻れませーん!」
「ワレ、何しに来たんじゃ!」

 僕が稽古場へ入ると、後輩たちが「上田が! 上田が!」と僕に訴えてきた。僕は上田に訊いた。
「また、柔道やりたいんか?」
「はい……」

「ほな早よ(道着)着ろ」


 喜々として「はい!!」 と叫んで着替えた上田は、挙手しながら畳の中へ飛び込んでくるくる回って走り出した。
「上田でーす! 柔道部の上田でーす!」

 ついさっきまで怒っていた後輩らも苦笑していた。



 卒業して、僕が高2になった頃、母校の近くの駅じゃなく、珍しく隣の○○駅から電車に乗ろうとしたら、改札口で上田を見つけた。声を掛けたらキョトンとしていたが、「俺や! 柔道部の○○や!」って説明したら思い出してくれた。
「あ……先輩、お久しぶりです」

 彼の話では、顧問の先生に就職先を紹介してもらって仏壇を作っていると言う。「オマエの方が先に社会に出て仕事して偉いのう」って言ったら、エヘヘって感じで照れながら頭をボリボリ掻いた。


 それから何度かその駅で上田に偶然会うことがあった。
「あ! それ最新型のウォークマンやんけ」
「うん。いや、そうですよ」
 
「お。ちゃんと敬語しゃべれるようになったやん」
「はい」

 そう言いながらまた頭をボリボリ。ウォークマンで聴いている曲が気になったので訊いた。
「誰の歌、聴いてるの?」
「トシちゃん!」

 ズッコケている僕に、録音したカセットテープのケースを見せてくれた。ケースの背中には見事なまでの縦書きで、








 と書いてあった。「俊」の文字が、見たこともない造形だったけども……。

「へぇ、これはどんな曲?」
 訊くと彼は説明してくれたが、僕の知らない曲だったので、説明は面倒だとばかりに電車内で歌い始めた。
「こら上田! ちょっと声がデカ過ぎるって!(赤面)」

 歌声のボリュームを下げた上田に、どんどん訊いたら延々と歌ってくれた。僕が先に降りる駅に到着した途端、上田は言った。
「え~!? もう~?」

 電車の速さにブーイングした上田。オマエは面白い奴だったよ。




 上田、上田。
 オマエの大好きな清原クンの引退式ちゃんと観たか?
 俺が泣けたくらいやから、オマエは大泣きしたんちゃうか?
 若くして社会に出たオマエはなんだか少し窮屈そうやったな。
 職場の人たちと仲良く出来てるんかな?
 俺はもう無理しても駄目っぽいけど、オマエはあのまま元気でいるんかな? いや、元気でいろ! これは先輩からの最後の厳命や。
 世間の風は冷たいやろうけど、きっとオマエは明るいオマエでいてくれてると信じてる。

 なぁ上田。あの頃は楽しかったな。
 オマエがいてくれたおかげや、なんて言うたらまた照れるんやろ?
 でも、ほんまにありがとうな。
 皆の好きなアイドルはたぶんオマエやったんや。
 上田。いつかまたあの駅でオマエに偶然会いたいぞ。
 その時はちゃんと俺のこと思い出してくれよ。
 そしてまた歌ってくれよ。

  
 

羞恥プレイ
 すでに昨日だが、父方の叔父(養子)と友人(with 以下の場合、いるだけで邪魔な4歳の娘)に手伝ってもらって、実家の周囲のジャングルのような木の枝切りと掃除をした。
 アシナガバチやスズメバチ、刺されると腫れ上がる毛虫などがいるし、イバラがあるし、チェーンソーで切った太い枝が落ちて来て危ないし、近所のクルマは通るし……。
 明るくておもしろい子だけど、友人がその娘を連れて来た時に、一旦家に帰してもらおうかと思ったほどだ。でも、「どうしても一緒に行く!」と言って聞かなかったそうだ。


 僕はといえば、いまさら今年初めて蚊に刺された。蚊ではなく正確にはブヨだが。大阪の僕の部屋にももちろん蚊は飛んで来るが、よほど精気がなかったのか今年は1箇所も刺されなかったのに、ブヨめ。


 あ。叔父が養子だなんて、まるでお金持ちの血族みたいに思ったでしょ? だけど実際は違う。苗字でどこの部落の者かバレるのを嫌い、養子として苗字チェンジしたそうだ。自分は平気でも、子どもに嫌な思いをさせたくなかったのだと思う。とにかく、あの枝を切るパワーと身のこなしはすごい。それでいて言葉遣いも流暢。僕と年齢が逆じゃないかと思うくらい。友人もかなり驚き、たじろいでいた。


 実家へ向かう途中、そして帰る途中、クルマの後部座席のチャイルドシートにいる友人の娘がきゃんきゃん騒ぐ。

「ねえ!これ! パパ!見て! にらちゃんも見て! 見てってば!」×∞(しかも、だんだん大きな声になる)

 運転がかなり怖いレベルで、ルートを知らない・憶えないパパさん(友人)のナビ兼安全確認係は僕。前に座る二人ともが高速道路を運転中なので、娘がどう叫ぼうと振り返れないのだ。見たら見たで単なる「糸」だし……。ちょっと大きめの声で厳しく言ったらしばらくは黙ってくれたけどまた再発。とりあえず、娘を不必要なほどに甘やかして、娘のワガママを何でも聞き入れてしまう、怒らない主義のパパさんに言った。

「あのね。“怒る”と“叱る”は違うんやで」

「こんな話がある。バスの中で騒いでいたガキを注意しないママが、ようやくガキに放った言葉が『大人しくしないと運転手のおじちゃんに怒られますよ』だったんやて。そこで運転手さんは、車内アナウンスで『私は怒りません。お母さんがちゃんと叱ってください』と言ったそうや」
 
 なるほど、と納得してようやく叱った友人。でも、普段甘やかしてるのですぐに娘復活。そして、ずっとパーキングがない高速道路が続く車中で、1秒前までは保育園での話をしていた娘が急に叫んだ。

「うんこ漏れそう!! 出る!」

 僕は同じ生き物として戸惑った。前から薄々気づいていたが、僕はどうやら子どもが嫌いなようだ(苦笑)。その子のことは嫌いじゃないけども……。自分の子どもなんて要らない、と常々言っている意味がしっかりガッチリわかった。たぶん自分の子ならどついてる確率95%。ああ、人の親にならなくてよかったよかった。


 枝切り・掃除を終えてオヤジのいる特養へ行くのが本日のメインだった。外出届を出し、車椅子を押して墓参りへ。何度も来ているのに自分ちの墓がどこかわからなくて、オヤジを墓場の真ん中に置いたまま僕はうろうろ……。そしたら、後ろの方でオヤジが「あれや」と指差した。オヤジの正解だった……。
 とにかく墓参りを済ませ、きっとオヤジは好物の「焼きそば」だと言うだろうと思って、「さあ何が食べたい?」とオヤジに問うた。
















「バナナ」







 2秒くらいで迷いなく跳ね返って来た言葉に、僕は10秒くらい硬直した。そうだ、バナナもオヤジの好物だったのだった……。このくだらないバナナダイエットブームの真っ最中に!(泣) しかし、オヤジはブームなんて知らない。

 オヤジたちをクルマに待たせて、仕方なくスーパーへ単独突撃! あんな片田舎のスーパーでなんと5種類以上ものバナナがあり、あんな片田舎のスーパーでほとんど売り切れ間近! しかも「テレビで話題ですが買い占めはお控えください」の貼り紙! 
 せめてお茶かジュースと一緒にカゴに入れてレジへ行こうとしたら、冷えているのがなく、しかも大きなボトルのみ……。僕はあきらめて、カゴにバナナ1房だけを入れてレジに突撃しました。すごーーーく恥ずかしかった。

 そして、琵琶湖の砂浜へ行き、湖を眺めながらバナナをほうばるオヤジ。全部平らげたオヤジ。僕には、母親が死んで間もない頃、この辺りで毎日見ていた、琵琶湖の向こうの山々に沈んでいく朱色の夕焼けが、さっき赤面した自分の顔色のように思えた……。


 とにかく今、罰ゲームをするなら「バナナ1房買い」がおすすめ!!(涙)

  
 
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