【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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御花見
 あと少しで4月だ。闘ったあの日々が、花を咲かせる記憶を取り戻した桜の蕾のようにぽつぽつと甦る。約15年も経つというのに、母が逝ったあの日までの僕と今の僕が闘っている。あの憎く忌まわしい癌細胞と闘った母が苦しみながら甦ってくる。

 ここ数年は、某広告記事の作業でそんなことを考える余裕もなかった。数年続いたその仕事も去年で終わったので、僕は春を感じる感覚を取り戻してしまった。てっきり、もう過ぎたことだと思っていたのに……。その仕事をしていた数年間は、ちゃんと御花見をしていない。桜の花をちゃんと見る余裕さえなかった。一度だけ仕事仲間の皆さんに誘っていただいたことがあったが、桜を眺める余裕もなく、ひたすら食い物を漁った。



 生まれて初めて桜の御花見に行ったのは、たぶん小1だった。母と母方のおばあちゃんとジョンおばさんに連れられて行った。すでに逝ってしまったその3人と近江神宮か三井寺か日吉大社か忘れてしまったけども、とにかく比叡山の麓にある桜が咲き乱れる場所へ向かった。
 京阪電車で向かったのだが、3人は御花見に付き物であるお弁当やお茶の類を一切持っていなかった。当時の僕は、御花見イコールお弁当だと思っていたのでとても不思議だった。きっと現地調達するんだろうとタカをくくっていた。

 桜が咲く参道をひたすら歩いた。階段を上ったり下りたりしながら、3人の大人たちの後を追った。いつお弁当を買うのか楽しみにしながら。周囲では、御座を敷いて楽しそうに花見ならぬ、外での宴会に酔いしれている花見客を見ながら。結局、僕らの一行は、桜の花と楽しそうな花見客を見るだけで終わった。ガッカリしながら帰宅したけども、今になってあれこそが本来の御花見の姿じゃないかと気づいた。あの3人は、僕に教える為、あそこに連れて行ったのだ。

 昔は、桜の色を台無しにしてしまう、ホームレスの人たちがテントにして使うような、馬鹿デカくて青いビニールシートを敷いてる花見客なんていなかったように思う。憶えているのは、遠足用の小さなビニールシート、もしくは御座を敷き詰めて自分の陣地を確保していたこと。桜をほとんど見ずに、騒いでゴミだけを溢れたゴミ箱に捨てて帰るような味気ない現在の花見は、「御花見」とは呼びたくない。


 今になって思うことは、亡くなった3人が教えてくれたのは、桜の花と花見客とを眺めながら、世間の人たちの幸せを愛でること。それが幸せというものなんじゃないかってこと。今になってあの幻のような体験は、幸せとはなんだ?の答えを3人が見せてくれたような気がする。そして、幸せに到達した時間は「気怠い一瞬」でしかないということに僕は気づいた。本来ならば、その過程までが幸せというか充実した期間なんだろうけど。

 僕が3人がいる場所へいずれ到達した時には、自分の御座という人生を敷いて3人の御座と重ね合わせて、人生という願いを共有したい。「死んで花“見”は咲くものだ」ということを忘るることなく、いつか壮絶な死に方をした3人と、もう一度あの御花見をしたい。



 倉敷の病院の担当医と初対面時に、カルテやらを視て直ぐに発した、「(命が)保(も)って春まででしょう」の言葉が、あの頃の僕には信じられなかった。だって、桜が咲いた頃に母は生きていたし、生命力の強さを実感して有り難く思っていたのだから。念願の春まで保ったのだから。

 8人部屋の病室に、いけないと分かりながらも一輪の桜の花を持って行った。病室の人たちは、外出すると危険な状態になってしまう方々ばかりだったので、僕が持ってきた花を見て、
「まあ、桜!」「綺麗ねえ」などと言って喜んでおられたが、母はほとんど言葉を発さず、じっとその桜を見ているだけだった。きっと、以前のあの御花見を思い出して、苦労と悲劇が始まる前のあの頃は良かったとかなんとか、感慨にふけっていたいたのだろう。



 母とおばあちゃんを同時に納骨した際、あまりにも頭蓋骨の形がくっきり残っていたおばあちゃんの遺骨を見て、従姉は「ひっ!」と声にならない声で驚いてた。僕はただ「強いおばあちゃんだったんだな」と見ていた。おばあちゃんと一緒に暮らしたがっていた母。お墓に納骨する時、母とおばあちゃんの遺骨が混じり合って、まるで散りゆく桜吹雪のようにお墓の底へ吸い込まれて行った。


 いつか見るであろう桜の花びらは、今度、僕にどんな思いを抱かせてくれるのだろう。もう直ぐ母が空の彼方へ吸い込まれて往った日がやってくる。母が戻ってくる。あの闘病をフラッシュバックさせながら、御花見がしたい僕の憂鬱な時間が始まっている。
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逝くなと起こした猫
 また自分が誰なのか、ここはどこなのかさえ分からないまま目覚めた。蛍光灯を点けっぱなしだったので、光を浴び続けていた左目にダメージで頭痛。

 エアコンが動いている。最近は点けた事なかったはずなのに。昨夜って寒かったのかな? 僕の腕枕で寝ていたタビを起こして、パソコンデスクを見た。パソコンもブラウザも点けっぱなしだった。ブログの管理画面とmixiにログインしたままだった。デスクには食事の跡が……。どうやら食べている途中に眠ったらしく、安くて最高に旨いチャンジャが乾涸びていた。

 缶ビール(ビール風味酒)が2つ置いてあった。1つは空だったが、もう1つは蓋を開けたまま満タンに入ってた。回りっぱなしだった換気扇を止めてトイレへ。そして、鎮痛剤といつもの精神安定剤3種を飲んだ。

 どうやら18時間以上眠っていたらしい。いつの間にエアコンを点けて寝床に入ったのか憶えていない。ブログに新しい猪木動画が追加されているがこれも憶えてない。

 ただ憶えているのは、あちらに記憶が飛んでいた僕の寝ている途中を、猫のタビが何度も揺り起こした事。起こされてなにか会話していたような……。

「やけに今日はしつこく腕枕を強要するよな」
「お前、そんなに俺の事好きか?」
「俺を恋人やと思てるやろ?」 

 タビの返事は憶えていない。いつものように掠れた声で「ニャッ!」と鳴いたような……。
 起きたら全身が妙に冷たかった。エアコン点けて寝ていたはずのに。タビが寝ていた右腕だけが温かった。また「猫救助」を受けたのだろうか?
 
 ひょっとして知らん間にオーバードーズしてたのかな? 一体なんなんだろう? とにかく月曜日にガスを止められてしまうので、今のうちにシャワー浴びとこ。
【闘魂に萌え!】アントニオ猪木に逢えて会えた事
 今月、アントニオ猪木さんを取材する機会に恵まれた。「恵まれた」どころじゃない、恵まれすぎた。


 思春期のスーパーヒーローは、ウルトラマンでも仮面ライダーでもなくアントニオ猪木だった。猪木の闘う姿勢から、アイデンティティを見出した。負のパワーみたいな怒りの反逆精神は、猪木によって培われたと言っても過言じゃない。


 猪木に完全にハマったのは、国際プロレス軍団(ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇)との1対3の試合だった。
「いくらなんでも3人には勝てないだろう」という思いが、徐々に応援に変わっていった。ハマってしまった。僕、猪木好きだったんだ!って分かった。試合は猪木がリングアウト負けしたけども。

 それまでもプロレスは観ていた。幼稚園に入る前から観ていたはずだ。オヤジが夜8時くらいに帰宅した金曜日、各家庭にまだテレビが1台だった時代。「チャンネル争い」という言葉があった時代。強制的に観さされたわけではないが、金夜8時の『ワールドプロレスリング』を僕は居眠りを交えながら黙って観ていた。

 ボクシンググローブをはめた選手と猪木が闘っているのを観た記憶があるから、現代の格闘技ブームの基礎となった猪木の異種格闘技戦から観ていた事になる。インドの“狂虎”タイガー・ジェット・シンとの攻防で流血戦になると、オヤジは止めなかったが、お母ちゃんに「観ないで早よ寝なさい」と言われた。そのオヤジさえも「今日は観たらアカン」と止めたのは、猪木と上田馬之助の“釘板デスマッチ”だけだ。最近、YouTubeでそれを観る事ができて感激した。2選手ともギリギリの攻防をしていた。やはり昔のプロレスラーは凄い。

 僕が猪木に完全にハマったちょうどその頃、僕は小6で、筋力やら体が異様に発達していた時期。身長は幼稚園の頃から、常に後ろに並ぶ位置だったが、小学校は児童数が全国で2番目に多かったマンモス校(←死語?)で、小6時に学校で一番デカかったのが僕だ。身長167センチ以上あった記憶が……。初めて会ったオバハンなどに「どこの高校行ってるの?」って訊かれる事もしばしば……。子供料金で電車に乗る度に、お母ちゃんが駅員に説明してたのが毎度苦痛だった。

 筋力は半端なかった。ドッヂボールではバケモンみたいな剛球を投げたので昼休みのリーダー格だったし、体育の時間に「ドッヂボールを両手で投げなさい」と言われたら、他の子が10メートルも投げられないのに、僕は20メートル以上投げていた。当時は大相撲もプロレスも好きだったし、同級生たちと所謂「ごっこ」をしてると、いつの間にか皆が本気でかかってきても、かなり手加減してやっつけていた。相撲大会に誘われたこともあり、軽く優勝できる自信はあったけど、マワシからチン毛がハミ出たら嫌なので辞退した(苦笑)。

 小2の途中からランドセルをやめて、ショルダーバッグを愛用していたのだが、小6で急に「もう小学生最後だから」とランドセルを背負い、毛嫌いしていた半ズボンを履いて登校した。知らない人から見ると、たぶん異様な小学生だったと思う。そんな感じで人の意表を突く「天の邪鬼」的な部分も、元からあったのだけれども、猪木によって・酔ってさらに増したのだ。


 両親は僕を育てたのだけども、思春期という多感な時期に猪木という者に魅了され、洗脳を受け、猪木に洗礼を受け、僕はこんなになっちゃったのだ。幼少期は、母方のおばあちゃんの遺伝子を継ぎ、思春期は猪木の遺伝子を模造していたのだ。
 だから神様みたいなものだし、神様って実は猪木のように凄いけどどうしようもない、どうしようもないけど凄い存在なんじゃないかと思う。
 両親がくれたものが「いのち」なら、プロレスがくれたものは「いのき」だ。これも過言じゃない。



 とにかく取材で猪木さんに会った。ガチガチに緊張した。だって、あのスーパーヒーローが目の前にいて、僕を見て喋っているんだもの。それでもなんとか考えておいた質問をしようとしたのだけど、自分の言いたい事を言い終わるまでは、人の質問を遮って話し続ける神様・猪木にたじたじだった。『朝まで生テレビ』で出ればいいのに……って思うくらいの喋りだった。
 そして、挨拶が肝心・挨拶を尊ぶ人なんだと直ぐ分かった。話し中であろうが、そこに入る時には大きな声で挨拶すると、どんな状況でも返事をしてくれる。そこから出て行く場合にも大きな声で挨拶すると、どんな状況でも返事をしてくれる。この歳になって新たな事を教わった気分だ。

 もう直ぐ、大阪で猪木さんの団体・IGFプロレスリングの大会が開催される。それを考えながら自宅で原稿書いていると、余計に様々な妄想をしてしまった。通常1時間半で書ける唯一の連載原稿が4時間以上かかった。
 ふと、「オヤジに猪木さんをプロレスを生で観せてやれたらなぁ……。どんなに喜ぶだろうなぁ……」と思ってしまったのだ。

 猪木好きだったオヤジのおかげと影響で僕ものめり込んだのだから。そしてこの機会がたぶん最後っぽいし。でも、ちゃんと間近で見られる席は2万円……。自分の分も含めて4万円……。親孝行したい時に金はなし、か……。来月は越えられるけど、今月は越えられそうにない僕が、下手にオヤジを喜ばそうなんて甘いんだろうな、何もかもに……。
 とにかく今度特養へ行く時は、オヤジに写真を見せてやろうと思う。だって、珍しく自慢できる仕事ができたのだから。
 
 その他に猪木さんと実際に会って気づいた事がある。
 鋭い眼光だと思っていたのだが、実はまるで瞳孔が開いてるかのように綺麗な澄んだ瞳をしておられた事。
 これまで何度も映像や写真で見ていたのに、「餃子耳」だと分かった事。
 とにかく僕はずっと緊張していた事。
 カメラマンさんがレンズを向けると、話し中でも猪木さんは反射的にカメラ目線になる事。
 撮られる際に直ぐあの満面の笑みの顔を作れる事。
 最近、自炊続きでさらに太った僕の顔が、猪木さんより大きかった事。
 年老いたからなのか、身長が3cm縮んだらしく、そんなにべらぼうに体格がデカイという印象ではなかった事などなど……。


 現在65歳の猪木さんが休む事なく動き続けている。うちのオヤジなんて、その歳には既に脳梗塞の後遺症と認知症とでヨボヨボだったのにな。

「(試合に)出る前に負ける事考える馬鹿いるかよっっ!!!」

【アナウンサーにビンタ!】



 世代交代の大一番であった試合前のインタビューでそう言って、テレ朝の佐々木アナウンサーを激怒ビンタしたあの時の言葉を今でも実践しておられる猪木さん。あの試合はなんとか勝ったけど、ボロ雑巾のようになって、「嗚呼、もう猪木は終わりなんだな」と思っていたら、そこで初めて「1、2、3、ぁ、ダーーッ!!」を披露した猪木さん。終わりは始まりなんですね。明日は明日の風が吹くんですよね。過去にこだわらず迷わず行こう、行けば分かるんですよね。 そして挑戦をあきらめたらダメなんですよね。


【引退式での挨拶】



【味噌汁で顔洗って出直すの真意】




 巷では「猪木信者」と呼ばれる“ファン”であったおかげで、漠然とした“不安”がかなり吹き飛びましたよ猪木さん。味噌汁で顔洗いますよ。お会いできて元気になりましたよ。元気があればなんでもできる!ってホントにそうですよね。
 ありがとうございました!(敬礼)
当ブログのオススメ
 初めてここへ来られる方々が多いみたいなので、一応紹介しておきます。
 当ブログのオススメは、じんりょうだんちシリーズ(と言っても3作)です。






【関係ないけどおまけ動画(拾い物)】
◎忙しい人の為のサ○エさんオープニング



◎忙しい人の為のキュー○ィーハニーオープニング


mixiを退会したい気分
 次の公式発表(遅いよ! まだかよ!)の内容次第でmixiを退会します。退会に備えてすでに行った行為は、以下の通り。

1.フォトアルバムの全削除
2.動画の全削除
3.管理コミュの全削除
4.内輪でやってたコミュの自分画像削除、離脱
5.ミュージック(8376曲)を1つずつほぼ全て削除(※僕なりの株式会社ミクシィへのメッセージ曲だけ残した)
6.ミュージックの月別ランキング全削除
7.パソコンからmixi stationを消去
8.レビューの全削除
9.レビューのクリップの全削除
10.日記・メッセージ・お気に入り・マイミクID・参加コミュのバックアップ
11.mixiプレミアムの解約 、株式会社ミクシィに苦情送信
12.送信・受信メッセージの削除&そのゴミ箱の削除(←かなり面倒)
13.愛着がない・ヤバい系の日記は削除
14.参加コミュを約570から185に減少
15.コミュ・マイミクのグループ分けを削除
16.日記を全て全体公開に! (←終了)
17.あとは、残りの日記・コミュニティを全削除して退会のタイミングを待つばかり。株式会社ミクシィ側がよっぽど良い規約改定の良き改訂案を出さない限り、mixiには残留しません。下記のFC2ブログに専念するつもりですが、FC2もmixiよりちょっとマシなだけなので、MySpaceに移行しようか検討中!


 暇つぶししたい方は、Skype nirayanagi
 または、メッセンジャー **@hotmail.com
のリストに僕を加えていただくか、メールください(mixiメッセージは不可! バックアップが面倒なの)。○○ちゃんと××××さんだけがメッセンジャーの方へご連絡くださいました。ありがとう。寂しかったのよ。


◎ブログ
【大阪タワー☼】™ http://nirasan.blog85.fc2.com/
【大阪タワー☼モバイル】™ http://nirasan.blog85.fc2.com/?m

 今現在、mixiの足あとは64317アクセス。2000年から始めて、ようやく9万アクセスを超えたオンボロホームページ(http://www.geocities.jp/nirayanagi/)よりもアクセスのペースが早かったのに……(晒されていただけかも知れんが)。

 ちゅーわけで、早よ利用規約改定の改訂案を発表してよ! 株式会社ミクシィさんよ!

【追記】
 ようやくミクシィ側による条文修正が出ましたね。
 あれ作るのに2週間以上もかかった上場企業ってどうよ?
 ちゅうわけで、退会するかどうかはまだ悩み中。
人生は、死によって醒める夢だ
 タイトルは、マンガ『GANTZ(ガンツ)』の単行本の帯より拝借。気に入ってるんですよね、これ。

 毎週読んでいるマンガは『GANTZ』だけです。海原雄山が丸くなってしまい、山岡士郎が雄山化して、なお完結せず、主人公を変える動きのある『美味しんぼ』はもう欠かしてます(1~91巻まで持ってるけど)。魚介類に関していえば、『築地魚河岸三代目』というマンガの方が『美味しんぼ』よりずっと詳細です(面白くないけど)。

 『GANTZ』だけは一度たりとも欠かしたことはございません。週刊ヤングジャンプにて隔週連載中です。読んだことない人は、ネットカフェあたりで1巻から購読を。読むほどに深いし不快かもですが。

 あ、ちなみに最近見かけるようになった「女性のみ無料のマンガ喫茶」へは行かないようにね。
↓下記参照
http://www.tanteifile.com/diary/2008/03/04_01/index.html
http://www.tanteifile.com/diary/2008/03/05_01/index.html


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 今は、mixiがこのような(無法地帯宣言を放置の)状態ですし、なんらかのユーザーを安心させるようなmixi側からの公式発表があるまで、「猪木にたじたじの巻」日記は無期延期させていただきます。ネタとして凄く面白いのにもったいないですが。

 つーか、早くしないと株価の更なる暴落どころか、ここぞとばかりに他メディアやマス媒体からのmixiへの田代砲 一斉攻撃が始まってしまいますよ。次の出方次第で、株式会社ミクシィ及びmixiは終わるかも?と言っても過言ではないでしょう。



 先々月の借金返済のために仕事場のノートPC(MacBook)を売り払うことになったのはお伝えした通りですが、今は仕事場に余っていたWindows搭載マシンを使っています。あれほどまでにWindows拒否というかアレルギーの僕が……。適当に覚え模索しながらいろいろしています。

 しかし、なんでWindowsユーザーは、あの仕様である変な気持ち悪い書体に対して暴動を起こさないの!? ついでに、ショートカット等キーボードの打ちにくさとか、Vistaのダサくて恥ずかしいロゴデザインとかも含めて。 

 僕にキーボードの打ち方やマウスの使い方から教えてくれたのは、書籍でも人でもなく過去のMacintosh(Performa)でした。PCの初心者は、Macを使うべきです。(搭載のソフトも含めて)Windowsは習わなければ、学習しなければ、超初心者の大人(特に老人)は覚えられません。特に日本においてPCは、老人を最優先にしたツールであるべきなのです。設定の難しさなんてコレで即解決しますし。

 マス媒体で話題として取り上げられるからと言って、消費者というターゲットを少数派のガキンチョにしぼらず、タンス預金を隠し持っている老人の方に定めるのがいいと思うのになー。購買層を重視してるんだろうけど、購買層はいくらでも新規開拓できるのに、なぜ未だにヒジキみたいなマツ毛のギャルたち中心をターゲットにしようとしてるのか僕にはわかりません。

 老人福祉って実は、金銀財宝を積んだまま海底に沈んだ船ですよ。といくらかの人たちに発射しておきます。


 今夜の〆を一言。
 mixiは、退会によって醒める夢だった(過去形)。



マンガで分かる4/1(火)からのmixi利用規約改悪
改悪




なんだかわかりやすい。
オーバーかつ大袈裟かもしれんけど、このままだとこういうことなんだな。

◎マンガで分かるmixi利用規約その1
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=735431231&owner_id=79548

◎マンガで分かるmixi利用規約その2
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=737862537&owner_id=79548
時は来た! 猪木ボンバイエ
 僕の思春期を完璧に支配し、洗脳してくれたヒーローは、ウルトラマンや仮面ライダーではなく、名作映画の主人公や有名な俳優でも歌手でもなく、アントニオ猪木さんだ。今度、猪木さんを取材することにほぼ決定した。

 大物や~! 僕のライター史上一番の大物や~! 当日は感涙してしまうかも……。あくまでもインタビュアーなので、忌野清志郎さん「を取材」ではなく「と対談」した、仕事仲間のイラストレーター・Cさんには敵わないけど。

 どこで?どの媒体で?なんのために?などは明かせないけど、とりあえずビンタはしてもらうつもり。鼓膜破れて脳しんとう起こすくらいの覚悟はできてる。でも、舞い上がりすぎて何を訊けばいいのか全然決めてないんだな、これが……。

 問題なのは、普通のインタビューなら20~30分あれば十分なのに、なんと1時間ほど撮影も兼ねて時間を割いてもらえるらしい。
 そこで募集! 猪木さんへ質問して欲しいことをなんでもいいから募ります。面白い質問は、実際にぶつけてみますので、皆様からのアイデアをお待ちしております。

 ちなみに、猪木さんにビンタされた女性は子宝に恵まれるという伝説があります。猪木さんにビンタされた後は、タモリさんに安産祈願のサインをしてもらうと完璧です(←何が?)。

 とにかくいくぞーっ! いち、にー、さん、ぁ、ダーッ!!
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