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【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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記憶喪失な年越し
 最近は記憶喪失が激しいです。ブログの文字を大きくしたり、色を変えたりするだけの単純なHTMLタグをいじってたら、なぜか上手くいかず、気がついたら5時間も同じことをしていたという……。しかも、イライラもせず全然苦にならなかったという……。

 そんなことより、(主にトイレに行った後に)突然記憶喪失になることが発生して困ってます。自分がどこに居るのか自分が誰なのかさえさっぱりわからない状態になるのです。今のところ数十秒で記憶が戻るので助かってますが。
 おまけに東西南北がわからない方向音痴になったり、10年来通っている精神科医のビルに入ろうとして違うビルに入ったり、地元の駅の地下鉄の乗り換えがさっぱりわからずウロウロと徘徊することも……。
 頭は前からおかしかったけど、さらに輪をかけておかしいです。空気が読めないどころか、空気を読「ま」ないリアルなキチガイに近づいてます。
 しかし、なぜか仕事をする時だけシャンとしているので、認知症の老人に近いものもあります。


 昨日、久しぶりに牛乳というものが飲みたくなって、最近発掘したやたら品揃えの凄すぎるスーパーマーケットで、低温殺菌牛乳のいいのがあったから買ってきて飲みました。一口飲んで「うめー!」。また飲んで「うますぎるんじゃない?」などとガブ飲みしてましたら、あっという間に1ℓが空っぽ。
 飲んだ後に横になったら、睡眠薬無しで奇跡的に7時間も安眠できました。たぶん100℃以上で加熱した牛乳にはない効果だと思われるので、不眠症の人は低温殺菌牛乳をガブ飲みするのをお勧めします。「眠れない時は牛乳」ってホントだったんだなー。

 それから寝直して、起きたら大晦日の15時……。親父のとこへ行く予定だったけど、明日にしようと即決。今のところ滋賀は、よっぽど北部じゃないと雪が積もってないらしいので、毎年恒例の「森けんの家で、(おせち屋に注文したやたら高い)おせちや筋子のおにぎり、酒屋の森けんとっておきの日本酒を鯨飲馬食しながらグダグダする年越しの会」に参加します。

 これは恒例行事で、実は高校を卒業してからずっと続いています。不参加の年も2、3度ありましたが、ほぼ皆勤です。元旦の朝は、森けんのお母ちゃんのおせちを食います。これがまたうまい! 食用菊のおひたしとナマコがお気に入り。


 さて、腹減ったのでマクド行ってきます。帰りにコンビニでどん兵衛のそばを買って食います。その間、紅白でリア・ディゾンちゃんがまともに歌えるのかチェックして、それから21時前に大阪を出発して滋賀の森けん宅へ乗り込みます。

 年賀状に書くことは元旦に考えます。たぶん出すのは5日ぐらいかな。苦難を乗り越えて来年もなんとか生きようぜ。でなかったら“冥土”で会おう。じゃあ、アディオス。


メイド


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鼻毛カッター
 24日はスーパーへ買い物に行き、薬・化粧品売り場に何故かたむろって、コンドームを買いにくそうにしてたカップルを横目に、自分へのクリスマスプレゼントとして鼻毛カッターを買いました(1000円のやつ)。なぜか「耳毛カッター」なるものも売っていました。『おふくろさん』を作詞した川内先生に是非おすすめしたい。
 鼻毛カッターは10年ぶりくらいに使ったのですが、快適ラクチン。鼻毛の伸びやすい喫煙者は、鼻毛カッターを買うべき。雑誌のモデル並みに綺麗な鼻の穴になりますよ。

 深夜、自宅で湯豆腐をつついておりました。独り鍋最高。ついでに大掃除でやり残した風呂場の天井やトイレの後ろ側、台所、冷蔵庫の掃除(13年住んでて2度目……)などの掃除で疲れました。その後にどっぷり湯に浸かって風呂というものを堪能しました。今年2度目(それまで3年くらいシャワーオンリー)。

 マンネリ過ぎる『明石家サンタ』などは観ずに、ブログのHTMLタグをいじってましたら、なぜか朝の10時(25日)になっておりました(全く意識が飛んでる)。
 後輩からの質問の電話で15時くらいに起きて、納豆ごはん(ネギはちゃんと自分で刻みます)食って、あまりにも首に激痛が走るので夕方に寝転んだら、そのまま睡眠薬もなしにぐっすり。気づいて起きたら朝6時。いつのまにか26日になっていました。どうやら25日未明に飲んだ睡眠薬と頓服用睡眠薬の飲み合わせが悪かったようです。たぶん……。そうじゃなきゃ脳障害かな……?

 あれ? クリスマスってもう過ぎたの?

 去年、一昨年とセブン-イレブンの骨付きチキンを食ってたのに、今年は食いそびれました。
 明日はゴミの日なんで早起きせにゃならんのです。70ℓのゴミ袋5つが玄関外に放置されていますから。しかも、明日は事務所の大掃除&忘年会ですし、某広告の打ち上げ&忘年会もあるのでどちらも掛け持ちせにゃならんのです。

 あ、年賀状作ってなかった……。まあ、書くのは毎年、元旦と決めているのですがね。やはり1年の決意や「今年もよろしく」などを前年に書いて出す年賀状は可笑しいのです。年賀状には「元旦」と書くのですから、やはり元旦に書くべきです。にらからの提案でした。
サンタクロース 【改訂再掲載版】
コロコロ



 この季節になると、あちこちがクリスマス装飾になる。だから、いやでも思い出すことがたくさんある。

 我が家にはサンタクロースって存在はなかった。幼い頃、試しに靴下を置いて寝たことが何度もあるが、結局いつも靴下には何も起こらなかった。
 我が家のクリスマスは、不二家かタカラブネだか忘れたけど、当時はあまりおいしくないバタークリームのケーキを食べるだけの儀式がある日だった。近所では小金持ちのボンボンたちの家が集まってパーティーというものをしてたけど、貧乏な家の僕は一度も呼ばれたことがなかった。それはそれでうらやましかったけど、どんなものであれケーキっていうものは、子ども心をときめかせる何かがあった。でも、特別おいしくないので全部は食べられなかったっけ。


 小6の時、母が「クリスマスプレゼントやで」って言うて、くれたものはコロコロコミックだった。もうコロコロコミックを読むような年齢じゃなかったので、
「僕、もうコロコロは読まへんで……」
 今と変わらぬ、歯に衣着せぬことを言うてしもうた。母の表情は見えなかった。ただ、
「ごめん。返してこようか?」
 そう言ったままうつむいて別の部屋へ行ったのを憶えている。

「いい。コロコロでかまへんで!」
 コロコロコミックが入った袋を見て、僕は“しまった!”と思ってそう言った。袋には書店の名前が入ってあった。自転車で片道1時間くらいかかる遠いところの書店の袋だった。


 母は40代後半にして自転車の練習をして乗れるようになった。最初はオバサン用の三輪車だったが、次第に二輪車も乗れるようになった。オヤジがボロボロの二輪車をもらってきて、全部銀色に塗装して母に与えた。

 そんな自転車で、冬の雪だらけの湖北の何もない田んぼ道を延々と走ったのだろう。往復2時間くらい……。いつも「さぶいさぶい」と手袋を外しては石油ストーブの前で暖を取っていたっけ。四季を問わず、いっつも同じ服ばかり着てたらそら寒いわなぁ。

 だから、必死で母の機嫌を取り戻そうとした記憶がある。
「コロコロでも嬉しいで。ホンマやで! なぁ、お母さん……」



 臨終が近かった頃の母に訊いた。
「つらいだけの湖北の生活やけど、何か楽しかったことってあるか?」
 母は考え込んだ後、
「そやなぁ。自転車で買い物(かいもん)行く時やなぁ……」


 息子たちに少しでも旨いメシを食わせるために、40半ばでようやく乗れるようになったチャリで走る。オンボロだと思われようが、オンボロすぎて目立ち過ぎようが、ドケチの親父に新しいチャリを買ってもらえなかろうが、大事にしてたチャリで走る。雪道でも雨の日でもカッパを着て走る。57で他界するとも知らずにひたすら何もない田んぼ道を走る。
 でも、それが母の喜びだったのだ。猛吹雪以外なら雪道だってどうってことなかったのだ。母は息子たちに食べさせるものを考えながら、少しでも安くて良い食材があるスーパーマーケットへ、遠くても、天候が悪くても、あのギシギシと壊れたような音が鳴る、全部銀色に着色された格好悪いチャリで、きっと微笑みながら走っていたのだ。きっと息子らがパクパク食べているシーンを思い浮かべながら。


 あまり恵まれた家庭でもクリスマスでもなかったけど、今なら言える。誇れる。
 我が家にはちょっとズレたプレゼントを持って、雪道をボロボロのチャリでやって来るサンタクロースがいたって。誰よりも一所懸命なサンタクロースがいたって。
 
 ありがとう、サンタクロース。ありがとう、お母さん。
道路の花
 この街に住んで13年くらいになる。
 買い物などへ行く時は、いつも国道2号線の渋滞が多い横断歩道を渡る。
 そこでたまに自動車同士の事故が起こるのは知っていた。

 ある年から道路のガードレールのような柵に花が安置されるようになった。
 ここで誰かが死んだんだ。って通るたびにそう思うようになった。
 最初の頃は手を合わせたい気分だったが、いつまでもいつまでもそれが続くので、枯れかけた花を見るたびに嫌な気分になっている自分がいた。
 でも、完全に枯れる前にはいつも必ず新しい花にチェンジされた。
 きっと犠牲者のご家族(遺族と呼ぶのは好きではない)、母親や奥さん、もしくは恋人の仕業なんだろうけど、僕は花がもったいないとか、いつまでもこの道を通るたびに嫌な気分にさせられるのか、とさえ思っていた。
 ドライバーや通行人への啓発のためには良いのだが、いつまでも亡くなった人のために嘆くようなしつこさ、負のスパイラルが、なんとか前向きに生きてこの道を通りたい僕を時折腹立たせた。

 僕は花束とか根っこを切られた植物が嫌いだ。
 生き生きと咲いているように見えても、所詮あれは花の死骸だと思うから。枯れたら捨てられる運命にあるから。
 昔、実家がお花屋さんの友人がいたけど、「花にも農薬使ってあるから手が荒れる」と嘆いていた。その言葉のせいも加わって、生け花専門の花屋さんを見るたびに、どんなに艶やかなカラーであっても少し切なくなる。

 先月くらいから国道2号線の花が消えた。
 枯れた花さえもなく、花を生けていた筒状に似た器だけが残っていた。
 花を置いている人に何か不幸でもあったんじゃないか……。
 いつの間にかそこを通るたびに、心配という祈りに似た感情を持つようになった僕がいた。
 
 さっき、コンビニへ滞納していたガス代を払いに行く途中、そこを通ったら久しぶりに花があった。夜道を彩るカラフルな花が。
 ご家族の人、無事だったんだ!
 そう安心した僕がいた。
 花がカラフルで綺麗だと思う僕がいた。
 花を見て喜ぶ僕がいた。
 と気づいた僕がいた。

 とにかくもう、あの花が絶えず続くことを願ってやまない。



今日のテン207.12.23

※画像は膝の上に乗る本日のテン(♂)。ケータイのカメラで撮影
わん太郎 【改訂再掲載版】
※実話です。


 おまえと僕が出会ったのは、近所の細い細い路地裏。

 裏のスーパーへ買い物に行く途中、路地裏の家に飼われていたおまえは、僕が通ると小屋から突然出てきて物凄い声でワンワン吠えた。柴犬みたいにかわいい顔しておっかない声を出すから、僕は遠回りして買い物へ行くようにしたんだ。

 遠回りして行くのが面倒くさくて、暗い夜道の中、おまえが吠えないことを祈りながら歩いた路地裏。そんな時にかぎっておまえは狂ったように吠えた。
 なんとか吠えられないように路地裏を堂々と歩いてみるようにしたら、おまえはだんだんと吠えなくなっていったね。

 ウォン!と小さな声だけを出して、僕を見るようになったおまえ。
 ひとりぼっちのおまえとひとりぼっちの僕。
 僕はおまえのことを勝手に「わん太郎」って名付けたんだ。いつかおまえにシッポを振ってもらいたいと、僕はたくらんでいたんだ。


 晴れた夏の夕暮れ。
 おまえの小屋の前を通ると、決まってダルそうに寝ていたね。その横には「食べ物を与えないで下さい」って札がぶらさがっていたのを憶えてる。これでは、ゴハンをあげておまえにシッポを振らせることができないじゃないか!


 寒くなった秋の夜。
 あいかわらずわん太郎は、寒々とした小屋につながれてこっちを見ていた。


 雪の降る真冬の昼間。
 小屋の中の毛布の上で眠っているわん太郎の前を、僕はいつもと同じように通り過ぎた。


 涼しい春の薄暗い夜。
 花粉症でかゆい目をこすりながら、わん太郎の前を通り過ぎた。


 雨の降る6月の夕暮れ。
 わん太郎が濡れていないか心配しながら、小屋の前を通り過ぎた。


 汗が吹き出る真夏の午後。
 Tシャツと短パンの僕は、わん太郎に吠えられないかなぁと思いながら通り過ぎた。


 季節が何回めぐっても、僕は心の中で「わん太郎」とつぶやきながら何度もおまえの前を通り過ぎた。
 吠えもしない、つながれただけのただの犬。そんなおまえにいつかシッポを振られたいと思いながらも、立ち止まらずに小屋の前を通り過ぎた。だってまだあの札がぶらさがっていたから。


 ある夜風が沁みる日。
 おまえの小屋はなくなっていた。あの札も。もちろんおまえもいなかった。何度も何度も路地裏を通って確認したけど、おまえとはもう二度と会えなかった。


 
 あの路地裏を通り過ぎるたび、おまえを思い出していつもいつも寂しくなるよ。
 さよなら、わん太郎。
 


 僕のコートのポケットには、わん太郎にあげるはずだったドッグフードが残っていた。



奇跡の柑橘類
 過去ネタが続いてます。すみません。

 ある日、近所を歩いていると、ミカンかなんだかわからない柑橘系の実がたくさんなっている木がありました。


ミカン1


 よく見ると、塀の上に1個だけ実が落下(?)していました。
 誰かがのせたのかな?と思いつつ近寄りました。


ミカン2


 どう見てもこの実は不自然だ、ともっと近寄ってみましたら……


ミカン3


 トタンの塀に刺さっとるやんけ!!!
 誰かのいたずらにも思えませんし、落下した実がこんなふうに刺さるなんて凄い確率だと思いませんか? 逆ギロチン!
 
 
蝿ラーメンの思ひ出
 中学生の時、小6時代の担任の先生やお子さんたちと 琵琶湖へ海水浴(湖水浴?)に出かけました。遠浅できれいな湖岸でした。琵琶湖は北部なら泳げるのですよ。南湖は泥水だけど。

 お腹が空いたお昼時、海の家(湖の家?)で先生に御馳走してもらうことになりました。 そのうち僕だけがラーメンを注文しました。

 正直、海の家(湖の家?)のラーメンなんて……と味は期待してなかったんです。 ところが予想に反してとてもうまかった! 人生で3本の指に入るくらいうまいラーメンでした。
 これは大当たりやなぁ、と思ってスープまで全部飲み干そうとしたんです。 そしたら器の底に……………











……………中型の!




……………蝿が!




……………なんと!




……………十数匹も!




……………沈んでおりました!沈んでおりました!(大泣)。←連呼の部分はイエモンの『JAM』風味で読んで!


 おいしかったから、まあいいかっ!( ←よくない)


 それにしても、人生でうまかったラーメンベスト3に入るのが蝿入りって…。蝿入りって…。蝿たっぷりって……。母さん、僕は味覚の王者になれそうな気がします。

 ……お、思い出し泣きゲロしてもいいっすか?



猫とカラス




 土曜日からほぼ寝たきりです。正確にいえば、水曜日からです。薬がなくなりかけだったので金曜日はさすがに精神科医へ行きましたが。

 昨夜は本気で救急車呼ぼうか迷いました。しかし、お金もなく、猫の世話をしてくれる人もいないだろうから、久しぶりに処方されたハルシオンなどの睡眠薬を飲んで寝ました。明朝起きずに死んでるかも……などと思いながら。

 急患の場合は、車で夜間病院や救急病院へ送ってもらうよりも、救急車の方が何かとスムーズなのは体験済みです。下手に送ってもらったりすると、手続きやら、受付拒否、待ち時間などで大変ですよ(これも体験済み)、皆さん。最近は病院側の受け入れ拒否のため、右往左往している可哀想な救急車のニュースをよく見かけますが、生死に関わるような場合は先に警察も呼んでおくのが無難かも。
 というか、我が家は徒歩1分の場所に救急病院があるのですが、病院ぐるみで“YABU”なんで、そこにだけは行きたくありません。一昨日も、自家用車で病院玄関に乗り付けた元患者と思われる若者が、「院長を出せ!」と凄んでました……。思わず加勢しようかと……。

 とにかく、心の臓が苦しいのです。最初、左腹部が痛かったのですが、金曜日、精神科医に問うたところ、「心臓の痛みがそこら辺に出ることもある」と言われました。

 痩せてた頃、詳しくいえば今の身長で57~62kgだった中学生時代から「心肥大」と言われておりました。おかげでスタミナもなく、過剰な運動をすると2、3時間立ち直れなく、高校生の頃は体育の授業で200m走を全力で走った為に、その後の授業で教師に当てられても机に伏せたままというようなことも。
※ただ、体育の授業では、僕だけ終わった後にヒーヒーゼーゼーしていたものですから、体育教師が「おまえら、ちんたら走ってんと、にらみたいに思いっきり走らんか!(怒)」と褒められました。

 心臓が悪いのはほぼ遺伝です。親父もペースメーカー入りですから。僕なら親父みたいに助からずに、朝になったら息絶えているような気がします。つーか、皆の衆はペースメーカーの役割などを知ってるのかなぁ?

 痩せてる頃から心肥大ってことは、太った今では焼き肉でいうところの脂たっぷりな「ハツ」もしくは「アブシン(脂の付いた心臓の略)」なんでしょう。何度か医者に指摘されましたが、治しようがないので。

 僕は朝になると、寒くても空気の入れ替えの為に窓を開けるのですが、一昨日の朝は、カラスが近くでギャーギャー鳴いていました。東京の都心ならカラスなんてヒッチコックの映画並みに当たり前のようにいますが、この街に住んで13年くらいで、カラスを見かけた記憶がないです。
 うるさいので窓を閉めようとしたら、なぜかベランダにいたうちの猫があわてて部屋へ入ってきました(うちの猫は普段ベランダには出ない)。カラスが猫と会話をしていたのか、カラスが猫を見つけて騒いでいただけなのか、それとも死臭を漂わす僕をカラスというあの世の使者が見つけて、猫たちがそれを追い払おうと対峙していたのか……。

 じゃ、寝ます。
憎むこと許すこと夫婦のこと


 母の姉(メーおばちゃん)と妹(ターおばちゃん)は、昔っから仲が良くなかった。ある時から会うたびに大喧嘩するようになってしまい、どちらともが好きな母は困ってしまった。

 メーおばちゃんは独身でほとんど盲目。実家で按摩師をしながら暮らしている。子どもを何度か産もうとしたことがあるらしいけど駄目だったらしい。僕は、メーおばちゃんの手術跡を銭湯で見せてもらったことがある。

「いっぱいヘソがあるやろ?」
「ホンマや。いろんなとこにヘソがあるなぁ」

 手術跡は凹んで本当にヘソみたいな形になっていた。誰の子を産もうとしたのかは僕の知らないところだ。ただ、独身で居続ける姉より先に嫁に行けぬと、三十代半ばまで母は嫁がずに実家であるおばあちゃんの家にいたそうだ。

 ある時、いつも断っていたお見合い話をなぜかOKして、周囲をびっくりさせた母は、皆が言うに「どこが良かったのかさっぱりわからん」状態の親父とあっさり結婚したそうだ。ちなみに親父はその当時バツイチ。

「能登川からいっぺん嫁さんをもろうたけど、1ヶ月で逃げて帰ったらしいわ」

 僕が高校生の時に、親父と大喧嘩した後の母が憎しみ吐くように言った。その時に親父がバツイチだと初めて知ったけど、動揺することもなく母に言った。

「その能登川の人、逃げて正解やな」
 溜め息をつくように母が言った。
「ホンマや。お母さん、馬鹿やなぁ……」

 姉と妹が憎しみ合うことにさえ疲れていたのに、親父ときたら途方もないくらい甲斐性なしのダメオヤジ。毎晩のように母が怒鳴り散らして親父を責めたが聞く耳なし。僕も弟も、母が肺癌になったのはほとんどが親父のせいだと思っていた。それどころか母を殺したのは癌細胞ではなく親父だと思っていた。

 まだ癌になるずっと前から母は、姉と妹が喧嘩になると姉であるメーおばちゃんの肩を持つようになっていた。

「だって、ターおばちゃんはええ旦那さんもええ子どもも2人いるけど、メーおばちゃんは誰も味方がおらんやろ」

 そう打ち明けてくれたことがある。メーおばちゃんは実家暮らしで、その頃はおばあちゃんも脳障害を持つおっちゃん(兄、独身)も一緒に住んでいたけど、癇癪(かんしゃく)持ちであるメーおばちゃんは誰にも嘆くことができぬ状態だった。ターおばちゃんは子どもら(僕のイトコ)にいろいろ愚痴をこぼせただろうけど。

 口では妹に負けてしまう姉の代わりに、母が何度も怒ったため、今度は母とターおばちゃんがほぼ絶縁状態になってしまった。僕は、それがとても残念で、

「僕はメーおばちゃんもターおばちゃんも好きなんやけどな」
 と母に言ったら、
「そんなんウチ(私)もや。でもしょうがないやろ」
 哀しそうな顔をして母が呟いた。

 
 末期の肺癌が発覚した後の年末年始あたりは、実家のおばあちゃんの家で過ごした母。おばあちゃんは、当時で言う痴呆状態だったので老人ホームにいたけれど、これが最後になるかも知れないと呼び戻して一緒に過ごした。
 
 抗癌剤治療で髪の毛が抜けてしまった母に、ボケてしまってたおばあちゃんは容赦なく訊いた。
「なんでハゲとるんや?」
 母は髪の毛が抜けたことも、おばあちゃんがボケたことも、自分が癌であることも相当苦痛だったに違いない。しかし、母の念願であった実母との暮らしが最後にできたのだから、あれはあれで良かったのかもしれない。


 いよいよ最後の入院のために、僕は同僚らの前で泣きながら会社を辞めて、母と倉敷の病院へ向かった。一生を費やす覚悟で母の側にいようと。
 運良く病院が持っている平屋の一軒家を借りられたので、僕はそこから病院通いをできた。モルヒネでかなり痛みが治まった母の状態を看ていたら、大丈夫なんじゃないかと、この土地で働いて母を看ながら一生暮らそうと心に誓っていた。

 親父や弟、姉であるメーおばちゃんはたびたび倉敷まで見舞いに来てくれたけど、ターおばちゃんは母が末期癌だとかそんなことは一切知らされていなかったので来ずまいだった。
 メーおばちゃんは、仕事以外は家族でさえ揉まない按摩師だったのに、母が「痛い」と言うとずっと背中をさすったりしてくれていた。


 そして、主治医に「(命は)持って春までですね」と言われた季節が訪れた。桜が咲いた確か母が亡くなる2週間くらい前だったか。親父がターおばちゃんとメーおばちゃんらをセットで倉敷に連れて来た。なんでも寡黙な親父が物凄い剣幕でターおばちゃんらを説得したそうだ。

 ターおばちゃんは、数年ぶりに会う母の横に立つなり目頭を押さえた。来ると知らされていなかった母は、途端に泣き顔になって抱きしめるように両手でターおばちゃんを掴んだ。僕はその光景を横目に見ながら病室から出て二人っきりにさせてあげた。
 そこでどんな会話があったのかは僕は知らない。ただ、後で母が親父に向かって言った言葉が忘れられない。

「あんた、初めてアタシにええことしてくれたなぁ」

 新婚旅行以外はどこにも行かず、連れてもらえず、ほぼ滋賀県周辺だけでずっと過ごした母。それまで何もしてやらなかった親父。母に泣き叫ばれながら怒鳴られる日々だった親父。僕は母が言ったあの言葉がある限り、心底憎かったけど親父を許す。
 本当なら小さなええことを積み重ねるのが夫婦というものなんだろうけど、臨終間際に大きな一発をキメた親父は偉かったと思う。そんな夫婦もありじゃないかな。最後の最期に親父に「ありがとう」と言えた母は良かったんじゃないかな。

 だから一旦は見捨てそうになったけど、遺書を残して消えた弟は親父を見捨てたけど、僕は死ぬまで親父の息子でいてやろうと思う。

 

サヨナラクリスマス



 クリスマスなんて……。そう思うようになってしまった現在、この季節は好きではない。「忙しい」とボヤく人が多い師走だが、なんだかんだ言って忘年会にはちゃっかり出ている人が多い。忘年会に忙しいんじゃないのか?とさえ疑ってしまう。

 街にはLEDのおかげで消費電力が4分の1になったとされるイルミネーション。それでも僕には、電気代の無駄だとしか思えない。だからルミナリエなんぞには、どういう大義名分があったとて行かないのだ。不覚にも一度だけ浦安ネズミ王国のエレクトリカルパレードを観てしまったことがあるが……。

 3、4年前のクリスマスイブには、なぜか仕事場でフグを食わせるお店との交渉をしていた。その報告を仕切り役だった彼奴にしようとしたら、イブだからって電源切って遊びに行ってやがった……。“ハッスル”の高田総統ではないが、「くぅぬやろぉぉぉ~」と留守電に叫びそうになったのを憶えている。

 昔みたいに慎ましいクリスマスが良いな、とかつて自分が書いたものを読んでいたら、不覚にも(←今日の日記で二度目)涙ぐんでしまった。父帰らぬうちに、今は亡き母と弟の3人だけでケーキにロウソクを灯したあの暗闇の楽しさが未だ忘れられない。もう二度と来ないあのクリスマスを懐かしんで、僕は老いり滅入るのだろう。さて今年は、猫らにチキンでも食わせるかな。


 追いつめられている。何もかもに追いつめられている。何をどうやって生きればいいのかさえわからない。誰に何を話せばいいのかも判断できないし、誰もと喋りたくもない。今年はもう年を越せないと思う。
 こんなことを言うと「猫たちはどうなるの?」なんて類のお叱りのメッセージを頂戴したりするけども、僕の居ない世の中の先に僕の感情なんてものは無いのだ。たぶん。たぶん……。無くあってほしい。今は。
 昏睡しているので寝ます。どうせ先天的な鬱病なんでしょう。早く地獄というものに堕ちたいけど、たぶんこれが地獄なのでしょう。だとしたら、今は猫たちのみが枯れて腐りきった大地に咲く花だ。子孫を残せぬ一代限りの。それは自分と同じだ。

 あ。猫がトイレのようだ。糞尿の始末をしておかねば。
 食いきれなかったうどんが、水分をすべて吸ったまま鍋底に沈んだまま朝日を迎えないまま。
 
 
 
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