【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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ねこ思い
ねこ思い1

ねこ思い2


 体を伸ばして片手だけでネットをしながらぼんやりしている隙をついて、猫たちが僕の大きなお腹や太腿に乗る。

 これぞ「ねこおもい」。
 かなり重い。
 やや苦しいのに至福の時でもある。



 明日は親父のペースメーカー検査だ。さぶい滋賀へ行ってくる。
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なんとかの中心で、ごにょごにょ叫ぶ魚たちって喰えるの?
赤ちゃんの のコピー


 ここ数年でヒットした恋愛映画を悉(ことごと)く観ていない。なぜなら自分には恋愛の才能が皆無なので、映画の肝心である感動すら難しいからだ。

 かつては自分を揺るがせた片思いなんて感情さえも無くなり、どこか遠くに忘れて生き過ぎてしまったのかもしれない。ひょっとしたら、たぶん初恋あたりで成長が止まり、思考が停止しているのではないか。
 だから、恋愛の一時完結形である結婚式や披露宴には興味が無いし、なるべく参加しない。宴のピークであろう「お父さんお母さんありがとうタイム」で、なんで女性陣が我が事のように泣いているのかさえ、さっぱり理解できない。

 結婚が羨ましくないので、もちろん子どもにも興味がまるで無い。よっぽど無意味に懐いてくれる場合以外は、できれば接触さえ避けたい。マイミクになってからすぐ、日記で妊娠報告された女性がいらっしゃったので、「これからは育児日記ばかり読まされるんだ…。これはマズい」と、マイミクを解除させてもらったこともある。“母体”に悪いことをしたと思ってるが、その女性には申し訳ない気持ちは然程(さほど)沸かない。

 未来に生きる人たちのために環境保護などは考えるが、リアルに動いている子どもを視るのはとても億劫だ。ましてや自分の子どもなど想像したこともしたくも無い。こういう遺伝子は、この代で終わらせねばと昔から熟(つくづく)そう思っている。
 子どもを視るのが聖職だと思っている人がいたら、今すぐこれを読むのを止めてもらいたいのだが、本当の意味での聖職は、満たされずに死にきれない老人たちを看ている人ではないかと思う。しかし、子どもを視ている人は、ある意味それをファッションのように、自分に纏(まと)って人に見せつけているかのようにしているとさえ思う。現に子どもの世話をしている人は、誇らし気に喋ったり日記に書いたりするけど、老人の世話をしている人は、まるでそれを隠すかのように、まるで犯罪者の親のごとく、己を隠蔽(いんぺい)している節がある。これに関しては、老人福祉に携わっている人がもっと表舞台に出るような世の中に、どげんとせんといかん! あの人たちは命の「消化」活動に尽力している。命の大切さは、生まれた時よりも死んだ時の方がずっと泣くのだから、ほとんどの人はわかっているはずなのに……。嬉し涙と今生の別れの涙は別物であるけども。蛇足だが、いくら僕でも妊婦には尊いものを感じる。

 話が逸れた。
 僕がこのように恋愛音痴以下の人間であることは、自分の子孫を要らない、ということから来ているのではなかろうか。恋愛感情が錯綜(さくそう)さえしていないので、実はマイミクの皆さんのカップル話や夫婦話などにまるで興味が無いどころか、まるで解らないということを報告しておく。爺さん婆さんくらいの夫婦話なら、円熟味があってまだ興味をそそられるのだが。

 とにかく、僕は進化というものに逆行している。自分と飼い猫たちさえなんとか細々と生きていければたぶんそれでいいんじゃないか、とさえ思う時がある。融通が利かない変人と理解してくれればそれでいい。親子愛、師弟愛などいろんな愛の形があるけども、恋愛だけは本当に勘弁してもらいたい。恋愛を確かめるための手段としての目合い(まぐわい)よりも自慰行為の方がずっと楽しい。楽しいと言いながらまた本日も自慰行為をするタイミングや体調を逃して今に至る。

 ……なんて、ブログに書いたらポカポカ叩かれるかな?
 今夜は、あるマイミクさんが展開しておられるブログの恋愛模様を読んで、自分には無い才能だと嫉妬しただけなのだ。恋愛できることそのものが羨ましいんじゃなくて、それを上手く綴れることがとても羨ましいのだ。
 そういや母が末期癌だと判るずっと以前に認(したた)めていたノートブックの文言を思い出した。「セックスだけの関係の夫婦」と。
 やはり良いお手本を見せられながら育てられなければ、偏屈な大きな子どもはいつまでも経っても小さな大人にさえ成れやしないのだ。

 さて、明日からどうやって生きていこうかな……。
 


 
終わり往くもの
※mixiからかなり添削・リライトして載せます。


 昨年から某出版社が雑誌部だけ、別会社になったんです。新社長に就任したお方が、
「本誌でこの系統の店(※以下、DHB)記事とは、けしからん!」
 ということになったんですよね、最近というか今更。知らんかったんかよって感じ。関西の大ボス様が社長に直談判してまで説得されたのにもかかわらず、某誌でのDHB記事は終焉を迎えました……。出版社としては大変です。定期的に2000万円近く稼いできた広告費が減るわけですから大ダメージです。

 そこで僕。今日発売の別冊付録『DHB』なんですが、今回は表紙の各文字の書体指定から、見出しコピー、文字の位置、写真のディレクション、全体のページごとのデザインと台割、クーポンページのレイアウトまですべてやったんですよね。もちろん完成させたのはデザイナーさんですが。
 いつものことですが、代理店との交渉、クライアントへの電話、各カメラマンにダメ出し、各ライターの変な原稿の修正、デザイナーへの指示、出版社への報告、難しすぎて誰も手に負えないクライアントへの取材など、ほぼフル回転しました。
 おかげでこの媒体、この某誌にあるべきカタチにようやく到達、今までで最高の出来になりました。DHB=エロスって概念は取り払ったつもりです。本誌よりもこの付録別冊の方がずっと素晴らしいものになりました。読者アンケートでの1位はいただいたようなもんです。

 年に2回、5年続けてきたものが新社長の御見識ない(ある意味それが正常なんですが)御言葉で終わります。僕の収入のほとんど(7~8割)を支えてきたものが終わります。一から築きあげてきたものが終わります。ひどい鬱病に悩まされても、この仕事をする期間までは無理にでも体調をアップさせてきました。春、桜の花見も、秋、ハゼ釣りも我慢してきました。はっきり言って命がけ、この仕事をしている最中になら、いや、校了を終えたら毎回死んでもいいくらいでした。

 さあ、これからどうしよ……。親父のことも落ち着き先がようやく決まり、そのストレスがなくなった今、自分にお金がないのが一番のストレスです。
 元はただの家出ニートだった自分を誤摩化し誤摩化しいろいろやってきましたが、引き蘢りで、雑誌のための情報なんてのには疎くて全く興味がないのでもう限界でしょう。今回の仕事のギャランティも借金で10万円くらいしか残らないだろうし、いま全財産9000円でなにすっかなぁ。1.5リットル498円の合成日本酒でも飲んでくたばってようか。
青春
◎↑THE HIGH-LOWS↓  『青春』





 青春。実はよくわからない言葉。都合のいい時に遣われる言葉。たぶん思春期や成長期、ヤンチャ時代を指すのだろう。中学生時代、レッドビッキーズ並みに弱かった柔道部史上初めて黒帯を取るために、軍隊並みの稽古で柔道に燃え尽きたあの頃だろうか。

 警察官が中心になって教える柔道クラブに、中学の後半少しだけ通った。主に、ランニング、飛び込み前転(10人以上は軽く飛び越えてた)、腕だけの匍匐前進やエビと逆エビなどの畳訓練、腕立て伏せ200回を3セット、腹筋200回を3セット、スクワット200回を3セット、自分よりも20~50kg重い奴らを肩車しての階段昇り、打ち込み(技の稽古)、乱取り(実践練習)の乱れ打ち、寝技、練習試合などなどを2時間弱で全部こなした、たぶん県下で一番ハードな稽古。
 態度が疲れてたり怠けてたりすると竹刀(実は全然痛くない)と罵声を浴び、水を飲むのも許されなかった時代。後に体重が一番重い階級で県大会を制した奴を、若干非公式な試合(一応、中日新聞主催だったが)で首を絞めて勝ったこともある。無差別級があれば優勝できたかも(笑)。でも、あれは青春じゃない。筋肉とか付けすぎて身長が止まっただけ。あの頃は、腹の上に3人乗せても平気だったが、今やネコが1匹乗っただけで苦しい……。

 高校3年の時の球技大会だったと思う。何故かブルマを「シスター」と呼んでた我が校。
 シスター姿の女子バレーボールをネット間際で三角座りして観戦してた。隣りには同じクラスにも同じ部活にもなったことがないT野という奴がいて、僕と同じくニヤニヤしながら座ってた。友人の友人ということで言葉を交わす程度だったT野と語った。ブルマの曲線や脚がハミ出て乳が揺れ、キャーキャーはしゃぐ女子たちの若い肉体を観ながら言った。

「たぶん、俺ら、今、青春やんな?」
「そうやな……」

 さっきまで「○○さんの胸はなぜ左右が別々の方向に揺れるのだろう?」とか言ってニヤニヤしてたのに、急に二人とも黙り込んで視線が遠くなったまま、時が過ぎて行くのを感じた。時間が永遠に止まればいいのにと思った。T野はどうか知らないが、少なくとも僕はそうだった。
 ブルマが普通にあった時代に若くてよかった。今、ビーチバレーで萌えてる男性なんかは、きっと生ブルマを知らない世代じゃないだろうか。ブルマを眺めてたあの時がきっと僕の青春なんだ、と思う。


向日葵と猫
 20071112031443.jpg



 ブイ(♀)を飼い始めてから、どうしても子どもを産ませたくなった。ブイの遺伝子を残したいから、なんて単純な理由。
 ブイが生後1年くらいの時に、まだ生後3ヶ月にも満たない野良猫、テン(♂)を捕獲した。お婿さん候補にと思って。
 ブイはテンを気に入ってくれるどころか激しく嫌がった。時間が2匹の溝を埋めてくれると信じていたが、それがなかなか……。

 ある日、友人の金田が、急な電話をしてきた。
「猫を拾ったから今からそっちへ持って行く」
「要らん! 持って来んといて!」
 うちにはすでに2匹いたので断ったが、僕の言葉を無視して青い瞳の白い猫(♂)がやって来た。一目惚れだった。僕はその子をQちゃんと名付けて飼うことにした。寝てばっかりで何をしても抵抗しない、大人しく立派な金玉の可愛い猫だった。金田に訊いたところによると、外環状線という大きな道の真ん中でQちゃんは踞っていたそうだ。

 ブイもなぜかQちゃんとは仲良くなった。花婿候補はQちゃんだな、と生後3~5ヶ月くらいの成長を見守った。
「早く大きくなって遺伝子残してくれよ」って。
 Qちゃんは交尾に成功した。間もなく3匹の子猫が生まれた。3匹の子どもたちは、無事に里親さんが見つかって貰われて行った。

 しばらくしてブイとQちゃんは、二度目の交尾をした。それから間もなくQちゃんは重い病気になった。僕が西成で動物の糞を踏んでしまった靴をちゃんと洗わなかったから、なにかの病原菌が玄関で寝るのが好きだったQちゃんに感染したのだろう。 運悪くアルビノであったQちゃんは、他の病気も併発した。
 闘病のため、Qちゃんを人間が3人くらい入れる、ランボルギーニの部品の分厚くてデカい段ボール箱に隔離したが、他の猫たちは心配になったのか、何度もその箱に侵入した。
 危険な状態が続いて毎日動物病院を往復したけど、最後のトイレを済ませたQちゃんはコテンと横になりピクピクと少し痙攣してから息絶えた。

 Qちゃんを詰めた小さな段ボールを淀川の河川敷に持って行って埋めた。乾いて雑草も生えてない部分の土の下に埋めた。好物の缶詰と、Qちゃんの遺骸が栄養となり花が咲いたらいいな、と思い向日葵の種もいっぱい埋めた。

 Qちゃんが死んだのが解っていたのか、ブイはその後、初めてテンと交尾をした。今度は5匹の子どもが生まれたが、テンの子なのかQちゃんの子なのか判らない。そのうちの1匹、タビ(♀)があまりにも可愛くて里親に出さず育てた。テンの子だと思うが、なぜかQちゃんの性格にとても似て大人しい。

 それからは墓参りなど行かなかった。大雨で流されたかも知れないし、何しろ僕はお墓が好きじゃないからだ。
 2年ほど経って、阪急電車に乗り座席に座ることもできず帰り道の梅田駅へ向かった時のこと。Qちゃんを埋めた場所をふと思い出して窓から淀川河川敷を眺めた。雑草と乾涸びた土の場所に黄色い部分がわんさかあった。
 まさかと思い、途中下車して1つ前の駅へ戻り、Qちゃんのお墓へ直行した。確かにQちゃんを埋めた場所のそこだけに、黄色い向日葵が咲き乱れていた。Qちゃんの命は向日葵になって生き続けていたのだ。

「Qちゃん、また来るからな。またお前を見せてくれよ」
 心の中で呟きながらその場所を去った。

 それから1年後、またQちゃんの化身である向日葵を確かめに行った。向日葵は少なくなっていて、その横にはホームレスの家が建ててあった……。
「やはり花がある場所に誰もが憩いを求めるんだな」
 ボロッちいホームレスの家に唖然としたけど、Qちゃんは死してなお、誰かに癒しを与える存在になっていることが分かって思わずニヤリとした。

 死んでも命や願い、魂は永遠に繋がるんだ。
 また向日葵の季節に、Qちゃんが咲いていたらいいな。
 Qちゃん、お前の遺伝子まだまだ続くよ。


あるがまま
 どの時代かは書かないが、学生の頃、同じクラスに沢口○子のイトコがいた。
 なんの取り柄もなさそうなその地味なイトコは、沢口なにがしのセーラー服姿の写真とかを学校に持って来たりして皆に見せびらかした。ふーん、いいなーと当時は思ったが、今考えると、なんだか末路薄いご老人が孫の自慢話ばかりしているようにも思える。

 しかし、過去の不幸話と今の苦境への嘆きばかりが取り柄の今の僕と何ら変わらないじゃないか。僕はすべてに失望したような気持ちになっていたが、あるがままを受け入れよう。変化はチャンスの始まりなのだ。覚悟していたことがたまたま早く起こっただけで後悔はない。後悔どころか最後にやっと満足する仕事ができたと思っている。

 それにしても、精神的にも病んでいるせいなのか、この建物の一番最上階に住んでいるのに、天井の上で音がする……。上は屋根しかないはずなのに……。また幻聴ですか、そうですか。病んでますか。病んでいるので昨日は睡眠薬なしで20時間眠りました。
 ちなみに、僕の部屋の下に住んでる女の喘ぎ声をたまに聴くようになりました。それまで男っ気がなかったのに!  以前は、丑三つ時にノコギリをギコギコ鳴らしてた女なのに!
 それを僕は「ノコギリ女」と名づけた。何を切っていたのかは不明なまま。

 ちゅーか、下の女もここに何年住んでるねん! 僕でもうじき13年だが、下の女も10年近くは住んでるはず。 しかも、うちのネコらが騒いでも一切文句言わないのが逆に怖い。ノコギリ女怖い。

 以前、向かいに住んでた男の部屋には、よく深夜に階段でヒールの音を響き渡らせる女が来て、1時間ぐらい経ったらいつも帰って行った。しゅっちょう屁留守!

 その男は、絶対に「チェンジ」とは言わなかった。
 あるがままを受け入れよう。
 Let it beやねん。

 


 
心境
閉ざされた夢。
遮られた希望。
入口も出口もない迷路に、数万年かかっても越えられない壁ができた。
方位磁石がぐるぐる回り続ける。
どこから着てどこへ消えて行くのか。
土にさえも還れない。
針も餌も何もない釣り糸を海に垂らす。
地球の自転が止まり、太陽が消え月も消えた世界。
永遠に砂漠だけしかない世界に置いていかれた。
老いて逝かれた。
果たされなかった約束は、
ブラックジャックでさえも治せない、もがれた指は、
鳥インフルエンザで処分される鶏は、
青木ヶ原にさえ行けず、
東尋坊にも辿り着けず、
朽ち果てもできず、
彷徨うことすらできず、
希望という名の昔話を想い出しながら、
記録も記憶も遺伝子さえも無になるのだろう。
無かった処に在り続けることは困難だ。
ペースメーカー検診
◎11/28(水)14:30~ おやじのペースメーカー検診(前回の市民病院集合)
 
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