【大阪タワー☆】
良心の呵責に苛まれ続けながら、消したい傷と残したい想い出を綴るだけのブログです。



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うつびょう
なんとかしたい。
なんとかしたい。
このままでははっきょうする。
はめつする。
しんでしまう。
いちいちじょうけんをつけられていちいちくるしい。
なんとかしたい。
治りたい。
三十路も半ばを過ぎて
 こんなアパートだかコーポだかマンションだかわからなく、夏はサウナのように冬は外より寒く、天井裏がアスベストだらけの我が家。ワンルームにしてはちょっと広めで、徒歩3分圏内に駅が3つあるという以外は何も取り柄がない怪しい建物に、まさかこの歳になるまで住むとは思ってもみなかった。

 正直、三十路のもっさいオッサンが住むべき場所ではないだろう。同年齢の人ならば、既婚者なら家を構えたり大きな実家に同居したりして当たり前だろうし、独身でもこんないつ倒壊してもおかしくないワンルームの建物に住んでる奴はいまい。

 引っ越してきてからおよそ12年半。それまで「引っ越し魔」と呼ばれた自分が、こんなに長い間同じ場所に住むなんて考えてもみなかった。きっと何か貪欲さに欠けているのであろう。先天的な鬱病ではあるものの、グータラと言われても仕方ないと思ってる。

 12年半、毎朝起きて思うのは、ここが実家の自分の部屋というイメージ。ふと我に返ってここが何処なのか毎朝考えてしまう。もう12年半、実家には泊まったことがないのに。

 いくら自由気ままな独り身でも、動き出さねばという気持ちは常にある。だけども、このクソい建物の雑然とした部屋にも愛着がある。今まで自分が住んでたところに来てくれた人は100人を超えるのに、ここ7〜8年は両手で数えるほどしかいない。引き蘢り専用のネコ屋敷となっている。



 本格的な鬱病として通院しだしたのは、6〜7年前くらいだろうか。家のこと(親父の脳梗塞、弟の失踪)に加え、過労でオーバーヒート。そこに某編集者の、人はこんなにも酷いことを書けるのかというくらいの心ない卑劣な置書き(内容は完全に失念した)を読んだことで、僕はタクシーに乗って精神科医へ直行した。
「もうこの仕事辞める」と泣き声で言いながらも、あれから通院しつつ今まで続いている。ドグマチール、アモキサン、デパス、ハルシオン、トフラニール等々の、人によりけりだが「副作用で激太りする」と言われている薬を飲み続け、量を増やし続けたおかげで、噂通りに「臨月の妊婦」のような、「飢餓難民の子ども」のようなお腹になってしまった。68〜70kgだった体重が一時は98kgにまでなったことがある。

 その昔は、「歩くのが早すぎる」と言われた僕が、今では老人に追い抜かされるスピードでしか歩けなくなった。どうせ太るなら、脚や腕も太ったらいいのに何故かお腹だけ限界まで太ったので、裸になると茄子に割り箸を刺したような体型だ。



 僕は明日を境に変わらねばならない。亡き家族かその時の恋人から質素に祝ってもらったことしかない誕生日だけど、欲望の赴くままに何かしたいと思う。

「おめでとう」の言葉も嬉しいけど、お米か日持ちする食料、ネコ用の缶詰、リタリン、咳止めシロップを貰えればもっと喜びます。絶対に勝てるギャンブルを教えてくださってもたぶん喜びます。できれば、今すぐにでも夜勤のバイトをしたいので(高い場所での作業以外なら原発でも働きます)、日払いまたは週払い、月末払いの仕事を斡旋してくれると泣いて喜びます。

 お返しは出世払いです。
指圧の心
 昨日は久しぶりに平日の昼間に仕事場へ行った。ついでに2ヶ月ぶりに整骨院へ。その整骨院は保険が利くから1回500円と安いんです。しかも上手い。いや、上手かった、と過去形にすべきか。

 京阪神に支店がいくつもある整骨院なので、スタッフの異動が激しいのは承知していた。前の異動後は、若い人しかいなくなったのでお世辞にも上手くなく、しばらくすると閑古鳥が鳴いてた。

 で、昨日行ってみたら、また異動があったらしく、どうやらスタッフ総入れ替え。知ってるスタッフが誰もいなかった。

 僕は男性スタッフの強い指圧が好きだし、昨日も中年の男性スタッフで確かに上手かったんだけど、前にいつも僕を担当してくれてた、ちょっと上手いかどうか微妙な女性スタッフ(通称:お嬢ちゃん先生。←自らこう呼んでください、と言ってた。ちっとも美人ではないが愛嬌はあった)の方が良かったなぁ……。なぜなら、お嬢ちゃん先生の方が「治してあげよう」という意欲が伝わってきたから。「指圧の心は母心」と言っておられた故・浪越徳治郎さんの言葉は本当だったんだなぁ。

 
もう背負(しょ)えない
 友人が運転してくれる車で、親父のとこへ向かった。 

 友人は交通費とか負担してくれたりするんで助かるんだけど、道を全く知らないし方向感覚もないので僕がナビゲート。何度も通ってるからわかってると思ったら、高速の分離帯ギリギリで左折したり、他の車にぶつかりそうになっていちいち「危ない!」って言わねばならない。さらに途中、二三度居眠りしてた……。それでも感謝はしてる……。

 特養へ着いて親父の部屋へ行くと、溲瓶(しびん)に小便してる最中だった。トイレは近くにあるのに……。面倒くさがりなのもあるけど、トイレまで間に合わないで漏らすのがイヤらしい。
 それに他の老人達はまだ食事を食べているのに、親父は早食いなのでさっさと部屋に戻ってた。食事後、誰とも交流しようとか交流されたいとかさらさらない人なので、親父のことは元気な頃から人格障害者だと思ってる。考えてみればお爺さんもそうだった。

 ふとベッドの上を見ると、荷物をビニール袋に詰め込んだ山が……。
「(家に)帰ろう思てな」
 親父の惚けがキツい時の毎度の如くセリフだ。
「オマエ独りで暮らせるのかえ!」
 と怒鳴りつけそうになったがやめた。

 とにかく家へ連れて帰ると落ち着くので、今日は車を持ってる友人に頼んだのだ。
「ちょっと家帰ろか」
 そう言うと、いつもなら見苦しいほどヨタヨタだが見違えるほど早足になるのに、今日はヨタヨタなままなかなか前へ進めなかった。方向もわかってないらしい。
 車に乗せるのもやっと。脚がクロスしたまま元に戻せないとか、押し込まないと座れないとかは毎度のこと。

 実家に到着すると、玄関の階段をほぼ全部踏み外しながらなので後ろから押さなくてはいけない。玄関で靴を座って脱げない(座ると立ち上がれなくなる。立ち上がれても玄関の段差をまたげない)。ちょっとでも段差があると、脚のどっちに体重をかけていいのかわからないようだ。

 焼うどんと飲みたがっていた小さな缶ビールを飲ます。すぐに焼うどんを平らげて汁まで飲もうとした。ホント卑しい家系だ。お爺さんやお婆さんが死んだ時に、こんな飾りのような干菓子とか食うの?ってなくらい全部持って帰った父方の親族はハイエナのよう。こういう家系は僕で終わらせようと常々思う。

 お爺さんの遺影を見て、それを初めて見たかのように、
「こんな怒ってるような顔の写真貼っとる」
 って。オマエ、この部屋でこの写真に囲まれて何年か暮らしてたくせに! と言おうとしたがやめた……。

 家にいてもすることがなーんもないし、僕らも仕事やらがあるので、ここで「さあ、特養に帰ろ」と言えばゴネると困るから、いつもお墓参りに行こうと誘う。いや、家から誘い出す。首が無くなって彷徨うエイリアンみたいにヨタヨタなのを、後ろと前から支えて車に押し込んだ。

 お墓に着くと、砂利道がまず無理。踏んだ重さで砂利がちょっと動くと倒れる。しまいにはよそのお墓を手すりにするのでそれは注意した。砂利道の5メートルほどの距離をどうしても進めないので、背中におんぶしてウチの墓の前まで運んだ。
 あと2歩ほど前に出れば、お墓にかけるお水が届くのにそれさえもしない。とうとう支えていても砂利道で立てなくなったので、また背負おうとしたけど、今度は上手く体重をかけてくれないので、僕が座り込んだまま動けなくなってしまった……。
 仕方なく友人と、親父の両脇に首を通して脚を持ち上げて車へ運んだ。で、特養に帰った。だいたい外出はいつも2時間。

 親父は、それだけの動作で疲れ果てていて歩けないので、車椅子をお借りして部屋へ運んだ。荷物を詰め込んであったビニール袋はそのままにして帰ってきた。どうせまた詰め込むだろうから、イタチごっこは御免なのだ。


 とにかく僕の心身と懐具合なんて誰もわかってくれない状況なので心底疲れた。たぶん親父が墓参りに行けたのは今日で最後だろう。もう親父という粗大ゴミ以下のものを背負いきれない。重さで動けなくなる人生は懲り懲りだ。寝たきりになる前に、親父への僕の心が弛まぬうちにもうさっさと逝っとくれや……。しんどいしもう寝る……。
マイミクダイエット
 先月は22名、本日、さらにリアルを中心に5名のマイミクシィを外させていただきました。
 嫌いになったとかそんなんじゃないので気にしないでください。
 書きにくいこととかがいっぱいあるんです。ご了承ください。
イクラちゃんが「ハ〜イ」「バブ〜」「ちゃ〜ん」以外に言葉を発した動画
 ↓これ。消されないうちに観ておくがいいよ。
sazaesan[アメーバビジョン]

 僕はMacintoshユーザーなので、これのダウンロード方法がわからないです。
 YouTubeの動画をダウンロードする方法では無理なんです……。
 どなたか詳しい方、お教えください。
あれから僕はいくつの不自由を生きてきただろう
 昨夜(ゆうべ)、雨音を聴きながら思ったこと。

 久しぶりの本格的な雨。いつもなら酔っぱらいの怒声や救急車のサイレン、車のクラクションが鳴り響く街がやけに静かだった。「ザーザー」ではなく「シトシト」って雨音。雨音が心地いいと思ったのは初めてだった。こんな音を聴きながら永遠に眠ってしまいたいものだと思ったのと同時に、あの人は海の波音を聴きながら心地よく逝ったのだろうかと考えた。

 あの人が死んでしまって窮屈なお墓に閉じ込められたあれから、僕はいくつの不自由な自由を生きてきただろう。いっぱい夢を抱いて生きてきたのだろう。何も成し遂げず何も変わらないまま。

 あの人とは、得意先で初心者の僕にいろいろ教えてくれて仕事を振ってくれた編集者さん。綺麗な奥さんをもらって、子どもにも恵まれた。でも、後で別にカノジョがいたこともわかった。

 あの人が消えてもう5年は経つだろうか。仕事をほっぽり出して行方不明になったあの人。みんなで大騒ぎでてんてこ舞いになった。奥さんとカノジョが結託して必死で探すという前代未聞のこともあったけど、結局見つからなかった。僕があの人を匿(かくま)ってるんじゃないかと電話をかけてきた人もいた。

 あの人は意外な季節に見つかった。消えてから2ヶ月ほど過ぎて、「きっとどっかでのんびりしてるんだろう」と楽観してた桜がすっかり散った春。東尋坊近くの急斜面の下で座ったままのあの人を、ワカメ穫りをしていたどこかのおばさんが見つけた。その姿は、全裸で三角座りをしたミイラ。横には綺麗に服が畳んであったらしい。

 あの人の亡骸は損傷が激しく、さすがに奥さんも見せてもらえないまま荼毘に付された。きっと冬の風にさらされ劣化して、カニやフナムシに啄(ついば)まれたのだろう。

 あの人の奥さんを交えて3人で食べた焼き肉。「この人、内臓食われへんから」と余っていたホルモンを僕に勧めてくれた。ダイニングレストランでメニューを見ながら、「フォアグラ丼やて。フォアグラって食べたことある?」と訊いてきたので、「ないです」と答えたら、「ほんなら、1つ頼んで一緒に食べてみよう」と食べた初めてのフォアグラ。食べてお互いの血肉となったあの焼き肉もフォアグラも、日本海に浄化されたのだろう。

 あの人は日本海の波音を聴きながら、限りなく自然死に近い凍死という自害を選んだ。僕も理想をいうなら凍死だったので、先を越された気分だった。寒さを超越した日本海の岩場で聴いた波音のメロディは、ロック調だったのか、それとも演歌調か……。僕はピアノの旋律だったと思う。きっとそれに合わせて歌ったと思う。波音に歌声も心臓の音もやがて消されたんだと思う。海の波音は、琵琶湖しかない滋賀県出身の僕にはピンとこない。僕なら雨音で、『雨音はショパンの調べ』や『琵琶湖周航の歌』なんて古い曲を口ずさむのだろう。

 あの人と同じくらいの齢になった今、何かが破綻したわけでもなく、すべてが順調だったのに、波音に消えていった魂の意味を自問自答する。僕にはなぜ消えることを選んだのかだけが、言い表せないけど強く解るだけ。To be continued.の続きを演じようと思うだけ。
国土交通省の空中写真で昭和49年の故郷があった!
 まずはGoogle Earthで、最近と思われる故郷を見た。

↓これ。
3764951_3360109599.jpg





 次は国土交通省のHPの閲覧機能で、昔の空中写真を探せるというので必死で探した。

↓これ。
3764951_1843906649.jpg



 もう無くなってしまった故郷の家がそこにあった。
 昭和49年。僕が幼い頃の。
 かなり感激した。

 その頃すでに生まれていた人は探してみてはいかが? ちょっと使いにくいけど、日本全国ほぼすべて撮影してあるようです。
Natto
どうやら外国人には、納豆を食べてみた動画をYouTubeにアップロードするのが流行りらしい(当社比)。

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