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【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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あれ………???
1万円札、無くしたか落とした……。
今朝、財布に入ってたのを確認したのに……。
病んでる。
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キョドる
【一昨日の日記】

 うだうだ、もたもた。ろれつが回らない。思ったことが一度に言えない。一つのことを言うともう一つのことを忘れる。不安でしつこいくらい電話で何度も確認をする。

 声が出にくい。最近ほぼ毎日ランチへ行ってた格安喫茶店は、どうやら僕の口の動きで注文を判断していたようだ。「A」か「B」か「アイスコーヒー」だけなんだけどね。水曜日は休みだったから、2年ぶりくらいに行ったうどん屋で、
「きつねうどんください」
 と言ったら、
「は!?」
 と言われた……。
 相当大きい声を出したつもりなのに……。仕方なくもう一度、吐き捨てるように
「きつねうどん!」

 急な仕事が入ったので、2日後に空いてるカメラマンを探した。ケータイに登録してあるカメラマンのリストを見ようとして、ケータイの操作がなぜかいちいちわからなくて何度も失敗。ケータイにあるまじき間違い電話もかけた。11人くらいかけてようやく空いてるカメラマンをゲット。久しぶりに喋った人らは、
「お元気そうで」
 などと、どこがやねん!とツッコミたくなるような言葉を言う人もいれば、
「いきなり死んでますやん」
 と的確な意見を言う人もいた。

 キーボードの操作は愚か、いや、おろか、マウスで思ったところをクリックできない……。思った部分をタイピングできない。キーボード見ながらタイピングしてるのに。間違った単語を入力してばかり……。mixiでのコメントへのレスポンスは、気分にムラがあり適当なことしか書けなかったり、なぜか驚くくらいおめでたい状況のマイミクさんが多いので、必要最小限のコメントしか残せなかったり。自分がおめでたくない状況で「おめでとう」とか言うのは虚勢でしかない。

 昨日(水曜日)は、昼間に食べたものを夜すべてリバース。え? こんなに出るの!? ってくらい吐いた。大きめの固形物食ってたら窒息してるとこだった。

 今日は久しぶりに仕事場へ行ったけど(まだ今月2度目)、僕は相当ヘンテコな動きだったろうと思う。電話の受け答えもキョドってる(挙動不審)し。こんなんでちゃんと明日の取材できるだろか……。この時期に京都の取材ハシゴはキツい。どうせ祭とかで大渋滞してるんだろうなぁ。京都も祭も苦手なんだよね……。




【昨日の日記】

 ただいま。
 京都へ行きしなの名神高速で渋滞中、マイミクさんへセクハラメールを送って反応を楽しんでいました。その人もそうですけど、下ネタに「ノリツッコミ」で返せる人は素敵ですね。
 僕が文章を書き始めたのも、中学生時代にラジオの下ネタ専門ハガキ職人としてだったので、僕から下ネタを奪わないでください! と、切なる願いでした。

 本日は4軒のスイーツ取材だったのですが、2軒目と4軒目の取材先の担当者がイマイチ意思疎通のできない相手でしたので、案の定キョドってしまいました……。人とマトモに話すの久しぶりだったから……。無理に誰かと喋ってでもリハビリせんといかんなぁ……。
中の人
 昨朝、ようやく49回目のお祓い(?)を終えた。僕はひたすらモグモグ食ってるだけで何も感じなかったけど、母方の先祖を鎮魂させることはできたのだろうか。

 49回が済んだからという理由だったのか何故かしら知らないが、(母の希望で母を埋葬した)母方のお墓へ5、6、7年(?)ぶりに行ってきた。ご無沙汰してすみません、と手を合わせた。

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 お墓というものに初めて花を添えた。母がこのお墓にしていたようにワンカップの日本酒も。僕が生まれる遥か昔に亡くなった祖父がお酒好きだったらしい。僕からとしては祖母や母が好きだったコーヒーとリンゴ。そして祖母が吸っていた煙草、echo。こんなに簡単なことだったのに、どうして数年以上お墓参りを躊躇していたのだろう。霊能者先生が言うには、お盆やお彼岸など、世間一般でいわれる供養の時期じゃないと、かなりお墓参りの意味も薄れるらしいが、なんだか胸のつかえが少しほぐれた。お墓の「中の人」はどう思ったのか知らないが。

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 それから特別養護老人ホームの納涼祭へ。他の入居者の家族が来てるだろうから、親父独りにさせとくのは寂しかろうと、こういう催しに初参加した。親父に母方家のお墓参りに行ってきたと報告。親父は言った。

「(自分の妻は)癌やったさかい(死んだのは)しょうがないわなぁ」
※少なくとも僕ら兄弟は、癌になるようなストレスを一番与えた親父が、極端に言えば母を殺したとさえ思っている。僕はもう許したが。

「あっち(母方家)のオヤジ(僕の祖父)、よう警察の前で演説しとった(アジってた)わなぁ」
※戦時中から戦争反対の立場だったらしい祖父。それなのに天皇家ゆかりの文字を使い、息子や娘たちに名付けたのは何故だろう? 偶然なのかな?




 
 納涼祭には、近くの小学生もたぶん無理矢理参加させられていた。江州音頭(ごうしゅうおんど)が踊れずに戸惑い、嫌そうな顔の子どもたち。そんな子どもよりもお年寄りをもっと大事にせなあかんと思うので、今の少子化だから子ども第一、子どもと接するのだけが聖職、みたいな風潮が好きじゃない。確かに子どもらにはいろいろ伝えねばならぬことがいっぱいあるのだけども、新しく少ない製品だけが尊ばれ、古きものは廃れゴミ箱行き、みたいで好きじゃない。

 奇しくも演奏に来ていたバンドマンらが、懐メロから一転、『千の風になって』を歌いだした。

私のお墓の前で泣かないでください~♪

 一部にはウケていたけけども、もうすぐお墓の「中の人」になる寸前のお年寄りを前に、しかも祭なのにそれはないでしょう、という感じがした。ブラックユーモアとしては高得点だと思うけども。

 その後、帰宅までに暗闇を長距離歩いたり、バスに乗ったり、電車に乗ったりで3時間近く費やしてとても疲れた。

僕の心の中を休ませてください~♪




おぐらですにゃ!
 実家の近所におぐら(小倉)さんという御一家が住んでおられた。おぐらのおじいちゃんとうちのお母ちゃんとは妙に仲が良く、お母ちゃんの話し相手(相談事)におぐらのおじいちゃんがなっていてくれたようだ。

 おぐらのおじいちゃんが、うちに訪ねてくる時の第一声はいつも、

「おぐらですにゃ!」


 別にネコの鳴きまねをしていたわけではないし、「ですにゃ」はどこかの方言なんだろう。関西弁で言うと「おぐらですねんけど(誰かいますか?)」ってとこなんだろう。

 当時の我が家は、家族みんながブーブーおならをこき合うことができたのが自慢。お母ちゃんが2階の別の部屋で何かしながらおならをした時、僕の部屋がお母ちゃんのおならの振動で揺れて、
「おなら地震や!」
 と大笑いしたことがある。


 その頃、いつも夜の8時ぐらいにいつも帰ってきてたお父ちゃん。ある日、ちょうど8時くらいに玄関に人影が見えたので、てっきりお父ちゃんだと思い、玄関横にある階段を昇りながら、ドアがガラガラッと開いた瞬間に、お父ちゃんにブー!って一発かました。すると何の反応もなく、おかしいな?と思いながら振り向くと、












「おぐらですにゃ……」



 赤の他人に屁をかましてしまった小学4年生の夜。恥ずかしくてなかなか寝付けなかった、自由を求め続けた10(歳)の夜。盗んだバイクで走り出したかった。
希望
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 まだ脳内がゆるゆるだ。思っていることを押し殺したりすると、逆にやってはいけないことや言葉を吐いてしまう。伝えることが難しい。

 気づかない人も多いだろうから書いておくけど、前回の「堀井くん(鼻たらしの少年)」の日記だって、実はアップロードしてから30回以上書き直した。そしてブログ用にも改行を変えたり。思っていることができないだけでなく、思うようにいかないし、思うことさえ難しい。

 こんな僕だけど、やはり希望なんてものはあったりする。夢というよりやはり希望なのだ。それも儚い希望。独り善がりの希望

 近所のスーパーへ買い物へ向かうとき、いつも目にする散髪屋さんだか美容室がある。お店の名前は「ホープ(hope)」。何度通ってもシャッターがいつも降りたまま。たぶんもう潰れているのだろう。僕のhopeも、きっとシャッターが降りたままショベルカーに潰されてしまって消えるのだろう。お店の前を通る度にそう思ってた。

 ようやく朝のお祓いが49回(3月20日の日記参照)に近づいてきたというのに。独り者でこんな暮らしをしていると、朝、テーブルを綺麗にして花を添えて食事をすることがとても難しい。連続してするのはなかなか困難で、3月の中旬からでようやく43回目になった。

 それなのに首を吊ろうとしたり、すぐに傷ついたり、記憶が飛んだりするのは、きっと邪悪なものが取り憑いて妨げようとしているから、なんて病んだことを考えたりしている。そもそもお祓いを自分でしようとか、霊能者先生に視てもらおうとかした時点で病んでいるのかもしれないけども。

 7月6日の首吊り日記(とっくに削除したけど)で、どなたのところからダウンロードしたのか皆目記憶にないのだが、枯れたヒマワリの画像を不意に無断使用したのを咎められて、寝起き一発目からいきなりクヨクヨしたりしてた。とにかく反省。それでさっき、トボトボと歩いていたら、いみじくもどっかの宗教団体の施設の前に、
「つらいことが多いのは感謝を知らないからだ」
 なんて標語が貼ってあった。きっとそうなんだろう。感謝を忘れているのだろう。ありがとうやごめんなさいを言える人間から逸脱してしまっているのだろう。

 空を見上げたら、台風明けの空が明るくなっていた。東の方角はどんより曇っているのに、あまりにも対象的に西の空がくっきり晴れていた。その真ん中に立つ僕はどちらへ向かうのだろう、なんて考えた。

 いつもの「hope」の前をわざと遠回りして通ったら、お店のシャッターが初めて開いていた。希望へのシャッターが開いていた。思わず真島昌利のホープって曲を口ずさんだ。


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 そろそろオモテへ出て行こう。
 

鼻たらしの少年
 鼻水をたらしてる子どもを今では全く見なくなった。僕の幼少時代もほとんど見たことがない。


 強烈に憶えている子が1人いた。幼稚園のとき、同じ組だった堀井くん。1年中、鼻水をたらしていた。それも黄色い鼻水。
 言っちゃ悪いが、堀井くんはちょっと頭がゆるかった。身体測定のときも自分では着替えられず、僕が密かに憧れていた西田さんという女の子に手伝ってもらったり、鼻水を拭いてもらったりしていた。

 西田さんは、堀井くんの近所に住んでいたので、ひょっとしたら堀井くんの親に頼まれていたのかもしれない。それでも、献身的に堀井くんの手を引いたり、世話をしてあげている姿は幼い僕の心にキュンときた。そして、そんな堀井くんがうらやましかった。
 僕もいつしか西田さんだけに任せていては切なくて、ことあるごとに堀井くんに声をかけたり、休み時間に堀井くんを誘ったりした。西田さんに気に入られたい、という気持ちもあったかもしれない。



 小学校に入学して、堀井くんと同じクラスになった。堀井くんは、テストではほとんどいつも0点。言い方は悪いが勉強以外でもアホ過ぎたので、逆に誰も彼をいじめる子はいなかった。むしろ放置状態。
 僕はといえば、給食が終わって休み時間になると、いつも校舎や校庭を独りでうろちょろしていた。この頃から孤独が好きだったのかもしれないし、人と打ち解けることができなかったのかもしれない。
 でも、堀井くんには時々話し掛けるようにしていた。西田さんは違うクラスだったし、彼女に気に入られようとかそういうのは抜きで、彼を励ましたり、いろいろ教えてあげたりした。
「堀井くん、鼻! 鼻!」
 そう言って注意すると、自分で拭けるようにもなっていた。これは奉仕とか可哀想とかそんな気持ちではなく、なんとか勉強とかに着いていこうとして失敗ばかりする堀井くんが、当時は泣き虫だった僕の同士のように思えたからだ。



 小1の終わり頃、僕は転校することになった。先生がクラスメイト全員に、僕宛のメッセージを書くよう1冊のノートを巡回させた。そのノートを持って僕は新天地へ行った。
 滋賀県の北部へ転校してしばらく経ってから、思い出したようにそのノートを開いてみた。皆、他愛もないことや絵がズラズラと綴られていただけだった。印象の薄かった僕だったからしょうがない。何も書きようがなかったのだろう。
 だけど、堀井くんが書いてくれたのだけは強く印象に残っている。ひらがなもマトモに書けない堀井くんが、口数もほとんどない堀井くんが、誰よりもいっぱい一所懸命の文字を書いていてくれた。全部を解読するのは無理だったけど、「ありがとう」の字がいっぱい綴ってあった。
 たぶん僕が感傷的になったのは、あれが生まれて初めてだったと思う。残念ながら、母親が不注意でそのノートを捨ててしまったんだけど今でも忘れられない。



 僕は堀井くんが好きだった。ありがとう、さようなら、元気でね、たとえ独りぼっちになっても巧ましくね、がちゃんと言えなかったのを後悔している。
 堀井くん、今頃どうしているだろうか。鼻水を拭いたり注意してくれる人は見つかったかなぁ。
明日生きる
 ある友人の、僕を励ますでもない、僕に関係のない何気ない一言で心がみなぎった。
 今日は病院へ行って、読めない、聴けない、話せないの失語症なのをなんとかして、明日生きる。負けるもんか。

 
砂漠の人
砂漠で行き倒れになっている男がいる。

男は喉が渇いて、もう死にそうである。
男は最後に一滴でも水が飲みたい。
水さえ飲めればもう思い残すことはないくらい、ただひたすら水が飲みたい。

そこに宣教師(僧侶でもいい)が偶然通りかかる。
宣教師は、水を持っていなかった。
宣教師は、この男がもう死ぬだろうと確信する。
宣教師は、この男が水を飲んだ途端に死んでしまうだろうと確信する。

宣教師は、男のために水を探すことを考えず、
生と死に関すること、死んでゆくための心得を説法する。
その説法が終わった途端、男は死んでしまう……。


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果たして男は幸せに死ねたのだろうか?
宣教師は単なる自己満足に浸っただけではないのか?
男が本当にその時に欲しかったものは、説法ではなく水だったのだ。
もしくは、せめて宣教師に水を探して欲しかったのだ。


その男は、今の僕である。
僕にはありがたい言葉の施しなんていらない。
欲しいのは水である。



2002年11月16日
カリメロ
3年程前、KBS京都で昔版のカリメロの再放送をしていました。
懐かしくて食い入るように観ました……。

カリメロの学校の運動会があり、
かけっこ(100m走?)が得意なカリメロを出場させないために、
アヒル(声:肝付兼太)などの悪ガキ達があらゆる手段を使って、
カリメロが学校に来れないようにするのです。

しかし、なんとかかけっこのスタートに間に合ったカリメロ。
疲れているにもかかわらず、どんどん抜かしてゆき、やがて2位に。
そこでさっきのアヒルが足を引っ掛けて転ぶカリメロ。
アヒルは1位でゴール!
うずくまったまま動けないカリメロ。

そこでカリメロが小さく「ちくしょう…」という言葉を吐いて番組が終わりました。
『つづく』ではなく『おわり』でした。
次の日もチェックして観ましたが、違う番組になっていました。
KBS京都はひどいなぁと思いました。


以上が、2000年03月27日 08時39分54秒に書いたもの。


今、僕はこのカリメロの心境です。
 
僕は虹を追いかけたことがある。



母親が入院していた病院は、高梁川(たかはしがわ)のそばだった。
ある日、病室の窓から大きな虹が2つ見えた。
高梁川のすぐそばに見えた。
本当に近いところに虹が見えた。


あまりにも近くに見えるので、虹のたもとまで行けるんじゃないかと思った。
母に虹を見てくると告げると、僕は高梁川の方まで歩いていった。
病室の窓からはたぶん母が歩いていく僕を見ていた。


大きな大きなくっきりと空に浮かぶ2つの虹は、
今にも手が届きそうなぐらい近くにあった。
僕は歩き続けた。


高梁川のところまで行けば、虹のたもとが見られるんじゃないかと歩き続けた。
歩けば歩くほど、虹は遠く薄くなっていった。


高梁川まで辿り着くと、虹はまだその向こうにあった。
僕はあきらめて病院へ引き返した。



病室に戻ると、虹を追いかけてくると言って出ていった息子を、母が笑って出迎えた。
「あんなに近くに見えるのに‥」
窓からはまだうっすらと虹が見えた。




母が亡くなった夕方、虹が見えた方向の上空の雲の間から光が降りていた。
降りていたのではなく、あれは母が昇っていく光だったのかもしれない。



「恋とは虹を追いかけるようなもの」と言っていた人がいた。
虹を追いかける僕の姿は、風車に挑むドンキホーテのように愚かに見えただろうか。
現在の僕は、あの窓からどう見えているんだろうか。


僕はまだまだ「虹」という欲望を追いかけています。
まだまだ虹のたもとにも辿り着けないようです。



2001年5月15日   2日過ぎてしまった母の日と、今日の母の誕生日に添えて

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