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僕は知らなかったぞ。そんなものがかつてあったなんて。さっき、スーパーのパン売り場で見つけて鼻が出そうになった。ちくわパンに続いて、やるな! フジパンめ!

「何がどう安全なのか?」「ネーミングで味の説明をしろよ!」とツッコミたくなった。と言いつつも……

2つも買ってしまった……。
帰宅してからよく見ると、どうやら味はクリームパンらしい。昔のマズいクリームパン(正式には安物のクリームパン)が嫌いだって前略プロフィールにもずっと前から書いてあるのに!(泣)
帰宅途中、安全パンの使い方を考えて歩いていた。これは昔、“イエスノー枕”みたいな役割をきっとしてたんじゃないかって!
【山田家の朝】
パパ「おはよう、ママ。今日の朝ゴハンはなんだい?」
ママ「おはよう。えーと、あの…あの…(沈黙)」
パパ「どうしたんだい? 黙っちゃって。……ん! あ…安全パン!」
ママ「今日は大丈夫なの(照)」
パパ「うほ。今日は寄り道しないでまっすぐ帰ってくるからね! ハァハァ…」
ママ「あら、やだ。もう…」
息子「え? 何? 何かあるの? どうかしたの?」
ママ「(戸惑いながら)な…何もないわよ…。ヒロシ! 早く食べないと学校遅刻しちゃうわよ!」
息子「はぁい…。(と呟きつつも、なぜ安全パンの日は、コーヒーじゃなくてカルピスなんだろう?と考え中)」
パパ「さぁ! 早く食べた食べた!」
息子「パパまでなんだか今日は変…」
パパ「そんなことないよ。いつも通り!」
ママ「(ひらめいたように)あ、ヒロシ! 今日はママ、遅くまで出かけなきゃダメだから、おばあちゃん家に泊まりなさい」
息子「え? 今日はどっか行くの?」
ママ「PTAの集会が大変で遅くなりそうだから、晩ゴハン作れないのよ」
パパ「パパも今日は徹夜で仕事だ。な。うん…」
息子「えー!? さっき、まっすぐ帰るって言ったじゃーん!」
パパ「…ん、なに、忘れてたのを急に思い出したんだよ…。ほら! 早く学校!」
《「行ってきまーす!」と言いながら息子、家を出る》
ママ「パパ、今日の晩ゴハンのオカズ、ウナギでいいかしら?(照)」
パパ「…ん。いいね。ニンニクのスタミナ焼きも頼むよ」
ママ「やだ、パパったら…」
パパ&ママ「アッハッハ」「オッホッホ」
〜完〜
僕は帰宅途中、きっとニヤニヤしながら歩いていたのだと思う。
昨日、仕事場の階段の踊り場の窓にハエがいた。
ビル内に迷い込んでしまい外へ出られない様子。つい先日にも同じことがあったのだけど、その時は窓を開放してハエを外へ出してあげた。ハエがウザイからではなく、このまま踊り場で死に逝くであろうハエが哀れだったからだ。窓を開けたら、ハエは当たり前だけど礼も言わずに勢いよく飛んでった。
昨日いたハエにはそれをしなかった。面倒くささと疲れていたので通り過ぎた。あのハエは踊り場で息絶えるのを待つしかないのだろうか。僕はひどいことをしてしまったと後悔している。ハエだって、時には役に立つ生き物だから。
帰宅途中にコンビニへ寄った。会計を済ませて押しボタン式の自動ドアを見ると、ドアの前で乳母車を押したお婆ちゃんが、呂律が辿々しい口調で、
「(ドアを)あ…開けてぇぇぇ〜」
と何度も言っていた。
僕がそこを出るタイミングでお婆ちゃんは店内に入れるだろうと思っていたのだが、お婆ちゃんが乳母車を押し入れようとする瞬間に、自動ドアは何度も閉まった。ドアが開いてる時間が短すぎるんだ。
僕が店内から出た後でも、やっぱり入れないお婆ちゃん。僕は家路に歩を5歩ほど進めたが、直ぐさまUターンして、お婆ちゃんが入れるようにボタンを押し続けてあげた。
「…ありぃがとう…。すいましぇん」
辿々しい言葉遣いでお婆ちゃんが礼を言ってくれた。それにしても深夜にうろつくのは危ないよ、お婆ちゃん。
その時、ふと階段にいたハエを思い出した。踊り場から出られない、コンビニへ入れないの差はあるけども、どうにかガラスの向こうへ行きたいという思いは同じだ。
昨日ハエを助けなかった分、きっとお婆ちゃんという新たな査定が僕に行われたんだと思った。
ハエには悪かったけど、お婆ちゃんの呂律が回らない「ありがとう」の言葉で、とても清々しい気分になった。ひょっとしたら、先日助けたハエからの代弁だったのかもしれない。お婆ちゃんは、助くことができなかったハエの代わりだったのかもしれない。
今日は満月。それも1年の満月で一番縁起がいいとされている「寅」と呼ばれる日。僕はお月様に試されたんだ、きっと。ありがとうを言うのは僕の方だよ、お婆ちゃん。
拾ったわけではなく、近所の子どもやオバチャンに「お宅の猫でしょ?」みたいな感じでなんだかんだ云々言われて託されてしまったらしい。たぶん、その子どもやオバチャンも困っての苦肉の策だったのだと思う。
ボスの家には既に2匹の先住猫が居て、その迷い猫を威嚇するのだそうだ。この状態は我が家でも昔そうなったのでよくわかる。はっきり言って猫同士が馴染むまでに1ヶ月くらいでは全然足りない。
困ったことに、ボスがその迷い猫を動物病院に連れて行っていろいろ検査してもらったら、病気も何もないのだがどうやら3匹を身籠っているらしい。迷い猫は、人に慣れてる小さな1歳くらいのサバトラ柄の猫(もちろん♀)で、初産となるだろう。
僕はフライングして猫の貰い手を電話やメールで探してみたりした。ふと気づいたのだが、これはボスだけの問題じゃなくそれを知った周囲ごと、なんらかのモノ(力)に試されているのだ。そのモノとは、「月」かもしれないし「宿命」かもしれない。でも、これは「物騒なこと」ではなく、「仏僧なこと」なのだ。
すべて許されることを願って、僕らはちゃんとせねばならない。この「僕ら」にはこれを読んでしまった人をも含む。それがすべての周囲なのだ。だからといって、怖がって貰い手を必死で探す必要はない。偽善ならいらない。本当の意味で解る人にだけ解ってもらいたい。産まれてくるであろう子猫だけの貰い手でもいい。本気で探しますよ、僕は。というわけで迷い猫の貰い手募集!
柄にもなく最近はよく読書をする。活字媒体の仕事をしているくせに、活字を読むのが嫌いな僕なのだが。
高校を卒業してから10年以上は、高校時代の友人・モリケンの家で大晦日と元旦を過ごしてきた。今回の大晦日は観たい格闘技の試合もないので久しぶりに「正月の実家」とも呼べる彼の家へ行った。普段の通勤で電車を利用しているが、乗っている時間は10分弱なので読書はしない。今回は1時間半くらい乗っているだろうから、あれだけ敬遠してきたリリー・フランキーの『東京タワー』を持ち込んで読書で時間を潰した。
帰宅途中も続きを読んだのだが、“リレー”って単語が出てきた時に僕は思い出すものがあった。
小学3年生の頃だったか、いつの間にか普通クラスに養護クラスから編入してきた男の子がいた。名前は古田くん。足が悪いだけだったから普通クラスに編入しても学力にはなんら問題はなかった。
古田くんは両足を引きずるように歩いていた。チンバとかビッコのレベルじゃない。彼が歩いている付近は、ザッザッという激しい足音がした。
古田くんを強烈に憶えているのは、運動会に付き物のクラス対抗全員リレーでのこと。僕は一度も彼と同じクラスになったことは結局なかったけど、リレーの順番で古田くんのいるクラスがもめたことは容易に想像できる。
一番最初に古田くんを見た時は、彼がリレーの順番で真ん中ぐらいだったと思う。全員リレーとは皮肉なもので、どんなに足が遅い奴でも駒として使わねばならない。古田くんを真ん中に据えたそのクラスは、彼の周回遅れにより見事ベベタ(ビリ)になった。
彼の走る姿は、お世辞にも格好いいわけではなく、たぶん下半身だけの動きを見ていたら、エイリアンのようだった。
翌年ぐらいから、古田くんは何故かリレーのアンカーに選ばれていた。周回遅れの彼を皆で拍手で迎えるのが恒例となった。僕はその雰囲気が反吐が出そうなほどイヤだった。余興のおまけみたいに晒し者にされている彼が不憫だった。たぶん古田くんのいるクラスは、彼の意向も聞かずに、「どうせベベタになるんだから」くらいの気持ちだったんだと思う。皆に拍手される彼を想定したりした、担任教師もあざといと思う。でも、古田くんは文句も言わず、いつも走り続けた。本当なら次の人にバトンを渡す役目とかしたかったろうに。
中学時代からだったか、古田くんがリレーのトップを走らされるようになった。明らかに最初にマズいものを出して後半に追い上げようとする意図が見えた。アンカーとかトップじゃなくて、たぶん彼は自分の好きな順番に、重責を担うことなく走りたかったろう。トップランナーになってからの彼は、拍手さえも受けることなく捨て駒状態だった。
古田くんの走りをよく見ると、足の裏をほぼ使わずほとんど足の甲とつま先で走っていた。僕はそれをすごいと思ったので、なにかにつけて古田くんを見かけたら、彼をかまうようになっていた。古田くんもなんかニヤニヤしながら僕にチョップみたいなことをしてきた。面白い奴だった。それから卒業後の彼の行方を僕は知らない。
僕は、古田くんみたいに重責を担わされたり晒し者にされても、あるがままを受け入れて、自分の役割を全うできる人間になりたい。彼はハンディキャップを背負っていたけど、最後まで走り切る人間だったし、それを自慢げにしたことはなかった。なんでか今、彼に拍手したい気持ちでいっぱいである。
周回遅れでもいい。きっと彼は今もどこかで走っているんだ。そう思うとなんだか力が湧いてきた。そんな新年の決意。あけましておめでとうございます。
僕が外出手続きを済ませてオヤジの部屋へ向かうと、ヨボヨボのオヤジが左足を90度曲げながら、いつものオヤジとは違うスピードでこちらに向かって歩いてきた。自分が建てた家に一時でも帰れるのが嬉しかったのだろう。
車に乗っている最中は何も喋らないオヤジ。僕より遥かに無口なオヤジ。食べたいと言っていたバナナを2本食べさせた。特養でもバナナは食えるのだが、量が少ないらしい。おぼついた手でバナナの皮をむき、喉につかえそうなくらいに頬張った。
昔、好物だった枇杷も食べさせた。皮をむいてまるごと口に入れ、種を出していた。仏壇に供えた2個以外をあっという間に平らげた。
枇杷を持って墓参りに行こうと言ったら、すぐ賛成してくれた。手摺など、どこかに掴まらないと杖があってもまともに歩けないオヤジ。少しでも段差がある所は、支えていないと後ろに転ぶ。もちろん地べたに座れず、座れても立てない。
おぼつかない足取りでようやくうちの墓まで辿り着き、墓石に水をかけようとしたが、上まで腕が上がらない。代わりに僕が水をかけた。手を合わせていたオヤジは、いったい何を祈っていたのだろう。早く来るだろうと思われる「いずれ」の、自分が納まる場所に何を思ったのだろう。
4月より確実にまたさらに衰えていた。もうそろそろ家に帰るのも困難だろう。たった1時間ほどの外出だったのに、オヤジはヨロヨロとベッドの上を這ってゴロンと寝転び、「おおきに」と言いながら手を振って眠ってしまった。あんなちょっとの運動量でこんなに疲れるんだなぁ。
大阪へ戻り、仕事場へ行き、作業をして帰宅した。睡眠薬を飲んで眠ろうとしたが、3日前からなかなか眠れず。落ち込んだ今を紛らわそうと電話などをしたら、逆に叱咤されさらに落ち込んだ。
お腹がすいたので、手持ち分でなんとかラーメンを食べに行った。やってはいけない睡眠薬を飲んでからの徘徊をまたしてしまった。オヤジのことを思い出しながら……。
思い出したのは、強くて怖かった頃のオヤジ。旅行に一度も連れて行ってくれなかったけど、魚捕りや虫捕りには連れて行ってくれたオヤジ。泥まみれになって仕事から帰ってきて、浴槽を垢だらけにしていたオヤジ。肉体労働で腹ぺこのはずなのに、安物のオカズで晩酌していたオヤジ。阪神が好きなくせに、テレビでは巨人の試合ばかり観ていたオヤジ。僕を褒めてくれたことは一度もないけど、一度も貶さないオヤジ。母さんがオヤジに対しての怒りを弁当に表していた頃、ちくわと梅干しのオカズだけでも文句を言わなかったオヤジ。母さんが死ぬ間際に、仲違いしていた母の姉妹を倉敷の病院へ連れて来て対面させ、「あんた、初めて私にいいことしてくれたな」と言わせたオヤジ。母さんが骨壺になって帰宅した時に、仏壇の前でひっそりと独り泣いていたらしい親父……。僕よりデブだったのに今はガリガリになったオヤジ……。
僕はラーメンをすすりながら、「お父さん」と呟き涙をこぼし、帰り道も「お父さん」と涙を拭きながら家に帰って寝た。僕は、父方すべてを憎んで数年前まで生きてきた。母さんを苦しめたのも、弟が行方不明になったのも全部父方のせいにしてきた。許すということができるようになったのが遅すぎた。お父さんへの親孝行に気づくのが遅すぎた。バナナくらいしか食べさせてやれない情けない息子でごめんなさい。人に誇れるような息子じゃなくてごめんなさい。















