【大阪タワー☆】
良心の呵責に苛まれ続けながら、消したい傷と残したい想い出を綴るだけのブログです。



※読了後は、各記事の右下にある「拍手」ボタンを押してもらえるとぬか喜びします。 読んでもらえてるんだ、と実感します。コメントなんて特に要りませんから、過去記事にもお気軽にプッシュしていただけると幸いです(これは、あらゆるランキングとかアクセス解析とかに全く関係ありません)。


アブラムシ
 小学生の頃は、ほぼ毎週日曜日になると大津にある母方のおばあちゃん家へ行ってた。当時は父方の祖父母と同居していたので、休日の度に大津へ行く僕らに対してオヤジは渋い顔をしていた。それでも、ほぼ欠かさずに大津へ行ってた。僕よりもオカンが実家にエスケープしたかったようだ。姑との仲が腐るほど悪かったし。

 おばあちゃん家へ行くと、ナスビのぬか漬けとか煮干しで出汁を取った極上の味噌汁、おいしい新米やらが山盛り食わせてもらえた。僕ん家は、貧乏やから古米とか古々米しか食えんかったし。

「オサ(おばあちゃんは僕をこう呼んだ)、腹一杯食べーよ」と、何度もおかわりをするよう言われた。僕もおいしかったので、おばあちゃんたちが呆れるぐらい食べた。昼ご飯も晩ご飯もおばあちゃん家で食べてた。オヤジも最後には根負けして、晩ご飯はそこで一緒に食べてた。
 
 ある日の晩ご飯。おかずは、おばあちゃんが畑で採ってきた白菜で八宝菜を作ってくれたのだった。いつものようにモリモリと食べていたんやけど、途中で僕は気づいた。白菜の中にいっぱいアブラムシがいることに……。

「虫おるで……。もう食えんわ……」
と、僕はおばあちゃんに聞こえんようオカンにこっそり言うた。ほんならオカンは、
「私が食べる」言うて、アブラムシがいっぱい入った八宝菜を平らげた。おばあちゃんの目が悪いのは僕も承知していたから虫ぐらい入っててもしょうがないと思うたけど、普通あれは食えん。オカンはおばあちゃんや僕を咎めることなく、残りの八宝菜も全部食べてしもうた。

 
 それからずっと経って、オカンはおばあちゃんより先に死んでもうた。闘病中に書いてたノートには
「お母さんと一緒のお墓に入れてください」
って綴ってあった。普通なら嫁ぎ先の墓に葬るものなんだけど、みんなそれを読んで了承した。
 結局、おばあちゃんも4ヶ月後に死んだので、骨納めはオカンとおばあちゃん一緒にした。

 おばあちゃんは晩年、痴呆がひどかった。みんなでオカンの死んだことを内緒にしておいた。ボケたおばあちゃんは娘らがいっぱいいるのに、なぜか
「キミコ(これはオカンの本名ではなくあだ名)はどこや? キミコはどうしとる?」
そんなことばかり言うてみんなを困らせた。おばあちゃんもオカンのことを大事に思ってたんやろう。


 僕は大事な人が作ったものなら、アブラムシさえも食べるような絆を知ってる。そんなことをmixiで虫の話を読んで思い出した。明日は八宝菜作ろうかな。


2006年06月26日00:40


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ブタの自由
まずは真島昌利の『こんなもんじゃない』って曲の歌詞を見てほしい。


昨日、取材の帰り道。
山奥の高速道路でブタを載せたトラックを見た。

屋根のない単なる荷台に載せられたブタ運搬トラックは初めて見た。
ブタらは鮨詰めにされて、座ることも動くことさえできない状態。
小さめのトラックに50頭以上はいただろうか。


トラックを追い抜きざまに、僕はブタの顔を見てしまった。
遠くを見つめるような哀しげな瞳瞳瞳……。
肌色のせいもあるだろうが、ブタらが人間に見えてしょうがなかった。
『こんなもんじゃない』の歌詞

ブタの自由に慣れてはいけない もっと人は自由なのだ

を思い出した。


これから屠殺場で解体されるんだ。
屠殺場に連れて行かれるために、
産まれさせられて餌を与えられて育てられたんだ。

ぎゅうぎゅう詰めの荷台に動くこともできず立たされて、
自分らの行く先も知らずに、
肉になるんだ。


僕の自由はどこへ載せられて行くのかな。
いつか僕もどこかのブタに食われるのかな。
ブタよ、瞳の潤んだブタらよ。
アディオス、ごちそうさま。


2006年08月11日00:00


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mixiは気持ち悪い
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 火曜日の仕事帰りに急逝(?)しそうになったので翌日はひたすら寝て、起きてはハルシオンを飲んでまた寝てた。それの繰り返し。そんななか、mixiを覗いたりするのだからネット依存というのは怖いというか卑猥というか。

 その酩酊した水曜日に僕がコメントをつけてる日記があれば、“よっぽど”だったのだと思います。これは褒め言葉と受け取ってください。その日記を書いた人には賛辞を送ります。ハラショー。
 

 月曜日だったと思うが、実験的にニックネームに「@日記全体公開」と入れてみた。僕のマイミクじゃない人がどれほど僕を気にしているのか、もしくは「お気に入り」に入れられてるのかがよぅくわかった。

 見知らぬニックネームの足あとを踏み返してみると、マイミクさんのマイミクだったりするのも多かった。日記やコミュ一覧、友人からの紹介文、マイミク一覧などをニヤニヤと見せてもらったのだが、なぜだかいわゆる“香ばしい”人ばかりだった。エロコミュだらけとか、マイミク一覧がギャル女カタログみたいだとかホントもう勘弁してほしい。だから前にこんなことを書いたのだ。mixiをハッテンバにするのはホモセクシャルの人らだけにとどめておいてほしい。


 以前、ネットなんかしてないような友人らを相手に電話でmixiに誘ってみたことがある。まだユーザーが200万人ぐらいの時だろうか。ブログとSNSの違いもわかってないような人らなので、負の部分も包み隠さずに「いろんな人がいる」と説明した。

 いろんな人とは、恋愛や離婚、不倫、身内の不幸、精神病、リストカッター、ニート、犯罪、親を殺したいほど憎んでるなどのマイミクさんらのこと。それぞれ1人や2人じゃないのが特色だ(なんだ、僕も十分“香ばしい”じゃないか)。
 
 友人らは言った。
「そんなの誰にも見られたくない」
「気持ち悪い」

 そうなのだ。ネットに興味がない人らには、ここ(mixi)は気持ち悪くて恥ずかしい場所なのだ。マゾヒストの集団なのだ。そして、そういうことを率先して書いているこの僕は、たぶんmixiユーザーで100傑に入るであろう気持ち悪い男なのだ。

 1日中mixiに張り付いている、僕よりすごいヘビーユーザーがたくさんいらっしゃるけど、本性や本当の事情をあらわにしない“ネタ”だらけだったりする。ネタはナマモノだから将来的に振り返っても、チャット画面のログ並みにあまり面白くない(面白い必要があるかどうかは、アクセス数やコメントを求めているかどうかを考えると必然だろう)。本来ならば、日記はあくまでも日記であるべきだ。だから恥ずかしくて気持ち悪いとされることを晒している人らは、僕から見てとても普通なのだ。

※「気持ち悪い」だの言ってた友人らだが、今ではmixi内に潜伏している(つもりらしい)。(苦笑)


 言っとくけど、僕のトップページの自己紹介にずーっと前から書いてある通り、「人それぞれ」って結論が大嫌いです(「人それぞれ」って結論づける人に限って、のほほんと「世界平和」「戦争反対」とか宣うのは何故だろう? 矛盾してないか?)。とにかくあなたが今見ている此所は、僕の脳内ネバーランドだということをお忘れなく。
&ようこそネバーランドへ。アトラクションは「不幸自慢」と「食い意地」と「下ネタ」がメインです。


2006年09月23日01:22


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自戒


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ馬鹿ものよ


詩:茨木のり子




昨日は、朝にハルシオン飲んで酩酊してコンビニへ行って、チキン食らってビール飲んで寝た。
昼に起きて朦朧とmixiしてまた寝て、夕方また起きて洗濯をあきらめてまた寝たら今日だった。

我が生誕日に添えて。


2006年◎月◎日03:54


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おおさかにもあったんだ。
 母さんは、おばあちゃん家の近所では「キミちゃん」というあだ名で呼ばれていた。
 母さんの母親、すなわちおばあちゃんは母さんのことを、「キミコ」と呼んで可愛がっていた。キミコって名前じゃないんだけども。


 僕が初めて就職した二十歳の頃、会社の寮としてマンションの一室をあてがわれた。大淀町スカイハイツの8階の同じフロアには、当時参議院議員だった横山ノックさんが住んでおられた。テレビで観ていた有名人と同じマンションの同じフロアに住んでるなんて、僕には自慢のタネだった。
 エレベーターでよく一緒になったノックさん。犬の散歩のためか帽子をかぶっているけど、一目でわかるたたずまい。僕は知っているくせに「何階ですか?」と訊くと、それはそれは丁寧な挨拶をしてくださった。近所付き合いのためとはいえ、あそこまで低頭できる人を僕は他に知らない。しかも当時のヒョロヒョロの若造の僕に。

 母さんが“メニエール氏病(メニエール病)”だと診断されてから、僕のところへ来る機会があった。ベランダから見える大阪駅付近のビルを指差して、
「あれがマルビルであっちが淡路島」
 などと言って借家というか寮なのに誇らし気な僕。左の方を指して、
「あそこにもうすぐスカイビルっちゅうのができるんやで。ビルとビルが繋がってそこに空中庭園ってのができるんやて」

 母さんは、当時すぐ咳き込むくせに相変わらず大食漢。
「なんか食べに行こうかぁ。お腹すいたわぁ」
 給料が手取り12万円くらいだったから、ご馳走もなにもなかったので、母さんの好物のうどんを食べに行くことになった。なにわ筋を歩いて福島駅の方へ向かう途中、大阪タワーの前に差し掛かった。

「お母さん。あれ大阪タワーっていうんやで。知らなんだやろ?」
「昇れるんか?」
「昇れるけど、こんなん低い低い。もうすぐ空中庭園ができるさかいに、こんなとこ昇っとく必要あらへんわ」

 今、考えれば昇っておけばよかったと痛感する。周囲のビルやマンションよりも低くなってしまったけど、きっと僕たち親子にしか観られない景色が広がったのだろう。共有できる想い出も一つ増えたろうに……。

 母さんと僕は、福島駅前にある『力餅食堂』という名のうどん屋さんへ入った。
「かちんうどんください」
「それなんや?」
「カチカチに焼いたお餅が入ってるんや。力うどんみたいなもんや」
「ほな、アタシもそれ」

 この頃からだろうか、母さんはやたら僕と同じものを食べたがった。“味の共有は人生の共有だ。未練という名の飯粒を残してはならない”という意識があったのだろうか。その後に発覚した末期の肺癌のせいで咳き込んでいたのに、ツルツルぐいっと熱いうどんを食べ干してしまった母さん。
「こんな熱いのに、ようそんなに早よ食べるなぁ」
 半ば呆れる僕に、
「慣れや、慣れ」
 と言ってニコリ。
「そんなん無理やわぁ」
 悲鳴を上げる僕。
「ゆっくり食べぃや。真似せんでええで。自分のペースで。うどんは逃げへんさかい」
 なんだか今思うと人生訓のような言葉だった。



 今日、大阪タワーを撮りに行った。もうすぐ解体されるそうなので、シャッターチャンスはこの連休中しか無いと思って……。
 駅前を歩くと、『力餅食堂』がお店ごと無くなってしまっていた。何度探しても跡形も無い。嗚呼、もう一度食べたかったな、かちんうどん。大阪タワーは、とうの昔に昇れなくなったし、ここらへんで母さんと食べたかちんうどんも味わえない。タイムスリップを期待した自分が愚かで哀れだった。後悔する前に、目の前にある山を登ったり、タワーに昇ったりすべきなのだ。チャレンジは早い方がいいし、思い立ったが吉日なのだ。

 とにかく大阪タワーを撮って撮りまくった。動画も。











































↑飛行機、ファインダーの中へ飛んできた。













































【動画1】



【動画2】



【動画3】




 周囲の建物の高さに、軒並み抜かされてしまった大阪タワー。まるで若い衆に抜かされまくっている自分を観ているような気持ちになった。撮りながら夕日がやけに綺麗だったので、鼻歌まじりになっていた。

“おおさかにもあったんだぁ こんなきれいなゆうひが〜 うれしい〜な キミにみせ〜たいな キミはげんきかな〜”

 もちろん「キミ」とは母さんのあだ名のことである。

 撮り終わって、お腹がすいたので駅前のマクドナルドにでも行こうかと思っていたら、去年はすっかり常連にさせてもらった、JR神戸線の高架下にあるおでん屋さん『どにを』が開いていた。この連休中によくも僕のために!って感じだったけど、店主に訊くと、
「昨日来られた老夫婦が“明日も来る”って言わはったから」
 なんとも気のいい店主である。

 店に据え置かれたテレビには、プロ野球の阪神対横浜戦が流れていた。
 おでんの大根とタケノコと牛筋とちくわ、それに冷蔵庫から取り出し自由の200円のカツオのたたきを頬張りながら、生ビールをぐびぐび。阪神は結局、クルーンに抑え込まれて負けた。いい天気だし観たかったな。横浜ファンのマイミクのようこさんは球場に足を運んでいるだろうか、などと思った。
 
 しばらくしてニュース。
「横山ノック前大阪府知事が今朝亡くなりました」

 店主が驚いているのでテレビの画面をあわてて観た。
「へ〜、ノックさん亡くならはったんですねぇ」
 と唸る店主に朴訥な僕は呟いた。
「実は昨夜、ノックさんの夢見たばかりですわ……」



 今日はきっと想い出の一つにケリをつける日だったんだ。
 大阪にもあったんだ。
 大阪にあったんだ。
 大阪タワーにあったんだ。
 僕の想い出と未練が。




乳の日
 幼少の頃、母のオッパイを弟に独占されて、眠る前にいつもスネていた。どういうわけか、代わりにオヤジの乳首をさわらされていたのをかすかに思い出した。父の乳なんて気持ち悪くてシャレにもなんないけど。

 やっぱりそれでは物足りなかったのだろう。いつのまにか僕は、ウルトラの母のソフビを握らされて、それの胸をさわりながらいつも眠っていた。だから今でもウルトラの母を見ると気恥ずかしさが甦るのである。ちなみに僕は乳フェチではない。まあご存知だろうけども……。

 乳房というのは男にとって重要なんだとよく感じる。彼女のペチャパイを嘆いていた友人は、浮気で巨乳女にハマってから二度とペチャパイ女の元には戻らんかった。物足りなかったのであろう……。

 どんなことでもないよりもある方がいいに決まってる。被害以外は。ありすぎるのは問題だけども……。父の乳の思い出も、ないよりはいいのかもしれない。

 先週、たまたまいろんなことを思い出したので、この前の日曜、特別養護老人ホームに居るオヤジに訊いてみた。



僕「モグラ獲りに連れて行ったやろう? あれ、なんで獲ったのに見せてくれへんかったんや?」
オ「庭の砂のトコに飼おうと思うたんや」

僕「スズメバチの巣、しょっちゅう獲ってきてたやろ? あれどうやって獲ったんや?」
オ「あいつら(スズメバチ)黒いのに反応するさかいに髪の毛を白いヘルメットで隠して殺虫剤で一発や。スズメバチの巣は穴が1つやさかいなぁ」

僕「顔にネットとか防具かぶらんかったんかいな?」
オ「そうや。白いヘルメットと殺虫剤だけや」

僕「ザリガニ100匹ぐらい獲ったことあるやろ? あれなんでや?」
オ「わからん」

僕「カブトムシの幼虫、80匹以上獲って、獲り過ぎて近所に配ったなぁ」
オ「牛の糞が置いたるトコにはおるって知ってたんや」

僕「そういや団地に住んでた時、庭でウサギいっぱい飼うてて、野良犬に襲われて逃げたり殺されたりしたやろ? その後になんで物置にウサギの毛皮を吊るしてたんや?」
オ「なんか役に立つかなぁ思うて」

僕「まさか死んだウサギ食ってへんやろな?」
オ「あれは肉屋に持って行ってさばいてもろうた」

僕「そんならワシもウサギ食うたんか?」
オ「たぶん食べてるはずや」

僕「……………(沈黙)」



そんなオヤジの誕生日が今日だ。
あんたの変人の血は立派に受け継いでるので、もう死んでかまへんよ。
乳首の感触は憶えといてやるから。


2006年○月×日21:23
即身成仏
 この時、なぜこういう風に「視てもらう」ことになったかのキッカケ話です。
 以下、2006年10月14日21:02にUPした日記。

 このウンコ忙しい時に風邪をひきました……。事務所の者たちが次々と風邪をひいてたのだが、気合い入ってる僕は大丈夫だと思って油断してた。しんどい。焼酎食らって暖房つけて寝ます……。



 一昨日、迷友(?)Tと『万両本店』で焼肉食いました。Tは焼肉を上手に焼けないので、僕が“焼き奉行”してました。万両の焼肉初体験でウマいのはわかるんだけど、林家パー子みたいなリアクション大袈裟はやめてもらいたい。あれならまだ彦マロの方がマシだ。

 その後、近所のバーで飲んでたら、どうやら勝手に僕を霊視してもらったということがわかった。酔うと俄然ダメな奴よ、Tは……。


T「取材(?)で会った霊能力者(?)に言われて、いろんな人の名前を書いたら、あんた(僕)とお姉ちゃんの名前に興味を示してん!」
僕「で、なんて?」

T「すごいねん! 名前だけやのに、“この人はライターさんね”とか、“あだ名は○○ちゃんね”とか、“この人が我慢してるおかげで○○ちゃんの家系が持ってる”とか言うねん!」
僕「ずいぶん漠然としてるけど当たってないことはないな」

T「ちなみに、あんたの前世は“即身成仏を目指してた僧”らしいで!」
僕「“目指してた”ってのはなんや!? 『火の鳥(鳳凰編)』みたいに立派なミイラになれんかったんかよ! 目指してただけかよ!?(苦笑)」

T「○○ちゃんがもしこれに気が向いたら、私のとこに連れてらっしゃいって言ってたで! お祓いしてくれるらしいで! その後、比叡山へ行きなさいって」
僕「なんで比叡山やねん」



 究極的に言うと、僕は即身成仏を目指してるので、当たらずも遠からずって感じだ。どのように目指してるかは言うつもりはない。勝手に気づいてください。


T「あんたは自殺するような人じゃないって、その人が言うてたから安心した!」
僕「俺は毎日を生きてる行為が自殺へと向かってるんや」

僕「ところでキミのお姉ちゃんの前世はなんて??」
T「ひ…人柱……」
きょじんのほし
 幼い頃、僕がいた滋賀県の娯楽スポットといえば琵琶湖温泉紅葉パラダイスだった。


 親戚のおばちゃんらと一緒に紅葉パラダイスへ行き、遊園地で遊んでジャングル風呂に入る。ジャングル風呂へ向かう橋の下には大きなワニが。風呂には洞窟風呂とか薬湯とかいろいろ。

 湯上がりにゲームコーナーでコインゲーム。いつもならドケチの父が豪快にゲームに興じ、コインやお菓子が出る度に僕ら兄弟ははしゃいだ。

 ステージでショウが始まる時間になると、大演芸場にみんなで座り、お弁当を食べながら備え置いてあるお茶を飲む。ステージでは歌謡ショウや手品、映画とかなんでもありで、子供からお年寄りまで楽しめた(今考えると、あんなに単純なものなのにあんなに楽しかったのってなんなんだろう? 現代は、娯楽が飽和してるんじゃないかなぁ)。

 とりわけ憶えているのは、夏向けのなにかの恐怖映画で、南田洋子がスイカを食べて、その口から目玉がギョロギョロ動くやつ。大人になってからその映画をたまたま放映してたのを観たことがある。

 とにかく本当に楽しかった。家族旅行に出かけたことさえない我が家で、娯楽っていえばそれくらいだったと思う。紅葉パラダイスは、間違いなく僕にとってパラダイスだった。



 幼稚園の頃だったと思う。いつものようにステージを観ていたら、司会者が「飛び入りで歌う人」を探し呼びかけていたことがあった。なぜか僕は、母やおばちゃんに「僕、歌いたい……」って言うた。ホントに衝動的だった。皆は人前で歌うどころか、どんなことにでもすぐ泣き出すような弱虫のこの子が、と唖然としていた。子供で手を上げたのは僕だけだったと思う。
 
 どういう経緯でステージまで上がったのか憶えてないが、生まれて初めての歌、ステージ、生演奏、満員の観衆。司会者に何を歌うのか?と訊かれ、

「きょじんのほしっ!」って言うた。

 演奏者らと音が合ってたのかさえ憶えてない。ただ初めて握るマイクで僕は巨人の星の1番だけを思い切り歌うた。叫んだ。誰のためでもなく自分のためでもなく無我夢中で歌うた。

 歌い終わった後、司会者が「今年の巨人はアカンわ」って言うた(けど、その通りになった。巨人の連続優勝記録が途切れた)。僕は、司会者の無礼なコメントにもめげず、賞品の花火セットをもらって照れまくって家族らがいる席に戻った。みんなが「ようやった!」って褒めてくれた。嬉しかった。その後、なにがあったか憶えていない。ただ、挙手までして皆の前で歌ったという事実に、ずっと胸の鼓動が治まらなかった。


思い込んだら試練の道を〜

血の汗流せ〜

涙を拭くな〜





 こんなにこんなに試練が待ち受けてると予見して、それでもなおどんと行こうって、家族やおばちゃんらへの、そして自分への誓いやったんやと今更思う。
 
オリオン座
星座の形で知っているのは、オリオン座ぐらいのものだ。

はっきりとオリオン座と認識できる時、たいてい夜空は星でいっぱいだ。
そうでなけりゃ、星なんて意識して見ない。

オリオン座を眺めていると、それを見つけた嬉しさで、憎悪とか悲しみとかどうでもよくなる。

体育の時間、校庭で大きな水晶を見つけた時のような、
帰り道、竹やぶで真っ赤な野イチゴを見つけた時のような、
放課後、近所の川ででっかいハサミのザリガニを見つけた時のような、
数々のささやかな喜びに似た感情がふつふつと湧いてくるのだ。

オリオン座を眺めていると、前にオリオン座を見ていたその時の自分を思い出す。

つらかった時、淋しかった時、楽しかった時。

いろんな時を思い出させてくれるオリオン座は、ボクの夜空のアルバムだ。


2004年08月14日00:16


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超大物有名人に遭遇で冷や汗の巻
(注)2006年11月28日02:41に書いた日記です。


 朝9:15に集合して六甲アイランドの某ホテルにあるお店へ取材。北京ダックなどを撮影。味見したら全然おいしくなかった。大丈夫かあのお店……。

 11:30に取材撮影終了して、13:30に日本橋(にっぽんばし。※東京は“にほんばし”)へ向かう予定だったのだが、『◎◎』という雑誌のおでん屋さん突撃アポのために僕は梅田で車から降ろしてもらった。カメラマンさんだけ日本橋へ向かわせて、1カットだけ撮ってくるように指示。僕は某おでん屋さんのランチタイムに突撃。

 何故に突撃アポをしなけりゃいけないかというと、『◎◎』の知名度があまりにも低いのと、老舗だけに電話アポだけでは済まないということ、今週中に即撮影だということ……などなどがある。まあ、アポなし取材よりマシか……。


 ざっくりと言い切ってしまえば、昔の関西人はおでんのことを関東煮(かんとだき)というのだが、このお店は森繁さんが来店した際に「関西煮(かんさいだき)」と名付けた曰く付き。おまけに『美味しんぼ79巻』にも登場している……。

 まず地図で調べたお店を見つけて中の様子をうかがう。お客が居たので引けるまで出待ち(?)。お店の前に昼食おでん4品とビール付き800円と書いてあった。夜はかなりお高いと聞いていたのだが、昼に突撃しようとしてたのは正解だったようだ。僕は食べたものに関しては領収証を切ってもらわない主義なので安い方が助かる。とにかく近くのコンビニへ行き、お客が引けるのを待った。

 13:10になってもさっき居たお客が引ける様子がなく、ラストオーダーが13:30だと電話で聞いたので仕方なく突撃開始。僕が食べてるうちに引けるだろうと。

 店内に入るととにかく狭い。いや、いい意味でこぢんまり。カウンターかテーブルかどっちでもいいと言われたので、1人である僕はカウンターへ着席。コートを脱ぐ際に後ろを振り向いてお客の顔を見たら……








なんと








安藤忠雄!(敬称略)





よりによって世界のアンドータダオて……。アンドゥトゥルワー! アンドゥトゥルワー!(泣)



 人懐っこいけど物凄いえげつない関西弁&地鳴りのようなお声でよそのお客と会話していた。「石原慎太郎がなんたらかんたら!」とか……。慎太郎と友だちなんだろうね……。それにしてもガクブルの状況というかなんというか。僕は後ろを振り返らないようにした。4品選んで注文したら、ご飯とお汁と漬物と羊羹が出てきた。どうやらビールを注文しなかった人には羊羹が出るらしい。ご飯はお替わり自由で、たぶんおでんの出汁で炊いた飯だった。
【注釈】ビールは注文すればサービスらしい。ビールも飲めるし羊羹も食える。

 アンドゥーさんはあいかわらず捲し立てていた。「NHKみたいなもんはなんたらかんたら!」とか……。でも、尊敬してますよ! 僕は時折、店主に話しかけたり眺めたりしていた。おいしいけどなんだかアンドゥーさんのお声でウマさ半減(泣)。店主は、阪急やら阪神やらの百貨店でも材料の仕入れをしているとアンドゥーさんなどに言っていた。ほとんどすべて手作りのおでんダネらしいけど、山岡士郎が自慢するほどなのかどうかよくわからなかった……。う〜む……。僕が味音痴なのかもしれない。おでんは知れば知る程わからないものになった。単純なようで奥が深すぎてようわからん……。

 とにかくアンドゥーさんが帰る様子もなかったので、
「雑誌の者ですけどまた後で出直してきますわ」
 と言うたら、店主が引き止めて僕の話を聞いてくれた。
「(安藤)先生、居たはるさかいに後でええですわ」
 と言ったのだが、
「常連やさかいに(笑)」
 と気さくに話してくださった。僕はとにかくアンドゥーさんに聞こえないようにヒソヒソと説明。
「うちは週刊誌やったら(取材)受けへんのですけどね」
 というわけでOKもらった! 
「ほんで(撮影は)今からでっか?」
 とおっしゃるのずっこけた(笑)。それは無理だってば! とにかく今週木曜11:20(?)のNHK生放送(?)がある日以外やったらOKということで店を出た。
【訂正】11/30(木)AM11:00頃からの関西ローカルらしい。生放送ではないそうだ。

 それからそれから、15:00スタートの取材が駅前ビルであるので、そこまで20分程歩いて汗だく……。途中で某編集プロダクションTの社長様が前払いで振り込んでくれたギャラを銀行でおろした。今日、ケータイ電話代払わないと明日から電話ストップするとこだったよ! Tの社長様に感謝!(涙)

 日本橋で撮影してるはずのカメラマンさんが、なかなか来ないので先に取材に入った。しかしながら僕は、さっきのアンドゥーショックの冷や汗と歩き汗で意気消沈。カメラマンさんが来て撮影を終えた後に、撮影したのと同じ○○鍋を食べさせてもらったのだが、美味しくなかった……。むしろマズくてほとんど食えなかった。でも、カメラマンさんはウマいウマいと言ってた……。半分以上残して帰ったけど……。

 その後、電車で移動して仕事場へ入り、いろいろな作業。とにかくこの年末進行スケジュールで忙しい時に、急な撮影をやってくれる腕のいいカメラマンさんがいないので、電話で悪戦苦闘した。それをやりながらメールチェックやら画像のチェックやらネタや企画書のプリントアウトやらT出版社への質問やら……。気づいたら21:15だった。

 とにかく今日中に突撃アポをあと2軒したかったので、手の空いてるカメラマンさんを目的のおでん屋さんへ呼びつけた。そこで取材撮影依頼をしようとしたが、お客が多すぎたので、雑誌だけ渡して「閉店後にまた来ます」と言った。

 カメラマンさんと近くのカフェへ行き、まず雑誌の説明。カメラマンさんも『◎◎』を知らなかった……。こんな知名度で名店ばかりを載せようとするT出版社は、もうちょっと考えろ!(泣) おまけにスケジュールがタイトすぎるんだよ!(泣) 来週の水曜日までにポジフィルムで納品て!(こら!) 今どきフィルムかよ! 普通、デジだろ! とにもかくにも、どの曜日のどの時間にカメラマンさんが空いてるかを訊く僕であった。

 閉店後のおでん屋さんに行ったら、さっき店主が別店へ移動したというので、別店へ電話。即OKの返事もらう。一応、明日に説明の電話を23時頃にしなきゃ。

 カメラマンさんの車をフルに使って(要は使いっ走り?)、靭公園付近のおでん屋さんへ移動。で、突撃! しかしながらお店のシャッターが降りてた……。電話をしたら、転送されて店主が出てくれた。やっぱり『◎◎』を知らなくて、広告営業か?と疑われた。しかし、いろいろ説明したらOKもらえた! ホントに明後日の水曜日に取材撮影でいいの?(笑)

 時計を見ると24:00を過ぎていたので、カメラマンさんに家の近所まで送ってもらった。で、ネコのトイレ掃除して、アマゾンから大量に届いた業田良家のマンガ本をチェックして今に至る……。

 皆さん、生きて行くのは途方もなく無謀なことです。
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