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【大阪タワー☆忘れたい人】
良心の呵責に苛まれ続けるブログです。



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教室の窓から見えたもの
 僕がいた小学校は、新築住宅のラッシュで年々児童が増えて、それに伴い校舎もだんだん増やされていった。増やされるのはしょうがないのだが、それまでの間、プレハブの校舎で1年過ごしたこともある。

 思い出せる小学校の景色で、新築された鉄筋コンクリートの校舎はほぼ皆無。木造の旧校舎ばかりが思い出せる。記憶にも残らない場所を作り出すのって、浅はかな当時の日本人の手段だ。今もあまり変わらぬが。しかし、木造の校舎は階段の手すりの感触や、廊下の木目の感じまで思い出せる。
 もう旧校舎はすべて取り壊されたそうだが、本当にいいものは心から取り壊すことはできない。愚か者たちが、どんなに味も素っ気もない鉄筋コンクリートをその上に建てたとしても、その下にあった思い出だけは、僕が生きている限り、この心から消すことはできまい。


 鉄筋コンクリートの中で起こった出来事は憶えているが、その景色が思い出せない。思い出せるのは、4階の教室から見た窓の外の景色だけ。運動場と田んぼと林だけ。
 周囲がほぼ田んぼで囲まれていた学校には、よく気球が飛んできた。一度、運動場の向こうの田んぼに不時着したことがある。ぎゃーぎゃーと授業中なのにみんなで騒いだ。先生も授業を中断してそれを見ていた。

 不時着したまんまの気球。なかなか飛べず。とうとう先生は授業を再開した。みんなも飛ばない気球には次第に興味が薄れて、やがて窓の外を見る者もいなくなった。
 これってなんだかニュースや事件に似てる。あるものをないもののようにして、自分の都合だけを押し進めてゆく姿勢。僕らは鉄筋コンクリートの校舎で、ヤなことを訓練されて育てられたのだと気づく。

「あ! 飛んだ!」
 一人待ちわびていた僕が声を上げると、みんなが一斉に再び気球を見た。やがて見えなくなってゆく気球にみんなはまた元通り静かになった。絶えるわけではないものが、再び飛び立つのをずっと待っていたのはたぶん僕だけだった。気球が飛んで行った方向をずっと見ていたのはたぶん僕だけだった。


 また僕の景色に不時着する気球が見えることがあるだろう。手の届かないところからでも僕は、きっと空へ舞い上がるのをずっと願ってる。
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 ようやく鑑定士先生に紹介してもらった、例の比叡山のお寺へお祓いなるものをしてもらいに行こうと、直接そこへ電話をしたら留守電だった。仕方なく「◎◎先生からご紹介いただいて電話しました」云々と録音しておいたら、電話番号を言ってないのに大阿闍梨から直接返事の電話をいただいた。わかっちゃいたけどナンバーディスプレイなのね(笑)。

 電話をしてわかったのだが、そこ(飯室不動堂)は俗に言う「お祓い」ではなく、「護摩を焚く」のだそうだ(ま、それもお祓いのうちだが)。寺社仏閣に思慮深い友人にそのことを話したら、やはりというか流石というか飯室不動堂の大阿闍梨のことを知っていて、辛口の彼から「かなりご利益あるらしいよ」という言葉をもらった。そして、護摩木と護摩札のことやら御護摩料の渡し方まで教えてもらった。感謝。

 というわけで、来週の月曜(5/28)に比叡山へ行ってきます。◎◎先生曰く、僕の前世は延暦寺の即身成仏を目指した僧らしいので、ついでに延暦寺も行こうかな。誰か行きたい人がいるなら、メールかなんかで挙手してください。あなたも大阿闍梨に護摩を焚いてもらいませんか?(←口説き文句としては変)。
 僕が護摩に願うことは2つ。まず、母方家の先祖供養。そして自分の実現。これは、夢というか目標というか僕の生き様に関わること、生きる目的の達成を願うのです。それが何かは書きませんが、実現・達成できれば、僕は即身成仏となると言っても過言ではない。


 さて、昨日はオヤジのペースメーカー検診に立ち合うため、近江八幡まで行ってきた。特養の人らは、送り迎えしかしてくれないので行かざるをえない。
 車椅子に乗ったオヤジを押して、レントゲン、心電図、ペースメーカー測定、問診などを2時間でこなした。医師によると、オヤジのペースメーカーは22cm以上離れていれば、ケータイを使用しても大丈夫なものらしい。今までオヤジに会う時はケータイの電源切ってたのが馬鹿らしくなった。とはいえ、大丈夫じゃないペースメーカーの人もいるので皆さん気をつけて。

 昨日はペースメーカーの診断を受ける患者さんの多さに驚いたのだが、ペースメーカーの役割を知らない人らが多すぎると常々感じる。うちのオヤジを例にして簡単に言えば、左心房・右心房・左心室・右心室のどれだか忘れたが、いずれかを動かす神経が止まってしまうのだ。これを「房室ブロック」という。
 それを電池で動くペースメーカー(オヤジの電池はあと3、4年持つらしい)を入れることで、心臓の止まった神経に刺激を与え、その代わりの役目をするのだ。亡き母は、オヤジのこの状態を「死に損ないの人造人間キカイダー」と言った(笑)。ペースメーカーは、昔のものは特に電磁波に弱いので、ペースメーカーの故障=心臓ストップ=死なのだ。だから電車内でよくアナウンスをしているのさ、わかった?

 この房室ブロック、タチの悪いことに「遺伝」の可能性がかなり高いのだ。僕の今の心臓の調子といえば、たまにハードな取材や原稿書きの時に「今すぐ死んでしまう!」と思うほどの激痛が心臓に走る(最近ならサラダパン取材後にそれが起こり、やむなく途中下車して高校時代の友人宅で休憩した)。
 この前、医者に問うたら、心筋梗塞の一歩手前の狭心症だと言われた。9年以上服用している薬のせい、薬のせいの肥満のせいだろう。でも、タバコは吸うし酒も程々に飲みますし、徹夜もします。これは好きなのでやめません。たぶん頭のカタイ医者なら、何時くたばってもおかしくないと言うのでしょう。
 しかも、いろんな症状を自覚していて思うのだが、大関・栃東の引退理由と同じ病を僕も患っているはず。まあ、これは50代の2人に1人が実はそうらしいので放っておく。僕の体はすでに老人並みだから。


 房室ブロックと脳梗塞で二度死にかけたオヤジと、どっちが先かな?と昨日はオヤジの顔をじっくり見てきた。ついでに剃り残しのヒゲも念入りに剃ってやった。新しい靴を持って行って履かせた。脚の弱ったオヤジに「(運動のために)歩け」と何度も言った。例え僕がいなくなったとしても歩け。オヤジ。

 相撲を一緒に観ていると、毎度の如くオヤジは僕の弟の話を切り出してきた。そう思っているのに、「死ぬまで会えんと思うよ」とは言わなかった。希望がなくちゃ生きられないもんね。絶望は若者だけを強くするけど。

 オヤジに食べたいものを訊いた。特養では食べられないであろう、好物だった鯖寿司とか枇杷とか言うかと思ってたら、「バナナ!」と答えてきたので拍子抜け。特養でもバナナくらい食えるんだが、量が足りないらしい。今度はバナナを買うて行くことにする。


 オヤジの急激な老いと僕の体、どちらにも間に合わせなければならない。だから僕は比叡山へ行く。夢実現、具現化へ向かい自分を奮い立たせに行く。マイペースは、自分の残された時間を知ってこそ初めて解るものなのだ。



 立て前でも本音でも、
 本気でも嘘っぱちでも、
 限られた時間の中で、
 借物の時間の中で、
 本物の夢を見るんだ。
 夢を具現化するんだ。
 僕はきっと自分を成仏させる。
 それが僕の生きる道。
 それが私の生きる道。
 もぎ立ての果実のいいところ。
 でも、バナナは熟れた方がうまいよ。
 肉でもなんでも腐りかけ、死にかけがいいんだよ。
 なあ、オヤジ。

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つるやパンのサラダパン
 取材で遠くまで行ってきた。滋賀県木之本町。JRの策略(?)で「木本」という駅名になっているところだ。 ※参照MAP 

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↑ちなみに大阪からの片道運賃はこちら

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↑乗り換えなしで行ける電車がちょうどなくて、長浜駅で40分ちょい待ち(涙)


 結局、片道2時間半かかりました。ダイヤ改正で「敦賀行き」の新快速が登場したから敦賀が賑わう(?)なんて記事を見かけたことがありますが、たぶん無理です。だって新幹線で東京へ行く方がよっぽど楽だもん! でも、湖北の人々にはそれなりに喜ばれているようで何より。

 話が逸れた。名物であるサラダパンなどの取材へ行ったのだ。
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↑これがサラダパン。パッケージはおじいさん(初代)がデザイン。文字がイカす!

 JR木ノ本駅の踏切あたりから、すごくなだらかな坂道を上がっていくと、木之本地蔵院の近くに目的のパン屋さん『つるやパン』はあった。

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↑看板は特注の鋳物で出来ている

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名物サラダパンのアピールは意外と控えめ


 mixiにて、つるやパンの三代目さんの存在は知っていたので、mixiメッセージでアポ入れしてから電話をしたら、三代目さんに「に.ら.さんですか?(笑)」と言われた僕(笑)。「はい、に.ら.です(笑)」と返答した。そんなこんなで三代目さんとお会いできて感激でまた太ったがな! 三代目さんは男前でナイスガイ。しかも取材受け慣れしておられるうえ、mixiでお互いに知っていた存在ということもあって楽しく取材&撮影できた。

 カメラマンさんは撮影の量が多いので大変だったろうけど、いい仕事をしてくださった。サラダパンの考案者であるおばあちゃんにもお会いできたし、下記のように記念写真も撮れたし(笑)。mixiの御縁だ。

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↑僕より背の高い人と接することがあまりないので珍しい写真かも


 パンのことやらいろんなお話が聞けた。
 戦後、パンというものが何かよくわかってないのに「これからは小麦粉の時代」と言われ、パン屋さんを始めたおじいさん(初代)のお話とか。サラダパンは最初、たくあんではなくキャベツを入れたコールスローサラダなので、サラダパンと命名したとか。おばあちゃんが行商のように売り歩くうちに、キャベツの水分が出てしまいパンの味が落ちるので、代わりにたくあんを入れてみたらこれが大成功だったとか。

 とにかく、おじいさんがデザインした「サラダパン」と「つるやパン」のロゴのTシャツ作ってほしい、って言ったら、三代目も「もうそろそろ(作り時)かな?って思ってたんですよ!」って(笑)。

 サラダパンが有名だけど、人気No.1はサンドウィッチらしい。サンドウィッチは、丸いパンに魚肉ソーセージとマヨネーズだけというシンプルなものだ。丸いパンのサンドウィッチというだけでも珍しいこの品、毎日欠かさず食べてるお客さんも多いのだとか。食べてみると、パンがふぅんわり! で、味はシンプル。懐かしくおいしい。これがたったの105円! 魚肉ソーセージの成り立ちを知らない世代でも郷愁を感じる味のはずだ。
 しかも、サンドウィッチのパッケージもやたらカッコイイ。これもぜひTシャツにしてほしい! 僕はデブッチョなので、シャツのサイズはXL以上で!(ちなみに普段は4LのTシャツ着てます……) シャツの色は、白だとデブは汗で生地が透けてしまうから、黒で。いや、お店の人も着るとなると、商いのスタッフらしい紺色がいいかな!(以上、呟き)

 レーズンから培養した自家製イースト菌で作っている「大地パン」とかもあるし、お土産に最適ないろんな味のラスクもおいしー&たのしー。懐かしい味から今どきのギャルが喜びそうな味、甘党オヤジに絶大な人気の味、毎日食べ飽きない味、パンにはちょっとうるさいパン通グルメまでを唸らせるような味がいっぱいだった。
 それに三代目さんが、何よりもおじいさんを尊敬、敬愛しておられるのがひしひしと伝わってきた。三代目さんは口には出さなかったが、初代の伝統の受け継ぎ、守り、そして変な野望もなく地域密着型で、それでいて伝統の味と自分が考案した味を世間に味わってもらいたい、という信念と誇りを感じた。パンに対する情熱と愛情を感じた。

 取材してて面白いという感覚は僕にしては珍しいことなのだが、つるやパンはなにもかもがよかった。ぜひ現地にて焼きたてが揃う14時に購入し皆に食べてもらいたい(店前や店奥に食べるスペースが少しあります)。ネット通販では販売していない季節限定のパンもあるし。遠くて無理な人は、仲間で商品をチョイスしてネット通販で共同購入を!

 帰り際に「おみや」をいただいてホクホクで帰宅。
 つるやパンの皆さん、本当にありがとうございました。

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木ノ本駅で、1時間に2本の電車を待つのが慣れてない者には厳しい?


【おまけ動画】
僕が覆面実食をしました。台詞も何も考えてなかったのでダラダラのうえ、怪しくてですいません!



※追記:サラダパンとサンドウィッチは、断腸の思いで7月より120円に値上げしたそうです。詳しくは、つるやパンさんのネット通販サイトをご覧ください。



※サラダパンその後!

  
 
サンタクロース
※2006年12月10日21:19の日記です。



 この季節になると、あちこちがクリスマス装飾になる。だから、いやでも思い出すことがたくさんある。

 我が家にはサンタクロースって存在はなかった。幼い頃、試しに靴下を置いて寝たことがあるが、結局、靴下には何も起こらなかった……。
 我が家のクリスマスは、不二家かタカラブネだか忘れたけど、当時はあまりおいしくないケーキを食べるだけの儀式がある日だった。近所では小金持ちのボンボンたちの家が集まってパーティーというものをしてたけど、呼ばれたことはなかった。それはそれでうらやましかったけど、それでもケーキっていうものは、心ときめかせる何かがあった。でも、特別おいしくないので全部は食べられなかったっけ。


 小6のとき、母が「クリスマスプレゼント」って言うてくれたものはコロコロコミックだった。もうコロコロコミックを読むような年齢じゃなかったので、
「僕、もうコロコロは読まんよ」
 今と変わらぬ、歯に衣着せぬことを言うてしもうた。母の表情は見えなかった。ただ、
「ごめん。返してこようか?」
 そう言ったままうつむいて別の部屋へ行ったのを憶えている。

「いい。コロコロでかまへんで」
 コロコロコミックが入った袋を見て、僕は“しまった!”と思ってそう言った。袋には書店の名前が入ってあった。自転車で片道1時間くらいかかる遠いところの書店の袋だった。


 母は40代後半にして自転車の練習をして乗れるようになった。最初はオバサン用の三輪車だったが、次第に二輪車も乗れるようになった。オヤジがボロボロの二輪車をもらってきて、全部銀色に塗装して母に与えた。

 そんな自転車で、冬の雪だらけの湖北の何もない田んぼ道を延々と走ったのだろう。往復2時間くらい……。いつも「さぶいさぶい」と手袋を外しては石油ストーブの前で暖を取っていたっけ。四季を問わず、いっつも同じ服ばかり着てたらそら寒いわなぁ。

 だから、必死で母の機嫌を取り戻そうとした記憶がある。
「コロコロでも嬉しいで。なぁ、お母さん……」


 臨終が近かった頃の母に訊いた。
「つらいばかりの湖北の生活やけど、何か楽しかったことってあるか?」
 母は考え込んだ後、
「そやなぁ。自転車で買いもん(買い物)行くときやなぁ……」


 息子たちのメシのために、40半ばで乗れるようになったチャリで走る。オンボロだと思われようが大事にしてたチャリで走る。それが母の喜びだったのだ。吹雪以外なら雪道だってどうってことなかったのだ。あまり恵まれた家庭でもクリスマスでもなかったけど……。


 だけど今なら言える。誇れる。我が家にはちょっとズレたプレゼントを持って、雪道をボロボロのチャリでやって来るサンタクロースがいたって。
 ありがとう、サンタクロース。ありがとう、お母さん。
元ハンセン病詩人・桜井哲夫
 僕が、桜井哲夫という詩人に猛烈な興味を抱いたのは、投稿掲示板に貼られてあった1枚の画像が原因である。貼付けた奴は、たぶん安易な気持ちだったのかもしれない。しかし、テレビを全く観ない僕が、こうして金正美さんの著書で「桜井哲夫」という偉大な詩人の素顔に少しでも迫れたのだから、「おかげ様で」と貼った奴に言うべきだろう。

 金さんと桜井さんの出逢いは、まさに「運命の出逢い」と言っても過言ではない。金さんが桜井さんと出逢ってから、“らい予防法”なるものが廃止されたのは奇跡でもなんでもなく、当然の如くの運命。侵略への懺悔や在日問題には賛否両論あるだろうが、これがなければ僕は、桜井哲夫さんの本音も目にすることができなかったろうし、桜井哲夫詩集にも出逢えなかったろう。著者は謙遜するかもしれないが、桜井哲夫という人物を少しでも知ることができて本当に感謝します。

 「人間はね、大きな役目を果たした時に人生を終えるの。~~~」。桜井さんの言葉は一つ一つが重く意味のあるものばかり。そして、時にはチャーミング。それをこのように書き留めた金さんに拍手したい。ご本人は「桜井哲夫が書かせた」と書いておられるけども。

 本のタイトル『しがまっこ溶けた』は、これ以上ない素晴らしいタイトルだ、と読み終えればきっと誰もがわかるはずだ。この本を購入してから少しずつ少しずつ読み、読み終える今日まで2年かかったのは、僕の「遅読」のせいもあるが、少しずつ読みたいほど大切な内容が綴られていたからであろう。これから僕は『桜井哲夫詩集』を読み始める。この詩集を読むために、まずこの『しがまっこ溶けた』を読んでおいて正解だった。桜井さんの詩を丹念に噛み締めて読みたいと思います。金正美さん、そしてこの著書に関わった皆さん、ごくろうさまです(「苦労」という漢字は当てはめたくない)。いい本をありがとうございます。ハンセン病患者隔離という出来事があったことを、この本を読んだ証として胸に刻もうと思う。僕もいつか桜井さんにお会いしたいなぁ。

しがまっこ溶けた―詩人桜井哲夫との歳月 しがまっこ溶けた―詩人桜井哲夫との歳月
金 正美 (2002/07)
日本放送出版協会
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One more time, One more chance
◎2006年10月31日18:19の日記


完全入稿が済んだので、さっき喫茶店にいてました。
後ろの客がやたらガラガラ声でやかましかったんです。
一瞬ヤクザかな?と思ったんですが、携帯電話で話してる言葉をよく聞くと、
「今、隣でお茶してるわよ」って。「わよ」って。

帰り際、顔を見たらリリアンさんでした。
1人であれだけやかましい人も珍しい……。




◎2006年11月01日21:23の日記


 本日は仕事から半分解放されたので、やっと医者へ行けた。薬が切れていたのもあったので行かなければヤバかった。薬局で薬をもろうて、いつものシアトルズベストコーヒーで休憩していると、迷友Tからメールあり。


T「件:病院  本文:行った?」
俺「件:Re:病院  本文:行きました。記憶障害はハルシオンが原因だったみたいなので、ハルシオン停止された。それにしてもまたリリアンに会いたい。」

T「件:Re:Re:病院  本文:会いたいんかい!(笑)」


※(註)リリアンさんはこんな人です。


 その後、仕事場へ入ってデザイナーに注文された表紙のコピーをいくつか考えて送信。我ながらいかがわしくて上出来だと思った。

 休憩がてらにまた◎◎珈琲で、コーヒー飲みながらタバコ吸いながらデイリースポーツを読んでいたら、入ってきた客がまたもやリリアンさんだった! すぐさまTにメール送信。


俺「件:今まさに!  本文:来た!リリアン来た!!」
T「件:Re:今まさに!  本文:写真写真!」

俺「件:それは俺的に  本文:無理やて!」



 リリアンさんが大声で喋ってた携帯電話の内容によると、12月3日からハワイに行くらしい。その会話中に「カルセール(カルーセルとは言わなかった)麻紀」って単語が飛び出したとき、コーヒー吹き出しそうになった……。マスターに訊くと最近よく来るらしい。

 


いつでも探しているよぉ どっかでリリアンのことをぉ
夕焼けの街 ◎◎町で こんなとこに来るはずもないのにぃ~
命が繰り返すならばぁ 何度もリリアンのもとへぇ
欲しいものなどぉ もう何もない
リリアンのほかに大切なものなどぉ~~





願いは望めば叶うんだ。

 
超大物有名人に遭遇で冷や汗の巻
(注)2006年11月28日02:41に書いた日記です。


 朝9:15に集合して六甲アイランドの某ホテルにあるお店へ取材。北京ダックなどを撮影。味見したら全然おいしくなかった。大丈夫かあのお店……。

 11:30に取材撮影終了して、13:30に日本橋(にっぽんばし。※東京は“にほんばし”)へ向かう予定だったのだが、『◎◎』という雑誌のおでん屋さん突撃アポのために僕は梅田で車から降ろしてもらった。カメラマンさんだけ日本橋へ向かわせて、1カットだけ撮ってくるように指示。僕は某おでん屋さんのランチタイムに突撃。

 何故に突撃アポをしなけりゃいけないかというと、『◎◎』の知名度があまりにも低いのと、老舗だけに電話アポだけでは済まないということ、今週中に即撮影だということ……などなどがある。まあ、アポなし取材よりマシか……。


 ざっくりと言い切ってしまえば、昔の関西人はおでんのことを関東煮(かんとだき)というのだが、このお店は森繁さんが来店した際に「関西煮(かんさいだき)」と名付けた曰く付き。おまけに『美味しんぼ79巻』にも登場している……。

 まず地図で調べたお店を見つけて中の様子をうかがう。お客が居たので引けるまで出待ち(?)。お店の前に昼食おでん4品とビール付き800円と書いてあった。夜はかなりお高いと聞いていたのだが、昼に突撃しようとしてたのは正解だったようだ。僕は食べたものに関しては領収証を切ってもらわない主義なので安い方が助かる。とにかく近くのコンビニへ行き、お客が引けるのを待った。

 13:10になってもさっき居たお客が引ける様子がなく、ラストオーダーが13:30だと電話で聞いたので仕方なく突撃開始。僕が食べてるうちに引けるだろうと。

 店内に入るととにかく狭い。いや、いい意味でこぢんまり。カウンターかテーブルかどっちでもいいと言われたので、1人である僕はカウンターへ着席。コートを脱ぐ際に後ろを振り向いてお客の顔を見たら……








なんと








安藤忠雄!(敬称略)





よりによって世界のアンドータダオて……。アンドゥトゥルワー! アンドゥトゥルワー!(泣)



 人懐っこいけど物凄いえげつない関西弁&地鳴りのようなお声でよそのお客と会話していた。「石原慎太郎がなんたらかんたら!」とか……。慎太郎と友だちなんだろうね……。それにしてもガクブルの状況というかなんというか。僕は後ろを振り返らないようにした。4品選んで注文したら、ご飯とお汁と漬物と羊羹が出てきた。どうやらビールを注文しなかった人には羊羹が出るらしい。ご飯はお替わり自由で、たぶんおでんの出汁で炊いた飯だった。
【注釈】ビールは注文すればサービスらしい。ビールも飲めるし羊羹も食える。

 アンドゥーさんはあいかわらず捲し立てていた。「NHKみたいなもんはなんたらかんたら!」とか……。でも、尊敬してますよ! 僕は時折、店主に話しかけたり眺めたりしていた。おいしいけどなんだかアンドゥーさんのお声でウマさ半減(泣)。店主は、阪急やら阪神やらの百貨店でも材料の仕入れをしているとアンドゥーさんなどに言っていた。ほとんどすべて手作りのおでんダネらしいけど、山岡士郎が自慢するほどなのかどうかよくわからなかった……。う~む……。僕が味音痴なのかもしれない。おでんは知れば知る程わからないものになった。単純なようで奥が深すぎてようわからん……。

 とにかくアンドゥーさんが帰る様子もなかったので、
「雑誌の者ですけどまた後で出直してきますわ」
 と言うたら、店主が引き止めて僕の話を聞いてくれた。
「(安藤)先生、居たはるさかいに後でええですわ」
 と言ったのだが、
「常連やさかいに(笑)」
 と気さくに話してくださった。僕はとにかくアンドゥーさんに聞こえないようにヒソヒソと説明。
「うちは週刊誌やったら(取材)受けへんのですけどね」
 というわけでOKもらった! 
「ほんで(撮影は)今からでっか?」
 とおっしゃるのずっこけた(笑)。それは無理だってば! とにかく今週木曜11:20(?)のNHK生放送(?)がある日以外やったらOKということで店を出た。
【訂正】11/30(木)AM11:00頃からの関西ローカルらしい。生放送ではないそうだ。

 それからそれから、15:00スタートの取材が駅前ビルであるので、そこまで20分程歩いて汗だく……。途中で某編集プロダクションTの社長様が前払いで振り込んでくれたギャラを銀行でおろした。今日、ケータイ電話代払わないと明日から電話ストップするとこだったよ! Tの社長様に感謝!(涙)

 日本橋で撮影してるはずのカメラマンさんが、なかなか来ないので先に取材に入った。しかしながら僕は、さっきのアンドゥーショックの冷や汗と歩き汗で意気消沈。カメラマンさんが来て撮影を終えた後に、撮影したのと同じ○○鍋を食べさせてもらったのだが、美味しくなかった……。むしろマズくてほとんど食えなかった。でも、カメラマンさんはウマいウマいと言ってた……。半分以上残して帰ったけど……。

 その後、電車で移動して仕事場へ入り、いろいろな作業。とにかくこの年末進行スケジュールで忙しい時に、急な撮影をやってくれる腕のいいカメラマンさんがいないので、電話で悪戦苦闘した。それをやりながらメールチェックやら画像のチェックやらネタや企画書のプリントアウトやらT出版社への質問やら……。気づいたら21:15だった。

 とにかく今日中に突撃アポをあと2軒したかったので、手の空いてるカメラマンさんを目的のおでん屋さんへ呼びつけた。そこで取材撮影依頼をしようとしたが、お客が多すぎたので、雑誌だけ渡して「閉店後にまた来ます」と言った。

 カメラマンさんと近くのカフェへ行き、まず雑誌の説明。カメラマンさんも『◎◎』を知らなかった……。こんな知名度で名店ばかりを載せようとするT出版社は、もうちょっと考えろ!(泣) おまけにスケジュールがタイトすぎるんだよ!(泣) 来週の水曜日までにポジフィルムで納品て!(こら!) 今どきフィルムかよ! 普通、デジだろ! とにもかくにも、どの曜日のどの時間にカメラマンさんが空いてるかを訊く僕であった。

 閉店後のおでん屋さんに行ったら、さっき店主が別店へ移動したというので、別店へ電話。即OKの返事もらう。一応、明日に説明の電話を23時頃にしなきゃ。

 カメラマンさんの車をフルに使って(要は使いっ走り?)、靭公園付近のおでん屋さんへ移動。で、突撃! しかしながらお店のシャッターが降りてた……。電話をしたら、転送されて店主が出てくれた。やっぱり『◎◎』を知らなくて、広告営業か?と疑われた。しかし、いろいろ説明したらOKもらえた! ホントに明後日の水曜日に取材撮影でいいの?(笑)

 時計を見ると24:00を過ぎていたので、カメラマンさんに家の近所まで送ってもらった。で、ネコのトイレ掃除して、アマゾンから大量に届いた業田良家のマンガ本をチェックして今に至る……。

 皆さん、生きて行くのは途方もなく無謀なことです。
オリオン座
星座の形で知っているのは、オリオン座ぐらいのものだ。

はっきりとオリオン座と認識できる時、たいてい夜空は星でいっぱいだ。
そうでなけりゃ、星なんて意識して見ない。

オリオン座を眺めていると、それを見つけた嬉しさで、憎悪とか悲しみとかどうでもよくなる。

体育の時間、校庭で大きな水晶を見つけた時のような、
帰り道、竹やぶで真っ赤な野イチゴを見つけた時のような、
放課後、近所の川ででっかいハサミのザリガニを見つけた時のような、
数々のささやかな喜びに似た感情がふつふつと湧いてくるのだ。

オリオン座を眺めていると、前にオリオン座を見ていたその時の自分を思い出す。

つらかった時、淋しかった時、楽しかった時。

いろんな時を思い出させてくれるオリオン座は、ボクの夜空のアルバムだ。


2004年08月14日00:16


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きょじんのほし
 幼い頃、僕がいた滋賀県の娯楽スポットといえば琵琶湖温泉紅葉パラダイスだった。


 親戚のおばちゃんらと一緒に紅葉パラダイスへ行き、遊園地で遊んでジャングル風呂に入る。ジャングル風呂へ向かう橋の下には大きなワニが。風呂には洞窟風呂とか薬湯とかいろいろ。

 湯上がりにゲームコーナーでコインゲーム。いつもならドケチの父が豪快にゲームに興じ、コインやお菓子が出る度に僕ら兄弟ははしゃいだ。

 ステージでショウが始まる時間になると、大演芸場にみんなで座り、お弁当を食べながら備え置いてあるお茶を飲む。ステージでは歌謡ショウや手品、映画とかなんでもありで、子供からお年寄りまで楽しめた(今考えると、あんなに単純なものなのにあんなに楽しかったのってなんなんだろう? 現代は、娯楽が飽和してるんじゃないかなぁ)。

 とりわけ憶えているのは、夏向けのなにかの恐怖映画で、南田洋子がスイカを食べて、その口から目玉がギョロギョロ動くやつ。大人になってからその映画をたまたま放映してたのを観たことがある。

 とにかく本当に楽しかった。家族旅行に出かけたことさえない我が家で、娯楽っていえばそれくらいだったと思う。紅葉パラダイスは、間違いなく僕にとってパラダイスだった。



 幼稚園の頃だったと思う。いつものようにステージを観ていたら、司会者が「飛び入りで歌う人」を探し呼びかけていたことがあった。なぜか僕は、母やおばちゃんに「僕、歌いたい……」って言うた。ホントに衝動的だった。皆は人前で歌うどころか、どんなことにでもすぐ泣き出すような弱虫のこの子が、と唖然としていた。子供で手を上げたのは僕だけだったと思う。
 
 どういう経緯でステージまで上がったのか憶えてないが、生まれて初めての歌、ステージ、生演奏、満員の観衆。司会者に何を歌うのか?と訊かれ、

「きょじんのほしっ!」って言うた。

 演奏者らと音が合ってたのかさえ憶えてない。ただ初めて握るマイクで僕は巨人の星の1番だけを思い切り歌うた。叫んだ。誰のためでもなく自分のためでもなく無我夢中で歌うた。

 歌い終わった後、司会者が「今年の巨人はアカンわ」って言うた(けど、その通りになった。巨人の連続優勝記録が途切れた)。僕は、司会者の無礼なコメントにもめげず、賞品の花火セットをもらって照れまくって家族らがいる席に戻った。みんなが「ようやった!」って褒めてくれた。嬉しかった。その後、なにがあったか憶えていない。ただ、挙手までして皆の前で歌ったという事実に、ずっと胸の鼓動が治まらなかった。


思い込んだら試練の道を~

血の汗流せ~

涙を拭くな~





 こんなにこんなに試練が待ち受けてると予見して、それでもなおどんと行こうって、家族やおばちゃんらへの、そして自分への誓いやったんやと今更思う。
 
即身成仏
 この時、なぜこういう風に「視てもらう」ことになったかのキッカケ話です。
 以下、2006年10月14日21:02にUPした日記。

 このウンコ忙しい時に風邪をひきました……。事務所の者たちが次々と風邪をひいてたのだが、気合い入ってる僕は大丈夫だと思って油断してた。しんどい。焼酎食らって暖房つけて寝ます……。



 一昨日、迷友(?)Tと『万両本店』で焼肉食いました。Tは焼肉を上手に焼けないので、僕が“焼き奉行”してました。万両の焼肉初体験でウマいのはわかるんだけど、林家パー子みたいなリアクション大袈裟はやめてもらいたい。あれならまだ彦マロの方がマシだ。

 その後、近所のバーで飲んでたら、どうやら勝手に僕を霊視してもらったということがわかった。酔うと俄然ダメな奴よ、Tは……。


T「取材(?)で会った霊能力者(?)に言われて、いろんな人の名前を書いたら、あんた(僕)とお姉ちゃんの名前に興味を示してん!」
僕「で、なんて?」

T「すごいねん! 名前だけやのに、“この人はライターさんね”とか、“あだ名は○○ちゃんね”とか、“この人が我慢してるおかげで○○ちゃんの家系が持ってる”とか言うねん!」
僕「ずいぶん漠然としてるけど当たってないことはないな」

T「ちなみに、あんたの前世は“即身成仏を目指してた僧”らしいで!」
僕「“目指してた”ってのはなんや!? 『火の鳥(鳳凰編)』みたいに立派なミイラになれんかったんかよ! 目指してただけかよ!?(苦笑)」

T「○○ちゃんがもしこれに気が向いたら、私のとこに連れてらっしゃいって言ってたで! お祓いしてくれるらしいで! その後、比叡山へ行きなさいって」
僕「なんで比叡山やねん」



 究極的に言うと、僕は即身成仏を目指してるので、当たらずも遠からずって感じだ。どのように目指してるかは言うつもりはない。勝手に気づいてください。


T「あんたは自殺するような人じゃないって、その人が言うてたから安心した!」
僕「俺は毎日を生きてる行為が自殺へと向かってるんや」

僕「ところでキミのお姉ちゃんの前世はなんて??」
T「ひ…人柱……」
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