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昨日、姫路へ行った。
土曜の病院に在勤しているリハビリスタッフは下手だし、いっそ宛てもなく電車に乗ろうかと。普段、東の方面しか行くことがないので、たまには西へ向かってみようかと。そんなことを考えながら、決して安くはない切符を買ってJRの電車に乗り込んだ。
新快速に乗って居眠りしてたら、意外と早く終点の姫路に到着してしまった。電車で行ったのは約10年ぶりくらいだろうか。最後に電車で姫路に行ったのは、仕事の下見で川に転落して、右足首と左膝の靭帯を断裂したとき以来。人生で初めて松葉杖をついたとき以来。
早速、プラットホームにある名物「駅そば」を食べた。たまに遊びに行ってた頃は、毎回必ず駅そばを3杯食べたもんだ。でも、店内に「阪神百貨店のフードコートにも出店中」という掲示があったので、なんだか3杯食べる熱が冷めてしまい2杯で止めておいた。

食べ終わって、ふと電車の時刻表を見ると、「岡山」という文字が目に飛び込んできた。岡山へは姫路から電車で1時間くらい。そこからちょっとの時間で倉敷にも行ける。

倉敷は、末期の肺ガンだった母と懸命に過ごした場所。大事なものを全部捨て移り住み、大事なものを全部賭けて過ごした場所。好転した母の具合を見て、ひょっとして治るんじゃないか、仕事でも探そうか、とそのまま此所に住んで一生を母の看病に費やして過ごそうとした場所。
その場所がこの姫路からたった1時間ちょっと向こうの世界にあるんだ、と気づいたとき、どうしても命懸けで過ごしたあの場所へ行きたい衝動に駆られた。きっとそこにはもう一つの僕の未来があるかもしれないからだ。
母の死という形で僕の大博打は敗れたけれど、それといって大きな後悔はない。ただ、生きたかった場所に行きたかっただけだ。でも、結局それはやめた。惨めな思いをこれ以上したくない、というわけではなく、あの場所があるというだけで僕はもう少しだけ頑張れそうな気がしたからだ。
だから、一途な将来を信じて辛苦のみに塗れた思い出の地を味わうことは、もうちょっと先まで心に仕舞っておく。かつて、温もりの時代を生きた神領団地へ行ったことはあるけれど、あれは母の供養と鎮魂のため。今回、いろいろ思いが狭窄したのとは全く違う。
観照的なタイムスリップなんかじゃなく、1時間ちょっと向こうの世界には、まだまだ踏ん張って何もかもを張って生き続ける僕と「僕が希望を託した場所」がきっとまだいるし、きっとまだある。そうわかっただけで今は十分だ。
土曜の病院に在勤しているリハビリスタッフは下手だし、いっそ宛てもなく電車に乗ろうかと。普段、東の方面しか行くことがないので、たまには西へ向かってみようかと。そんなことを考えながら、決して安くはない切符を買ってJRの電車に乗り込んだ。
新快速に乗って居眠りしてたら、意外と早く終点の姫路に到着してしまった。電車で行ったのは約10年ぶりくらいだろうか。最後に電車で姫路に行ったのは、仕事の下見で川に転落して、右足首と左膝の靭帯を断裂したとき以来。人生で初めて松葉杖をついたとき以来。
早速、プラットホームにある名物「駅そば」を食べた。たまに遊びに行ってた頃は、毎回必ず駅そばを3杯食べたもんだ。でも、店内に「阪神百貨店のフードコートにも出店中」という掲示があったので、なんだか3杯食べる熱が冷めてしまい2杯で止めておいた。

食べ終わって、ふと電車の時刻表を見ると、「岡山」という文字が目に飛び込んできた。岡山へは姫路から電車で1時間くらい。そこからちょっとの時間で倉敷にも行ける。

倉敷は、末期の肺ガンだった母と懸命に過ごした場所。大事なものを全部捨て移り住み、大事なものを全部賭けて過ごした場所。好転した母の具合を見て、ひょっとして治るんじゃないか、仕事でも探そうか、とそのまま此所に住んで一生を母の看病に費やして過ごそうとした場所。
その場所がこの姫路からたった1時間ちょっと向こうの世界にあるんだ、と気づいたとき、どうしても命懸けで過ごしたあの場所へ行きたい衝動に駆られた。きっとそこにはもう一つの僕の未来があるかもしれないからだ。
母の死という形で僕の大博打は敗れたけれど、それといって大きな後悔はない。ただ、生きたかった場所に行きたかっただけだ。でも、結局それはやめた。惨めな思いをこれ以上したくない、というわけではなく、あの場所があるというだけで僕はもう少しだけ頑張れそうな気がしたからだ。
だから、一途な将来を信じて辛苦のみに塗れた思い出の地を味わうことは、もうちょっと先まで心に仕舞っておく。かつて、温もりの時代を生きた神領団地へ行ったことはあるけれど、あれは母の供養と鎮魂のため。今回、いろいろ思いが狭窄したのとは全く違う。
観照的なタイムスリップなんかじゃなく、1時間ちょっと向こうの世界には、まだまだ踏ん張って何もかもを張って生き続ける僕と「僕が希望を託した場所」がきっとまだいるし、きっとまだある。そうわかっただけで今は十分だ。
今日(というかすでに昨日だが)は、二度寝して起きたら13時30分だったのであわててテレビのスイッチを押して「徹子の部屋」を観た。ゲストがレディー・ガガだったからだ。
通訳の時間を省くために上手く編集してあったけど、徹子の質問は教科書通りというか、ガガを知らない世代向けのありふれた内容でつまんなかった。それよりも徹子の喉を痛めたような濁声と滑舌が悪くなったのを観て痛ましくてそれ以上観ていられず、テレビを消して滋賀県の(母方の)伯母ちゃんの家へ行った。
今は伯母ちゃんの家だが、おばあちゃんが生きてた頃は「おばあちゃんの家」と呼んでいた。僕が幼い頃に建て直したこの家、実はトイレに窓も換気扇もない。80半ばの伯父は何度もトイレに行くので、自然と大便のニオイを嗅ぐことになる。僕は、伯父を傷つけないようにこっそりとトイレの水を流し直し、順番に窓や玄関のドアを開けて換気する。でも伯母はもう慣れてしまっているようで換気もしない。
伯父と伯母は夫婦ではなく兄妹で、共に子供もなく生涯独身。何かあるとすぐ強烈な口喧嘩を始める。伯父は癲癇(てんかん)持ち癇癪(かんしゃく)持ちで発達障碍(だと思う)。伯母はほぼ盲目で按摩師で何十回といろんな箇所の手術をしている。そんな二人が居る黄昏れた空間とも言えるだろうけど、僕にとっては通い慣れた隠れ家みたいな思い出の詰まった空間である。
今日は朝から何も食べてなかった僕は、伯父と同じおやつを食べ、伯母が作った夕飯を食べた。つまりは伯父と同じ物を食べて過ごした。さっき帰宅してから便通が来たのでトイレをしたら、なんということか伯父のトイレの後と全く同じニオイの便が出た。かなり驚いた。齢を重ねた僕は稀に昔のオヤジと同じ異臭を放つことがあってもそれは血筋と齢のせいだと思っていたのだけれど、伯父とも血が繋がっているのを再認識した。
ただそれだけのために、つらつらとこんな日記を書いてしまっているのだが、僕にとっては新鮮な発見であった。それにしても自分の胃袋や腸の消化の早さも驚きである。
80数年生きて、恋人も友人もなく天涯孤独の身、と言っても過言ではない伯父。デイサービスの所へ通うのが今になってようやく唯一の楽しみになったようだ。僕には伯父の心など解るはずもないが、何か一体感のようなものを一つ築いた(気づいた)日となった。
ちなみに伯父は、ゴッホが描いた自画像にそっくりである。
通訳の時間を省くために上手く編集してあったけど、徹子の質問は教科書通りというか、ガガを知らない世代向けのありふれた内容でつまんなかった。それよりも徹子の喉を痛めたような濁声と滑舌が悪くなったのを観て痛ましくてそれ以上観ていられず、テレビを消して滋賀県の(母方の)伯母ちゃんの家へ行った。
今は伯母ちゃんの家だが、おばあちゃんが生きてた頃は「おばあちゃんの家」と呼んでいた。僕が幼い頃に建て直したこの家、実はトイレに窓も換気扇もない。80半ばの伯父は何度もトイレに行くので、自然と大便のニオイを嗅ぐことになる。僕は、伯父を傷つけないようにこっそりとトイレの水を流し直し、順番に窓や玄関のドアを開けて換気する。でも伯母はもう慣れてしまっているようで換気もしない。
伯父と伯母は夫婦ではなく兄妹で、共に子供もなく生涯独身。何かあるとすぐ強烈な口喧嘩を始める。伯父は癲癇(てんかん)持ち癇癪(かんしゃく)持ちで発達障碍(だと思う)。伯母はほぼ盲目で按摩師で何十回といろんな箇所の手術をしている。そんな二人が居る黄昏れた空間とも言えるだろうけど、僕にとっては通い慣れた隠れ家みたいな思い出の詰まった空間である。
今日は朝から何も食べてなかった僕は、伯父と同じおやつを食べ、伯母が作った夕飯を食べた。つまりは伯父と同じ物を食べて過ごした。さっき帰宅してから便通が来たのでトイレをしたら、なんということか伯父のトイレの後と全く同じニオイの便が出た。かなり驚いた。齢を重ねた僕は稀に昔のオヤジと同じ異臭を放つことがあってもそれは血筋と齢のせいだと思っていたのだけれど、伯父とも血が繋がっているのを再認識した。
ただそれだけのために、つらつらとこんな日記を書いてしまっているのだが、僕にとっては新鮮な発見であった。それにしても自分の胃袋や腸の消化の早さも驚きである。
80数年生きて、恋人も友人もなく天涯孤独の身、と言っても過言ではない伯父。デイサービスの所へ通うのが今になってようやく唯一の楽しみになったようだ。僕には伯父の心など解るはずもないが、何か一体感のようなものを一つ築いた(気づいた)日となった。
ちなみに伯父は、ゴッホが描いた自画像にそっくりである。










